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今日、小惑星探査機「はやぶさ2」が、52億キロメートルと言うとてつもない宇宙の長旅に出掛けました。

まだ、JAXAからはクリティカル運用期間の終了の報告はありませんが、打ち上げ/ロケットからの切り離し後の陽電池パネルの展開などが正常に行われ、「はやぶさ2」が所定の軌道に投入されていることが確認されたとのことで、

ほんのちょっとばかりですが、「はやぶさ2」に関わったこともあり、とにかくホッとしました。


でも、これからが探査機としての本番です。

初代「はやぶさ」は、打ち上げ直後からトラブルやハプニングが相次ぎ、苦難の旅になりました。

それ故に話題になった面もあったのですが、困難なミッションをさもこともなげに遂行することこそが、本当のもの作りの力を示すことではないかと思います。

2020年の末、「はやぶさ2」には当たり前のように予定通り帰還して欲しいものです。

残念ながら、東京オリンピックは見せてあげられそうもないけど…。
 
 
 
 

悲しい知らせが届く!

 
今日も、雨模様です。

この雨が降り始めた2日前に、会社の同僚だったOさんの訃報が届きました。


Oさんのことは、一度このブログにも書いたことがあるのですが、
 
今の勤め先が14年ほど前に合弁会社として設立されたとき、相手方の会社から移って来られ、業務の立ち上げのために一緒に苦労した仲間の一人です。

私より、4歳くらい年上ですが、不思議と合弁前の準備時期から気が合い、人懐っこい笑顔と説得力のある話し方、行動力、私も何かと頼りにさせてもらいました。

Oさんと私は、所属も事業場も違っていたのですが、私が病気になるまでは、よく飲みにも行きました。

私が手術をした際には、何かと心配もしてくれ、事ある度に「そろそろ杯でも傾けに行こうか!」と言ってくれたものです。

バイタリティに溢れていたOさんですが、今から8年ほど前に難病のPOEMS症候群を発症されたのです。

とにかく症例は少ない、治療方法も確立されていない、日に日に症状は悪化して行くと言う状況の中で、精神的にも相当にお辛い思いをされたのではないかと思います。

でも、さすがOさんでした。

1年半近くにも及んだ闘病後に、会社に復帰されたのです。

Oさんが勤務する事業場に出掛けると、ご苦労をされた様子は伺えましたが、人懐っこい笑顔は戻り、杖には頼りながらも精力的に社内を歩き回っておられました。


私がOさんと同じ事業場に通うようになった際にも、何かとお世話になりました。

3年前に定年退職された後も、宴会の席にも出てこられ、楽しく一時を過ごしたこともありました。


その後は、あまり体調が良くないようだとの噂を聞き、今年のOさんからの年賀状には入院中だとも書いてありましたので、心配はしていました。

Oさんのことだから、また元気になられて一緒に杯を傾けながら昔話ができると信じていたのですが、2日前に亡くなったとの悲しい知らせが届いたのです。

仕事の上でも共に苦労し、そして同じような時期に共に大きな病気をして苦労しました。

あの人懐っこい笑顔が目に浮かびます。

悲しいです!

なぜか、良い人からいなくなります。

余命宣告をされたロクでもない自分が生き延びていることが、何だか申し訳なくもなります。


今日は、お通夜です。

今更ですが、散々お世話になったお礼を伝え、そして最後のお別れを告げてきます。
 
 
 

天災転じて人災!

ブログとかで批判めいたことを書くのは嫌いなのですが、

先日、我が家の近くで起きた崖崩れで死傷者が出たと言う記事を書きましたので、関連した記事を書くことにしました。

次の日だったかに、新聞でその事故に関する記事を読んで、愕然と言うか怒りがこみ上げてきました!

何と、崖崩れを起こした現場の斜面上部には、違法な盛土がされていたのだそうです。

それも、横浜市の建築局違反対策課はそのことを知っていて、1回だけ業者に是正勧告を出したものの業者は改善せず、その後は市側も放ったらかしにしていたのだそうです。

内部の引き継ぎのミスだそうですが、所謂手強い相手に対する勧告などは次の引き継ぎ者に先送りし、引き継ぎ時には「言い忘れた・」、「聞いてなかった。」と言うことにでもして、うやむやにしていたのではないかと疑いたくなります。

これって、人災ですよね!

そして、業者も市側も犯罪者ですよね!


それだけではなく、何と同じような違法個所は、市内に243個所もあるのだそうです。

大きな災害が引き続き発生していると言うのに、何と言うことでしょう!

市の職員の宅地が同じような個所だったら、真っ先に直させるのではないかとも…。


前後して、浦安の宅地液状化の裁判で、住民の訴えが  退けられたと言うニュースを見ました。

その宅地を開発した業者は、超が付くほどの一流です。恐らく液状化の可能性を予測し得るだけの技術も経験も持っている(持っていた)はずです。

同時期に開発された道一本挟んだ反対側は、ちゃんと対策がされていたとの言うことからも、知らなかったとは言えないと思います。

知っていれば、法の整備がどうのこうのとかではなく、業者の責任で対策をすべきです。

それが認められない裁判、住民の方の怒りは理解できます。

とにかく、この世の中は理不尽なことが多い!

11年前の今日!

2003年10月10日(金)、ちょうど11年前の今日です。

今年の今日は、11年前と曜日も同じ金曜日です。

手術をしたあの日から、11年が過ぎました。

多分、妻も子供たちも忘れていると思います。

自分でも、今朝、またたまカレンダーをまじまじと見る機会がなかったら、忘れたまま今日1日を過ごしたかもしれません。


あの日の朝、不安はありましたが、前日までに散々泣いて涙も枯れていましたので、意外と落ち着いた目覚めでした。

6時半に目覚めて準備をし、8時半前に家族と故郷の愛媛から来てくれた弟妹たち、市内に住む義兄夫婦に見送られて手術室に入りました。

家ではあまり感情を表に出さない長女が、泣いていたことを覚えています。

そして、長男に「何かあったら、後は頼むぞ!」と言いましたが、「とにかく何があっても生き抜くんだ!」とも思っていました。


しかし、その日の3日前には、妻には辛い宣告がされていたのでした(このことは、その2年後に妻から聞かされて、初めて知ったことです)。

私が、手術前の最後の検査としてカテーテルでの腹部造影を終えてベットの上で寝ていた頃、主治医に呼び出された妻には、

「思っていた以上に癌が進行している。覚悟が必要かもしれない。」と伝えられたのでした。

それでも妻は、その後もその日の朝も、私の前ではそんなことは聞いてないように、気丈に振る舞っていました。


手術の2日前には、腹部造影の検査結果も踏まえて手術の説明がありました。

・胃は2/3以上を切除する。

・膵臓が胃と癒着しており、胃と共に膵臓も一部を切除するかもしれない。

・腹水が溜まっているため、癌が腹膜に散っている可能性も高い。

・癌が腹膜に散っている場合は、リスクの高い膵臓には手を付けず、癌は残して放射線や抗癌剤での治療に頼るかもしれない。

などの説明を聞き、

「癌を残したままで生きるのなら、いっそ死んだ方がましだ。このまま何もしないで家に帰る。」と主治医に食って掛かり、絶望感ばかりを抱いたことをはっきりと覚えています。

それでも、主治医から 

「手術だけが治療の全てではありません。むしろ手術と他の治療を併用する方が普通です。」
 
「私を信じて任せてください。卍郎さんは、『早く良くなって自宅に帰るんだ!』と言う強い気持ちを持ってください。」と励まされ、

そして「家族のためにも、絶対に生きなければ…。」と自分に言い聞かせ、やっとの思いで手術の同意書にサインしたことも忘れません。


手術が終わってICUで麻酔から目覚めた時、本来ならそこには居るはずのない弟妹たちの声を聞き、愕然としたことも覚えています。

私の手術は、膵臓の切除まで行うと8時間くらいは掛かり、胃だけとなると3時間くらいの予定でした。

胃だけの手術となった場合は、膵臓の癌は残したままになる可能性が高いと言うことです。

実は弟妹たちは、その日の昼過ぎの新幹線で帰郷の予定でしたので、膵臓までの手術が行われた後にはそこには居ないことになるのです。

「あー、何でお前たちが居るんだよ!そうか、癌が残ったままなんだ。チクショー、手術をやり直してくれよ!」と、まだ頭の中はボーッとしたままにも拘わらず、再び手術前の説明時と同じように絶望感が渦巻きました。

そして、

「これからどう生きれば良いんだろう!」と思った時、妻の声が聞こえました。

「お父さん、上手くいったよ。癌は取ってもらったよ。傷が直れば家に帰れるよ。」

はっきりとは理解できませんでしたが、その言葉に少し安堵して再び眠ったのでした。


しかし、家族や弟妹たち、そして義兄夫婦へのその日の手術後の説明は、もっと衝撃的だったのです。

”余命半年、長くて1年くらいかもしれない。”

妻もみんなも、そして主治医も私にはこのことは一切言いませんでした。

私がこのことを知ったのは、やはり手術後2年目でした。

勿論、手術後の主治医からの説明や治療方法などから、

「みんなが言っているほど安心できる状態ではないだろう。もしかしたら…。」と感じてはいましたが、まさかそこまでの状態だったとは思ってもいなかったのです。


でも、今、私は元気です。

抗癌剤を5年間服用し、辛かったその副作用の名残に今も悩まされてはいますが、生きています。

抗癌剤を批判する声も多い時世ですが、私はそれに助けられたと思っています。


勿論、抗癌剤の効果だけではなく、食事療法やみんなの励まし、そして何よりも家族の支えがあってのことだったとも思います。

また、自分が乳癌だった(しかも再発してしまった)にも拘わらず、自分のことよりも私のことを心配して何かと気遣ってくれた妹にも、いつも感謝しています。

しかし、その妹は、今は私の机の上で少し寂しそうに笑っているだけです。


あれから11年、家族や妹、そしてみんなに少しでも恩返しが出来るよう、これからも精一杯生きて行かなければなりません!!

豊作だけど…!

 
土曜日の午後から、法事のためカミ様の故郷(福島県)に行ってました。

土曜日は、カミ様の姉宅に泊めてもらい、義姉の旦那さんと楽しく飲みました。

日曜日は、カミ様の実家に行って法事を済ませ、その夜も義兄、甥っ子たちと楽しく飲み、今日の午後に帰って来ました。


義姉宅は、兼業農家です。

刈り入れ前の義姉宅の田んぼは正に黄金色です!!
 
イメージ 1
 
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我が家は、義姉宅からお米を買っています。

メール1本で、搗き立てのお米が届きます。

今年も契約(?)して来ました。

来月には美味しい新米が届きます。


今年は豊作で、義姉宅の愛犬チャコも嬉しそうです!

 
イメージ 3
 
しかし、米離れもあって昨年の米が余っているようなこともあり、今年の新米価格は大幅に下落し、豊作なのに全く喜べない状況とのこと。。。


米は、自給率が100%に近い数少ない食材で、しかも日本人の主食です。

皆さん、もっと国産国消で盛り上げて、日本の米作りを応援しましょう!!

自分も、おかずこそ野菜中心でいきますが、米もしっかり食べます。






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