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みずなみ焼と販路拡大事業 (陶磁器産業の歴史)
瑞浪市の陶磁器産業の歴史
瑞浪市の「やきもの」の歴史は、7世紀の須恵器に始まると言われています。古代の焼き締め技法から平安時代の白瓷を経て、やがて釉薬をかけて焼成する施釉陶器へと技術改良が重ねられた。
16世紀には、茶の湯流行や南蛮文化等の影響も受け、日本独自の陶器である黄瀬戸、瀬戸黒、志野、織部などの「桃山陶」を生み出し、周辺地域を含め日本を代表する産地となった。
17世紀には、生産の主力を日常雑器に転換し、国内の消費地に向けて、「せともの」の名前で製造、出荷し、その優良な陶土と品質により国内最大の生産地の一つになった。
1846年には、美濃地方では最初となる銅版絵付による「里泉焼き」(市内稲津町)が考案された。従来の陶器から磁器へと転換の一歩が踏み出された。幕末1858年には、市内釜戸町の足立岩次が函館奉行の要請により北海道に渡り、殖産興業「函館焼」を創設。その後地元で「荻之島焼」に取組んだ。市内陶町では、中村弥九郎が洋食器である扇面バター皿を制作した。以降、陶町では日本を代表する貿易陶磁器生産の町として発展することになった。
このように幾多の時代の変遷の中で、常に新しい技術を開拓し、それぞれの時代に即応しながら発展し、今日では和洋食器製造、型製造、絵付け、転写、釉薬・坏土製造など陶磁器製造に関連する事業所が集積する、日本を代表する一大陶磁器生産地を形成するに至っている。
この報告続く(2013年8月6日)
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