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昨日は福井敬さんのコンサートでした
ホセ・カレーラスなど、たくさんの歌手の伴奏ピアニストをつとめる
ピンチェンツォ・スカレーラさんとのデュオコンサートでした
福井さんを愛するあまり
その歌声を聞けば風邪さえ治ってしまうというゆりさんとともに
4列目のほぼ中央の席で鑑賞しました
福井さんの歌を言葉で表せば
情熱、真摯、誠実、安定
そんなところでしょうか
日本を代表するテノール歌手である福井さんの歌は
いつでも安心して聞くことができます
そして、感動と勇気を与えてくれます
昨日のコンサートは
ヨーロッパの歌曲と
日本の歌曲と
プッチーニのおなじみのアリアからなっていました
私は歌曲には全く疎いのですが
それでも、福井さんの声にかかれば
とても感動し、楽しむことができました
スカレーラさんのピアノは
とても鮮やかな
南欧らしい明るさと、繊細さを兼ね備えた美しい音でした
福井さんがアンコールでお得意の「カタリ・カタリ」を歌ったとき
イタリア人の歌い方とは違う、と感じました
この歌は、去って行った愛する女性への未練を切々と歌ったものです
福井さんはその悲しみを
全身を使って激しく吐露するように歌います
胸をかきむしり、
拳を握り締め
打ち震えながら、叫んでいます
まさに、男の慟哭です
そこから私が感じるのは
体当たりの、あまりにまっすぐな嘆きでした
きっと歌の主人公はさぞ誠実で
全身全霊を傾けて、体当たりで彼女を愛していたのだろう、と感じました
私は普段、この歌をパヴァロッティの声で親しんでいます
あのおちゃめなイタリア人の歌声からいつも感じているのは
少し違ったものです
同じふられ男の嘆きでも
パヴァロッティには慟哭というイメージはありません
悲しみに暮れる自分にどっぷりとつかって
遠くを見ながら熱唱しているようなイメージです
歌の主人公は、夕刻、自分の家の小さな庭で
誰はばかることなく、涙をボロボロ流しながら
切々と自分の悲しみを訴えているのでしょう
私は福井さんの歌に
日本の男性の美学を見た気がします
弱音を吐くことを潔しとせず
人前で泣くことが許されない
そんな、ちょっとマッチョなイメージです
そんな日本とは違って
恋愛におおらかなイタリアには
男が女に去られたとき、その悲しみに安心して浸れる土壌があるのかもしれません
いずれにしても
音楽には、やっぱり国境はあるようです
私たち人間は生れ落ちたその日から
その土地の風土と文化に育まれて成長するのです
そうして培われた感性が外の世界と幸せな形で出会ったとき
私たちに新鮮な感動を与えるのです
夕べの福井さんの「カタリ・カタリ」のような
ちょっとマッチョな慟哭するカンツォーネは
まさにそうして生まれたのかもしれません
音楽は生き物です
最近すっかり出不精のデブになってしまった私を
いつも誘い出してくださる優しいゆりさん
昨日はほんとうにありがとう
一緒に食べたタイ風サラダがおいしかったですね^^
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