荒野の狼

気張らずにありのままの自分でいよう。

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「萬法即一吹」 という言葉があります。私は名前だけの尺八の師範をもっていますが、この言葉と

  「天籟無作為」 という言葉が大好きです。 

  一吹にはじまり一吹に終わる。その一吹にすべての法則、真理が含まれる。

  まずは、一吹きから始まって、あらゆるものを身に纏っていく、吹く為の技、音色、知識、などあり

  とあらゆるものを身に纏っていく。そして、そこから無用なものを剥いでいくとその先は、また一吹

  にもどる。「萬法即一吹」の世界がそこにある。 その先は「天籟無作為」の世界。世の中には、

  人籟 、人の奏でる音  地籟、自然の奏でる音  天籟、天使の奏でる音があり。 天使の奏でる

  音には、なんの作為もなく、その一吹の境地すら無く、無心、無我の境地であります。

  信仰も同じのような気がする。純真無垢な幼子の信仰に始まり、あらゆるものを身に纏っていく、

  神学、哲学、などありとあらゆる宗教学を身に纏っていく、いくら理屈を捏ねまわしても、人間より

  崇高な神の知恵には及ぶ由もなく、無駄なものを一づつ剥いでゆく、実に着いたものを取りさって

  いくほど、難しいことはない。取りさってたどり着くところは、又純真無垢な幼子のような心の信仰

  にもどっていくような気がする。ただ、ただ無心に神を見上げ、祈る信仰に・・・・

  では、神への信仰って何なんだろう?

  剣道の言葉の中にも私の大好きな言葉があります。

  「振りかざす太刀の下こそ地獄なれ一歩進め先は極楽」

  「切り結ぶ刃の下こそ地獄なれ踏み込み入ればそこは極楽」

  一足一刀の間、ここは両刃交鋒生死の間と言って、こちらから一歩踏み込めば相手を切ることが

  出来るが、相手の太刀もこちらに降りかかってくる。生死を賭けた間であります。

  常に死が襲い掛かってくる地獄の間なんです。 それを乗り越えるには、自分の一刀を信じて飛び込

  むしか無い。 躊躇したり、少しの迷いも許されないそれは死を意味するから。その一瞬の間を無我

  無心で飛び込んでこそ、その先にある極楽に入ることが出来る・・・・・・。

  信じるとはそう言うことではないのかな、無心で神を仰ぎ、信じる信仰が神の救いの御国へ入れる

  信仰だと思う。知識や理屈なんて要らないんだよ! ハレルヤ!ハレルヤ!純粋で無心な幼子の心を

  持って信仰し賛美することを神さまは一番喜んで下さると思う。

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今剣道を習っていますが稽古で繰り返し繰り返し練習して身に付いたものだけが実際に役に立つという事を実感します。

ブログを拝見していて自分の信仰生活も頭でっかちにならないようにしたいなあと思いました。

2009/5/29(金) 午後 2:30 [ 仮面ライダーOG3 ]

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「明鏡止水」という言葉がある。(わだかまりもない、澄み切った心境)と辞書に書かれている。人間本来の心は明鏡のようなものであるが、それに雲がかかってしまう。雲がかかると、無明となり迷いとなる。どういう雲かと言うと「我」という雲がかかる、この自縄自縛の我という雲を無くせばよい。・・・・
神さまの前で、鏡の前で頭を下げる。「我」というものを取り去る。
「カガミ」の前で「ガ」を取れば、「カミ」になる。それが神である。人は自縄自縛の我に縛り付けられて苦しんでいる。それを取り去るのが、剣の修行である。ライダー剣道は奥が深いよ!日本のキリスト信徒の中にも剣士は大勢いるよ。「武士道とは死ぬこことみたり」
キリストの心だね!

2009/5/30(土) 午後 1:48 荒野の狼

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〉それを乗り越えるには、自分の一刀を信じて飛び込
〉むしか無い。 躊躇したり、少しの迷いも許されないそれは死を意味するから。その一瞬の間を無我
〉無心で飛び込んでこそ、その先にある極楽に入ることが出来る・・・・・・。

ふむ。。。
ふむむ。。。

〉「武士道とは死ぬこことみたり」

三島由紀夫の『葉隠れ入門』を読んだことがあったな。。。
そこに、この言葉があったような。
内村鑑三は、武士道にキリスト教を接ぎ木しようとしたからダメだったと、ある牧師さんに教えられたことがあった。
さてと、何がダメなのかはよく分からないけど、ただ
<安全なところからは何でも言える。
でも、実際は命を捨てていかないと何も見えない。>
ってことは、私がどうかは別としても、本当なんだろうって思う。

2009/5/31(日) 午前 1:20 [ - ]

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中川さんのコメントもらってホットしました。
「葉隠れ」読みましたか!・・・・ 道とは首をかけてゆく、と書きますつまり、命をかけて道を求めることが道なんです。 富士山に登るにも色々な登る道があります。でも頂上は一つ、神も一つです。登山道をむすび付け様とするから無理がある。 でもその一つ、一つの求める真理はひとつです、でもその当時、日本人に神の愛、とか義を説くには武士道の精神を用いて説く方が解りやすかったのかも知れない。共通する教えは多くあります。色の違いは有っても辿り着くところは一つということです。他と大きな違いは、一人で苦労して頂上に登って行くのではなく、神さまが自ら私達のところへ降りてくださり、共に登ってくださるところにあると思います。

2009/5/31(日) 午前 2:54 荒野の狼

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昨日教会で会ったKです。

純粋で無心な幼子の心での信仰…何もかも上手くいかない時には難しくて(涙)
ある先生の本の中で、「あるがままの心で、直心で祈る、向かう」という言葉がありますが、
それすらも難しい今…
ただ、いつどんな時も、結局より頼み、支えになってくれるのは信仰しかないんですよね。
なんだかまとまりの無いコメント、失礼しましたm(__)m

2009/6/1(月) 午後 2:52 [ K ]

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〉ある先生の本の中で、「あるがままの心で、直心で祈る、向かう」という言葉がありますが、

横からおじゃまします。
『直心の祈り』を教えた丹羽牧師の流れを汲む教会のものです。

〉それすらも難しい今…

なるほど・・・
直心の祈りでも足りないと思っていたんですが、やっぱりそうなんだろうな。。。
何かが足りないんだよな・・・

2009/6/3(水) 午前 1:43 [ - ]


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