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オペラ歌手のあすかちゃんとのスナップ いたずらぽくおどけた彼。
松沢さんとの思いでの最終章は・・・・
2006年12月21日までの数か月は、彼の寂しさと、苦しさと、辛さの凝縮した地獄の数か月だっ
たと思っている。 しかし不思議な事に私はその数か月、松沢さんとは一度も会っていない。
近くに居た信者さん達は松沢さんのおかしい変化に気が付いていた人も多く居たみたいだけれど、
まさか、あのような事になるとは誰も予測出来ず、手を差し伸べる事も出来なかったみたいだった。
自分がその事を少しでもわかっていたら、救えたかもしれないと悔やまれる。
だから、彼の死の連絡を受けた時は、寝耳に水の衝撃を受けた。
当然、松沢家のお手伝いをしてくれていた、被害にあってしまった主婦も気が付いていてくれてたと
思う、だから彼女は彼女なりに心配して何かをしようと努力されていたと思う、「○○さん何で俺に
相談してくれなかったの」って・・・・いまさら言っても仕様がないけど。
松沢さんはよく言っていた。『この家は、体の弱い病気の母と、アル中でニートの弟と、C型肝炎で
医者通いの俺と考えてみれば、グチャ、グチャな家庭だよな!ここにイエスさまが居てくれるから
救われている。』って。
お母さんが体が弱くて家事が出来ないと代わる代わる信者さんの主婦がお手伝いにかけつけて来てくれ
る。その中でも○○さんは一番熱心にお手伝いしてくれていた、ありがとうって心の中で叫びたい!
「○○さんありがとう」 優しい人だった、だから寂しい、だから悲しい・・・・
家族の前では涙を見せない人が、泣いていたそうだ。弟さんから聞いた話で、俺はこんなに汚い!
罪深い!嘘つきだ!と号泣したそうだ。 肝硬変で死んだ従兄の奥さんに聞いたけど、体がだるくて
ごはんを食べる時も横になってお茶漬けにして掻きこむ様にして食べていたって・・・
松沢さんも辛かっただろう。余命と家庭と牧師とあらゆる重荷を一人で抱えて・・・
覚せい剤をやると、体が軽くなるそうだね、疲れやだるさもすっ飛ぶそうだね・・・
覚せい剤をやると、どうなるかは他の人以上に知っているはずだよね・・・・
それは何の為に、そこまでしてもメッセージしたかったんだ。 牧師の仕事をしたかったんだ。
それは、悲しすぎるよ!寂しすぎるよ!哀れすぎるよ1 松沢さん!・・・
松沢さんの死に顔 きれいだったね、微笑みさえ浮かべている様だったね、
イエスさまが重荷を外して下さったのかな。
パウロがこのようなことを言っている。『もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、
この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです』
この言葉はイエスさまのことをパウロは言っているんだよ。「私達を救うために、父なる神から引き離
され、十字架に架けられた.木につるされた呪われた者として」
松沢さん何故サタンに身を売った! 呪われた者として死ななければならなかったのか?
牧師の使命に命を賭けて、私達に素晴らしい御言葉を伝え、小さき者と共に歩んできたあなたが
あのような死に方をして、多くの人々から誹謗中傷され裁かれている。でも裁く者は裁くがいい。
松沢さん あなたの教えてくれたイエスさまは私達の心の中に変わる事無く輝き続けているのですから
松沢さんに出会えて本当によかった!導いてくれたアーサーにも感謝します。
それよりも、アーサーと松沢秀章をこんな私の為に引き合わせてくださった主の愛に感謝します。
すべてのことを主に委ねます。すべては主の御手の中に・・・・アーメン!
松沢さんとの思いではたくさんあります・・・心の整理をしようと、このブログをはじめました。
一時は松沢秀章を弁護しようとむきになって怒ったこともありました。
これからは、心を静めてイエスさまと向かい合って往きたいと思っています。
このブログを通して素晴らしい人達に出会えたことに感謝します。
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内緒さんコメントありがとう!中川さんが内緒さんに話している、応えだけのコメントを読みながら、いつもミステリアスに感じていました。中川さんが素晴らしいと言っているんだから、きっと素晴らしい人なんだろうな・・・・・・。
内緒さんが言うとおり、あれはパウロの呻きそのものだと私も思っています。キリストが十字架で示した愛をパウロの愛として表したのだと思います。パウロの救いの呻きです。コリントΙ・9章19〜22
にも表わされていると思います。共に苦しみを共有するところから救いが始まる、本田哲郎師の言われるアンダースタンドの世界です。
2009/6/18(木) 午前 10:16
松沢先生には身体の痛みと疲労が相当あったのだね。
そこまで重い体をもっているのであれば、薬との距離は近かったのだね。そうか、覚せい剤の使用は、ボクらの感覚で理解することはできないようですね。
でも、それ以上に思うのは・・・
キリスト者は死にあって自分に帰す栄光なんて一つもいらない。
ただ朽ちて死ぬのみ。
世間体には聞えがわるいだろうけど、醜聞は永遠から見れば一時。
キリスト教界だって、どうせみな見えるところだけで裁いて、終わらせるつもりなのだろうから。
そんなものでしかない世界にいる。
この時代、キリスト教界もあまり世間と変わらないんでしょう。
松沢先生は永遠に続く大切なものは何かをいつも教えつづけている。
ヒロさんや他の人たちの心の中に、これだけ豊かなものを残したのだから。
そこだけが大切で、そしてそれは通常人では出来ない偉業を彼は成し遂げました。
そして残されたものに大きな課題を残してくれました。
最後まで神さまを愛して死んでいった人がいたことを、私も忘れません。
松沢先生を教えてくれたヒロさん、ありがとう。
2009/6/18(木) 午前 11:21 [ - ]
ありがとう!中川さん、今涙が止まりません。泣きながらメールを打ってます。ブログを始めて本当によかった。ありがとう!
2009/6/18(木) 午後 2:20
内緒さん 私は分かってました。中川さんも、実の木さんも、内緒さんもつながりがあるような気がしてました。コメントをやりとりしているうちに、同じフィーリングを感じていました。うれしいです!
今日は皆さんを通して沢山の恵みをいただきました。感謝します!
2009/6/18(木) 午後 11:10
荒野の狼さん、松沢先生の真実を伝えてくださりありがとう。
大切な人を失うっていうのは、その人と共に過ごした自分の人生や歴史の一部を失うことと同じだから、それは残された者にとって、大変な悲しみや痛み、虚しさをもたらしたことだと思います。ましてや松沢先生の大きな十字架を背負うのは、もう言葉では表わすことのできない重荷だったのではないかと察します。きっとキリスト御自身が成増教会を支えてくださったのでしょうね。
イエスさまが、残された私達に聖霊を送ってくださった様に、松沢先生の心は荒野の狼さんや成増教会の信徒さんの中で、いつまでも永遠に生き続けると、私もそう思います。。。
2009/6/19(金) 午前 0:26
ありがとう!! 実の木さん、皆さんにあたたかい言葉を頂いて、
心からこのブログを始めて良かったと思っています。
彼の死を友として止められなかった悔しさでいっぱいでした。
彼の為に少しでも何か自分で出来る事はないかと始めたブログでした
いまは嬉しさでいっぱいです。 ありがとう!
2009/6/19(金) 午前 0:59