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今日のメッセージはルカ19章1〜10節を取り上げて話ていた。まるで聖書講義かゼミのようなメ
ッセージで私の心の中まで御言葉が響いて来なかった。生活の中への適応が、少しも感じられなくて
自分自身何故か寂しくなってしまった。 こんな事思ってはいけないと思っても、わかっていながら
つい、松沢さんだったら、どのようなメッセージをするのかな?と思ったら寂しくなってしまい、
交わりもしないで、すぐに帰ってしまった。 このブログを見てくれている成増教会の兄弟、姉妹
たち、自分だけかな、こんな風に感じてしまうのは、まだまだ駄目だな!神様を見つめる事が出来な
くて、やっと気持ちが立ち直ったと思ったのに。この世の中にどのように御言葉が生きていて、生活
の中に適応されるのかを求めているのに。・・・・・・
当時、パリサイ人は無学で無知な一般の人々を「地の民」といって軽蔑していました。特に娼婦や
取税人などは、無学で戒めを破る罪深い者として差別し、嫌悪していたので彼達の御国への道は
閉ざされていた。特に取税人はローマの手先として徴税し私腹を肥やしていたので、盗人としてみん
なに軽蔑されていた。 「モーセの律法」はイエスさまの時代では600をこす戒めがあったといわ
れています。日々の生活の糧に追われている貧しき者たちは、戒めを守れるはずがなく。
そういう訳で、御国への道はかたく閉ざされていました。イエスさまはそんな弱き者小さき者をその
律法から解き放なし救いの手を差し伸べる為に彼達の所へ来てくれました。
ザアカイもその一人でした。イエスさまの噂を聞き、彼の心の中は閉ざされて諦めていた御国への道
をイエスさまにすがりたい気持ちがあったと思われる。それは後に、「主よ。ご覧ください。私の
財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして
返します」と言っているのは、自分の犯した罪への改心とイエスさまの救いを受けたい心の現れだと
感じられるのです。みんなから嫌われ者のザアカイは自分からイエスさまにすがる事は出来なかった
ただ一眼でも姿が見たい一心から、でも背の低いザアカイは人の影で見えないので、先回りして、い
ちじく桑の木に登ってイエスさまを見ようとする。そして、イエスさまは「きょうは、あなたの家に
泊まることにしてあるから」と言われる。 私はこのところが一番嬉しい!
ザアカイはこんな嫌われ者の罪人に声すらかけてはもらえないだろう。でもザアカイの心の中には目
を向けて欲しい、声をかけて欲しいという気持ちがあったはずだと思う。だからただ一眼でも姿が見
たい。そんなザアカイにイエスさまは声をかけてくれた、しかもイエスさまはザアカイの心の中を前
から見抜いていて、「泊まることにしてある。」って言うんだよ!こんな嬉しい事はないよね!
私の小さい子供の頃、引っ込み思案で、みんなが先生と楽しそうに遊んだり、話をしているのを仲間
に入れず遠くでよく見ていた事があった。先生が自分に声をかけてくれないかな、気が付いてくれな
いかな思っているのに、でも気が付いてくれず子供心にもすごく寂しい思いをしたことがあった。
イエスさまの愛の深さがここに表れているよね!隠れた影の部分に光をあててくれる慈愛が表われて
いるよね!
それからね、律法の戒めの中には汚れた動物、たとえば豚など、また水の中にいるウロコのないもの
は食べてはいけないとか、一日の食にも事欠く貧しい人たちにとって神の怒りを恐れながらも罪を犯
す者も大勢いました。でもイエスさまはマルコ7章19節に在るとおり、「すべての食物はきよいと
された」これも貧しき者、弱き者へイエスさまの慈しみ、憐みの愛が注がれたことの現れだと思う。
弱きゆえに、小さきゆえに、貧しきゆえに御国への道を閉ざされていた人々の救いの為に地に降りて
来られたイエスさまの栄光に感謝の祈りを捧げます! アーメン!
私達は光のあたるところで無く、あたらないところ、強いところで無く、弱いところに目を向けられ
るような愛を持ち続けたいものですね!
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狼さんが感じる寂しさや味気なさが何となく分かります。
神様のスピリット、イエスさまの何とも言えない温かさを感じたくて教会に集うんですものね。
生き生きとした生命力の溢れる、そんな信仰者とふれあい、交わりたいっていつも思っています。
ザアカイを名指して呼ばれたイエスさまは素敵ですね。
ずっと寂しかったザアカイは、びっくりして、そして温かい思いに満たされたでしょうね。
自分の強さ、豊さ、賢さ、大きさを誇っていた人にはイエスさまが分かりませんでした。
だから、イエスさまは弱い人、貧しい人、小さい人に向かって「神の国はあなた方のものである。」ってはっきり言われたんですね。
イエスさまの眼差しのあるところに立ちたいです。
2009/7/20(月) 午後 4:37 [ - ]
コメントありがとう、ミステリアスさん!
「法然 イエスの面影をしのばせる人」。筑摩書房出版の本を読んでいました。その著者の言葉に「フランスの修道院に入ったけれど、次第に長い伝統を持つ西欧文化の重みに、耐えがたいような息苦しさを感じはじめていった。そして、日本人としての私の血の中に流れているものを大切にしながらイエスの教えをとらえなおさなければ、
決してイエスが伝えようとした真の自由とよろこびは湧きあがっては来ないのだという確信を持つにいたり、七年半の修道院生活を打ち切り昭和三十二年の末の帰国した。」といっている。
2009/7/20(月) 午後 11:23
自分の血の中に流れている「日本人の心」を意識化してみようと思ったと。私も以前から思っていた。日本人のキリスト教の普及率は1パーセントとよく言われるけど、西洋思想、哲学が基盤となっている神学。日本人には日本人のD・N・Aがある、それからくる独特の感性があります。そこに響かせるようなメッセージでないと日本人の心の奥に響いてこないとズーと思っていました。
2009/7/20(月) 午後 11:48
日本人の感性に響くメッセージですね。
アーサー牧師のメッセージをお聞きしたら、必ず茶の湯や利休の美学、新渡戸稲造の「武士道」などを上手に取り入れて話されます。(二度しか聞いていないけど。)
そうすると、日本人としての感性が「なるほど。」って感心するんですね。
嬉しくもあります。
この国は、神から遠い国ではないって。
自然を通して神様を賛美するのがとてもしっくりくるのも、日本人の森羅万象すべてに神が宿るという考えに一致するものがあるからではないでしょうか。
その神々という考え方に、唯一の神様の様々な現れ方だという理解が入ればいいんですよね。
外国に出れば日本人であるという意識が強まると聞きます。
私は韓国人カルトから、「日本はサタンの国であり、歴史、文化、民族性すべてが最も劣悪な民族である。」と叩きこまれ、それに対して抑え切れない怒りがありましたから、なおさら求めるのかもしれません。
2009/7/21(火) 午前 6:57 [ - ]
ミステリアスさんはやはりミステリアスな人ですね!すべてが分かってくださる! 重要なのは「唯一の神様の様々な現れ方」“父、御子、御霊”の神は一つですから! 日本人の感性は欧米人より、繊細な素晴らしい感性を持っています。 侘び寂の世界、茶道然り、武士道然り、華道,また歌道然り、花鳥風月、日本人の自然を愛する感性は西欧人には理解しずらい、素晴らしいD,N,Aを受け継いでいます。
そこには、知らず知らずに優しく神さまと触れ合う独特の感性が生まれてきます。日本人こそキリストの愛を受け入れられる民族はいないと思う、日本人には日本人に対する独特な宣教の仕方があると思います。それが1パーセントでは悲しすぎる!
2009/7/21(火) 午前 8:14
>自分だけかな、こんな風に感じてしまうのは、まだまだ駄目だな!
ヒロさんが抱くそういった疑問や思いは、とても大切なものだと思う。
だって、それがヒロさんの偽りのない心だから。
その部分で、神さまとヒロさんが語り合うほかない。
そして、ヒロさんが語り始める時がきたら、ぜひうちの教会で礼拝メッセージをしにきてください。
2009/7/22(水) 午前 0:50 [ - ]
宮沢賢治とクリスチャンとの接点のお話も記事にしてくださいね!
検索せずに待ってます。(^o^)/
2009/7/22(水) 午後 0:20 [ - ]