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『世の中を 何に喩えん 朝開き 漕ぎ去にし船の 跡なきごとし』 “世の中を 何に喩えたらいいだろうか それは、朝早く港を 漕ぎ出ていった船の航跡が 何も残っていないようなものだ” この世の中をどのように喩えられようか、人生をどのように喩えられようか、一艘の船に喩えて人生の 喜び、悲しみ、楽しみ、辛さ、寂しさすべてを背負い込み、現世の港を船出し、その船の逝くは・・・
来世・・・・。
静かな海を漕いで出て行ったその船の航跡は何も残っていない・・・ただそこには静かな海だけが 横たわっているだけだ。 これほどの無常感があるだろうか。 公園の中を 私が歩いていると、道端に一匹のあぶら蝉がうずくまっていた。死んでいるのかな?と思ってよく 見てみると、だだじっとして静かに短い命の尽きるのを待って居るかのようであった。静かに死を受け 留める小さな虫の姿に私は禅僧の姿を見たような気さえした。 これも無常である。 現世の中では救われるものは何一つも無い。イエス様から命を救われたあのラザロですらまた死は訪れ る、イエス様は言われる、御国に入る事がただ一つの救いの道であると!主である私を信じなさい! あの漕ぎ出て逝った船はどこに去ったのだろう・・・・・ただ、ただ静かな海が横たわるだけ。 |
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「行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず、流れに浮かぶうたかたの、かつ消え、かつむすびて、久しくとどまりたるためしなし。」
方丈記の序文ですがこれも無常感に満ちていますね。
ただ、浮かんでは消えて行く“うたかた=泡”のような儚い存在である私たち一人一人に「私の目にあなたは高価で尊い。私はあなたを愛している。」と語りかけてくださるのが、私たちの主であることがどれほどがどれほど深い喜びであるでしょう。
2009/9/8(火) 午前 9:02 [ - ]
「方丈記」鴨長明ですよね。ミステリアスさんの感受性の源は日本独特な古文の観賞能力っていうのか、西欧的な直接的な表現ではなくて
日本人独特の隠されたところの感情を読み取っていく能力と言うのか、うまく言えないんだけれど、そのような気がする。繊細な感受性を持っているんだろうな・・・。「無関心」の中の青年に思いをかけたミステリアスさんの心はその感性の現れのような気がする。詩編119章18節の祈りには、そういう感受性が必要なんだよ!鈍感ではいけない。それが優しさになり、思いやりのある暖かい眼差しになるんだ。
2009/9/10(木) 午前 0:22