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その方は十一月二十二日の主日礼拝の日に召されて逝きました。その方は労苦を惜しまず、喜んで人の為に尽くすような人でした。いつも奥さんと子供さんたちを車に乗せて教会へ来ていらっしてた。クリスチャンでもないのに良く教会の仕事を手伝ってくれていました。何もしてない私はいつも頭の下がる思いで彼を見つめていました。
奥さんは深い信仰と芸術的才能を持った方で、いつもその美しい歌声で特別賛美や賛美リーダーとして今も活躍されています。(クリスマス・コンサートにも出演されます。)
ご夫婦共に、松沢牧師を愛して下さり、彼を通して語られたイエス様を何よりも愛されている様なご夫婦でした。 松沢牧師が世間から誹謗中傷を受けていた時も私が松沢牧師の話しをすると、真剣に聞いて下さり、世間の誹謗中傷に揺るがされる事無く松沢牧師を愛してくださいました。それから暫らくして彼は洗礼を受けてクリスチャンになったのです。奥様の信仰が彼を導いていったと思います。
体の具合を悪くなさってからも、痛い足を引きずりながら、杖をついて、礼拝にこられていました。癌が進行していって、坐って居られなくなっても、談話室のソファーに横になって放送されているメッセージに聞き入っていたのが思い浮かびます。
礼拝後、私達のいるところへ牧師さんがいらっしゃって彼の為にお祈りをして下さいました。牧師さんの手を握り締めて「体が動けるようになったら、イエス様の為に何でもします!」という彼の姿を見て、神の救いはこういうところに現れるんだなぁと感じた。
今まで私たちは信じる、信じるとは言うものの、これほど一心に神にすがった事があるだろうか?
そこには、教理も何もいらない!理屈も何もない!
神が私たちに求めるものは、この一心に神にすがる信仰だけだと彼をみて感じさせられた。
イエス様は彼を御国へ導き入れてくれた事を確信します。
彼は私達に大いなる恵みを残してくれました。・・・・一粒の麦となって。
地に落ちて死ぬ(かつて生きた世界のすべてのものに別れを告げる)
・・・・・そういう一粒の麦となることを
もし拒否するならば、
その時わたしは
カルバリの愛をまったく知らない。 エミー・カーマイケル
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こんばんゎ〜!!!☆^^♪
☆ 美笑

私は松沢牧師のことはそれほど知りませんが、松沢牧師の信仰もその方と同じ一心にすがる信仰の持ち主だったんですね。
そして、彼も大いなる恵みを残して召されたんだということなのですねっ
イエスさまの御名で、そうだと信じます。
2009/12/10(木) 午前 0:44