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銀河鉄道の夜
銀河鉄道は白鳥座の北十字星から南十字星への天の川を走る旅です。物語はケンタウルスの祭りからはじまるジョバンニとカムパネルラの話です。ジョバンニは知らないうちに乗っていた銀河鉄道の客室でケンタウルスの祭りで別れた親友のカムパネルラと出会います。
北十字星の輝く白鳥座の駅を出発して、そこから美しい宝石を散りばめたような景色を銀河鉄道の車窓から身を乗り出すように二人は眺めて行くのです。
りんごと野茨の香りとともに背の高い青年と小さな姉弟が現れます。しばらく行ってからジョバンニは赤く輝く光を見つけます。
それは蠍座の赤く燃えている火でした。女の子はジョバンニにお父さんから聞いた赤く燃えている蠍の話をきかせます。
「蠍いい虫じゃないよ。・・・・・・」ジョバンニは言います。
「そうよ。だけどいい虫だわ、お父さんがこう云ったのよ。むかしのバルドラの野原に一ぴきの蠍がいて小さな虫やなんか殺してたべて生きていたんですって。するとある日いたちに見つかって食べられそうになったんですって。さそりは一生懸命逃げて逃げたけれど、とうとういたちに押さえられそうになったわ、そのときいきなり前に井戸があってその中に落ちてしまったわ、もうどうしてあがれないでさそりは溺れはじめたのよ。そのときさそりは斯う云ってお祈りしたというの、
ああ、わたしはいままでいくつのものの命をとったかわからない、そしてその私がこんどいたちにとられようとしたときはあんなに一生懸命にげた。それでもとうとうこんなになってしまった。ああなんにもあてにならない。
どうしてわたしはわたしのからだをだまっていたちに呉れてやらなかったろう。そしたらいたちも一日生きのびたろうに。どうか神様。私の心をごらん下さい。こんなにむなしく命をすてずどうかこの次にはまことのみんなの幸のために私のからだをおつかい下さい。って云ったというの。
そしたらいつか蠍はじぶんのからだがまっ赤なうつくしい火になって燃えて夜のやみを照らしているのを見たって。 いまも燃えているってお父さんおっしゃったわ。ほんとうにあの火がそれだわ。」
そして列車はケンタウルス座の近くにある南十字星に着いた。
みんなはあの北十字星のときのようにお祈りをはじめ、「ハレルヤ、ハレルヤ」の明るいこえがひびき、そらの遠くから何ともいえずさわやかなラッパの声をきいたと書いてある。
やがて青年と姉弟は知らないうちにあの十字架の前の天の川にひざまずいて、その見えない天の川をわたって一人の神々しい白いきものの人が手をのばしてこっちに来るのを二人は見た・・・・。
いつしかカムパネルラもジョバンニの前からすがたを消してしまう。
ジョバンニはケンタウルスの祭りでカムパネルラと別れて丘の上で眠っていたのであった。その眠りから目が覚めたジョバンニは、友達を助けて自らの命をささげたカムパネルラの死を知るのである。
ジョバンニの見上げた夜空には蠍座の赤く輝く星がうつくしくきらめいていた・・・・・。
ザーとした、あらすじはこんな事です。
いつも思わせられる。宮沢賢治は何故このような話しを書いたのだろう・・・。
この話は1925年ごろから1931年まで3.4回書き直されている。1931年はあの「あめにもまけず・・・」の書かれた年です。なにかのつながりを感じてなりません。
あの蠍の祈りのように、自らの命を友の為に捧げたカムパネルラ!
一人の神々しい白いきものの人が・・・・・。イエス様の姿にちがいない!
青年が去る時の会話に
ジョバンニは女の子を引き留めたい一心で「そんな神様うその神さまだい。」と言います。
「あなたの神さまってどんな神さまですか。」と聞く。
「ぼくほんとうはよく知りません、けれどもそんなんでなしにほんとうのたった一人の神さまです。」
「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」
「ああ、そんなんでなしにたったひとりのほんとうのほんとうの神さまです。」
「だからそうじゃありませんか。わたくしはあなた方がいまにそのほんとうの神さまの前にわたくしたちとお会いになることを祈ります。」青年はつつましく手をくみました。
「ほんとうの神さまはもちろんたった一人です。」
賢治は2年後の9月21日に神さまに召されました。何回の書き直されている「銀河鉄道の夜」。1931年には賢治は身体の不調を感じはじめ遺書を書いていた事を考えると心の奥深く決するものがあったように思われて、法華経の人と言われる宮沢賢治のミステリアスを感じてなりません。
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福音を知るって何をもって言うのかと思います。
賢治は神の呼びかけを感じていたのだと思われてなりません。
「私は救われていて、あなたは救われていない。」と線引きをするクリスチャンに、
「まことの幸いのためにこの身をお使いください。」と祈るこの心を問うてみたい…。
福音書にあるではないですか。
「わたしには、この囲いに入っていないほかの羊もいる。その羊をも導かなければならない。その羊もわたしの声を聞き分ける。」(ヨハネ10.16)
教義や神学を無視して感じるままに。
2010/4/20(火) 午前 8:22 [ - ]
野の花さん!返事おくれてごめんなさい!私たちは幼子のような純真な心をもって神のまえに立ったなら、神さまは「親が子にすべての愛を注いで育ててくれる」ように、神さまは私たち幼子を主のあわれみの愛をもって豊かに注がれ育ててくださいます!
そう!感じるままに!ありのままの自分でいいんだよ!自分から変わる必要はないんだよ!主のあわれみの愛に甘えなさい幼子のように!
主がすべてを変えさせてくださいます。
2010/4/25(日) 午前 9:20
宮沢賢治の童話に白い象のお話があるんです。(タイトル忘れた。。。)白い象が虐げられるたび、マリア様にお祈りするんです。法華経の人なのに。。それから「どんぐりと山猫」、「誰がいちばんえらいか」と争うどんぐりたちに、「この中で一番バカでマヌケでどうしようもない奴が一番えらいんだ」と一郎た言ったら、どんぐりたちがシーンとしてしまった、というお話、大好きです。
2010/5/9(日) 午後 8:43
子ろばさん!それは「オツベルと象」ですね!宮沢賢治という人は本当にミステリアスな人です。超越した感性を持っています。賢治のように幼子の様な純粋な素直なこころでものをとらえていくと、そこにはもう、理屈を乗り越えた只一つの世界しかありません。それはキリストの愛です。宗教に拘っているとキリストの愛は見えてきませんね。
2010/5/10(月) 午前 1:00