荒野の狼

気張らずにありのままの自分でいよう。

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祈り
 
      
                                                       Native American


おお、大いなる精霊よ、その声を、私は風の中に聞き、
 
その息吹は、この世界のすべてにいのちを与える、
 
大いなる精霊よ、私の祈りをおきき下さい。
 
私はあなたのまえに一人の人間として、あなたの多くの子供たちの一人として立っています。
 
私は小さく弱い。私にはあなたの強さと知恵が必要です。
 
どうか私を美の中にあゆましめ、赤々と焼ける夕空をいつまでも見守らせてください。
 
私の手が、あなたの創ったすべてのものを大切にし、
 
私の耳が、あなたの声をききもらさぬようにさせて下さい。
 
あなたが私たちにお教えになったことども、
 
 一枚の木の葉、一つの岩の下にもあなたがそっとひめた教訓の数々を知ることができるように、 
 
私を賢明にして下さい。
 
おお、私の創造者よ、私は強くありたい。
 
私の仲間にうちかつためにではなく、
 
私の最大の敵、私自身とたたかうことができるように。
 
汚れのない手と、まっすぐなまなざしをもっていつでもあなたのみもとに行くことが出来るように、
 
やがて、私のいのちがあの夕焼けの空の色のように消えるとき、
 
私のたましいが、なんの恥じ入るところもなく、
 
あなたのみもとに行くことが出来るようにさせて下さい。


私は結婚する前にアッシジの聖フランシスコに導かれ、カトリックの洗礼を受けた。
その後、私はアメリカ・インディアンの精神に触れ、彼ら先住民族の方たちが如何
に「与え尽くし」に生きた民であるかを、創造主の教えを如何に忠実に守りぬいた
民であったかを感じるようになっていった。彼らが持つ崇高な精神文化を知れば
知るほど、そして2000年もの間、キリスト教が犯してきた人間・環境破壊を思うに
つれ、私が歩く道はいつしか彼ら先住民族の視点という灯台に導かれているのを
感じている。確かにキリスト教でもカトリック第二バチカン公会議から、積極的に
異文化の中からも神の霊性を感じ取ろうとしている。しかし、今の私は、何故この
ことに気づくまでこれほどの長い歳月をかけなければならなかったという疑問が、
頭から離れないでいる。この2000年もの間に、どれだけ多くの方たちの魂を破壊
し、生命の糧を奪い取ってきたか。どれだけの血と涙が大地に吸い込まれてい
ったのだろうか。三位一体の互いを与え尽くす神の姿は失われ、教義の解釈に
よる分裂が延々と続けられてきた。常に七世代先の世界を考えて今を生きてき
た先住民族の方たちとは対照的に、キリスト教の世界観は創世記から終末まで
一直線に描かれており、未来の世界・人類に対しての責任など全く顧みられる
ことはなく、その責任と義務をすべて放棄してきた。勿論キリスト教の歴史の中に
おいて、アッシジの聖フランシスコに代表される聖なる輝きが幾つか輝いている
のも事実である。しかし、その聖なる輝きが先住民族の方たちの殆どすべてに
共有されていたことを私たちはどのように受けとめなければならないのであろう
か。聖書という文字を持たない彼らが、何万年も守り続けてきた現実をどのよ
うに理解したらいいのだろう。彼ら先住民族の方たちは万物を通して創造主の
息吹に触れていた。そしてそこにはいつも、喜びと感謝と祈りが横たわってい
る。万物の声を聴くこと、この深い沈黙のうちにしか聴けない声に導かれて、
彼ら先住民族の方たちは創造主の息吹に触れ合ったのである。文字によら
ないこの出会い、この出会いが彼らの魂にしっかりと刻みこまれていったので
ある。私は弱い人間である。まして真理を語る資格などないのだろう。ただ、
私はこの真の求道者達の言葉に耳を傾けたい。そして今でも心の片隅のど
こかに残る三位一体という互いを与え尽くす神への畏敬を抱くものとしてアメ
リカ・インディアンの精神をこの世から失うことだけは、絶対ゆるされてはなら
ない。一人一人が深い沈黙のうちに存在そのものと向き合う姿勢なくして、
どうして真理を語ることなど出来ようか。自分のまなこにフィルターをつける
ことこそ真理への冒涜であり、神への反逆である。たとえそのフィルターが
聖典と言われるれるものであっても、それが存在そのものの重みを覆い隠す
ものであり続けるならば、、その眼には決して聖なる輝きは映し出されること
はないだろう。この2000年もの間、キリスト教が徹底的に破壊してきた先住民
族の豊饒な精神文化とキリスト教の真髄が相交わり、聖なる輝きを放つ次元
が果たして存在するのか今のわたしには見えない。だが、その探求なくして
私の今歩むべき道はないと感じている。
1998.10/3


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『シモーヌ・ヴェイユの言葉より』
 
私は、イエス・キリストを信じています!
でも、キリスト教と言う宗教の中にはイエスさまは居ない!
あらゆる宗教を越えた全ての上にイエス・キリストの真理は輝いている!
 
私はシモーヌ・ヴェイユの言葉に深い感銘を受けました。
 




私たちや、私たちを取り巻く環境は皆、自然の一部である。
すべてが命のつながりの中で生きていて、互いが互いを必要としている。
環境を大事にすることは、自分自身を大事にすることなのだ。

鷲やビーバーは、幾千年間同じ形で生をつないでいる。
 七世代先の人々のことを考え、自分たちが受け継いだ生き方を子供たちに伝えよう。 

滝の音や燃える火に心を傾けること。
幼い子供に話しかけること。
草木の生命に思いを馳せること。

それらは偉大な精霊と交わることである。

私たちを含めて、すべてが地球の住人なのだ。
空気、太陽、火、水、土 ------- すべては所有することができない。

偉大な精霊を、どうやって所有できるというのだろう。

火は、私たちが生きていくうえで欠かせないものである。
火は暖かさを与えてくれるだけでなく、生きる指針も与えてくれる。
火と対話しよう。

水や雨を大切にしよう。
水は私たちの考えを浄化してくれる。
雨は空気を浄化して、地の渇きをいやしてくれる。
私たちは水や雨なしでは生きられない。

地球にあるものは皆、それぞれ存在する意味と役割をもつ。
自然の音に耳を澄ませば、自然は私たちに色々なことを教えてくれる。

鳥の鳴き声に耳を澄ませば、自分の心がわかってくる。
魚の泳ぎに目を向ければ、自分自身の答えが見つかる。

花には生命を絶やさないようにするという役割がある。
花の美しさや色にもそれぞれの役割がある。

目標に向かう私たちに力を与えてくれ、未来への夢を広げてくれるのである。

目がないから見えないとは限らない。
耳がないから聞こえないとは限らない。
鳥、魚、花、木、すべてが私たちの話を聞いている。
彼らに向かって心を込めて話すこと。

寒い冬の日に、木々が話をするのが聞こえてくる。
私たちや、私たちの未来について話している。
いつでも木々を敬うこと。

木の枝がなければ花は咲かない。
木があってこそ森になり、その美しさも生まれるのだ。
なぜ木を倒したり、森を破壊したりするのだろう。

木は私たちに生命の息吹を与えてくれる。

鷲、鹿、ビーバー、すべてが自分たちの流儀で生きている。
それぞれがビジョンを持っている。
肝心なのは、他人をまねることなく自分自身のビジョンを持つことだ。

夢は私たちにストーリーを語り、ビジョンの源を与えてくれる。
私たちが得たビジョンは、また他の人の夢となる。
人々に良い夢を見せてあげることだ。

ひとりひとりの画家は夢をもっている。
一枚の絵には、何かが隠されている。
画家の語りかけに耳を傾け、自分たちと結びつきのある話を聞こう。

太鼓の音や人々の歌は、私たちの心臓の音だ。
私たちの心臓の音は、いつでも宇宙の鼓動を映している。
歌を歌いたくなくなったり、太鼓を打ちたくなくなれば、
誰も私たちの鼓動に耳を澄まさなくなるだろう。

知恵の種は、私たちの中心にある。
自分自身の中心に、汚れのない思考とよい水を与えること。
そうすれば、閉じた中心が開いてきて、知恵の実を結ぶことだろう。

私たちの未来は過去にある。
時は流れているのだから。

日々くりかえす行いこそが生活であり、文化を伝えることである。
年長者から知恵を学ばなければならない。
そして、それを実行しなければならない。

一日一日を生きていくことが、生きる目的なのだ。
日が暮れてしまったら生きる目的を失う、というわけではない。

年を重ねてから、幼いころのことや仲間のことを思い返す。
眼にも胸にも涙が浮かんでくる。

そんな時、人は幸せを感じ、その尊さを知る。


デニス・バンクスの言葉
 

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お久しぶりです。
シモーヌ・ヴェイユの言葉が素直に、感動的に心に響きます。
何度全的堕落の話を聞こうと、この言葉の方が響くんです。

2011/3/2(水) 午後 5:18 [ - ]

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野の花さん!
元気にしてますか?
のぞみ教会のメッセージで『愛の負い目』というテーマで御言葉が語られました。私は今どうしても許せない!愛せない人がいます。
この御言葉から
ローマ書13章8 『 だれに対しても、何の借りもあってはいけません。ただし、互いに愛し合うことについては別です。他の人を愛する者は、律法を完全に守っているのです。』

神さまからの愛を受けている私たちは全ての人たちにその愛を返さなければならない負い目を受けているのです。その愛こそ福音を伝える使命・負い目を持った愛であると思います。

2011/3/2(水) 午後 8:22 荒野の狼

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ルカ6章32〜33
『6:32 自分を愛する者を愛したからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、自分を愛する者を愛しています。
6:33 自分に良いことをしてくれる者に良いことをしたからといって、あなたがたに何の良いところがあるでしょう。罪人たちでさえ、同じことをしています。』
この御言葉が私のこころに響いてきました。

愛することの出来ない人を愛することが出来るように努力することは、そこに相手ではなく、自己との戦いがある、自分自身との戦いがある、それに打ち勝つ事によって神の愛に触れる事が出来るのですね!

2011/3/2(水) 午後 8:38 荒野の狼


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