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上杉鷹山にキリストの面影を見る
ある日、中川牧師,経由で一つのDVDが野の花さんから送られてきました。
観てほしい作品なのでどう思われたか感想が知りたいという事でした。
上杉鷹山・・・・高山右近なら分かるような気もするけれど?
少し困惑しながらも、とりあえず観て見ることにしました。
冒頭のシーンから思わず気を惹きつけられた思いで観入ってしまいました。
それは、幼少の鷹山が折衷学者・細井平州に教えを受けるシーンから始まります。
細井平州は幼少の鷹山に『学問とは世の為にならなくてはならない。朱子学は学問の学問になってしまっている。言葉の遊びになってはいけない。』と教え諭すところから始まるのです。
私は野の花さんに次の様なメールを送っています。
『最後まで涙が止まりませんでした。上杉鷹山、私は良くは知りませんでした。こんな人が日本の歴史の中に生きていたのを知って感動と嬉しさで一杯です。
DVDではありますけれど、物語は大切なことを教えてくれました。聖書を読んでいるような気持ちになって観ていました。上杉鷹山の中にキリストを観た思いが絶えません。
冒頭の学問とは何かを教わるシーンは物語のすべてを語りかけています。
『学問とは世の為にならなくてはならない。朱子学は学問の学問になってしまっている。言葉の遊びになってはいけない……』確かに確かに・・・・・・善い師につくことは如何に大切かを問われる。
難しく語るより、より分かりやすく語ることの方がいかに難しいか、それは本物がそこになければ語れないんです。
言葉の遊び、言葉の空回りになってはいけないんです。
内にキリストが生きていなければ、香りがしなければ、温もりがなければ・・・・・・・・。
上杉鷹山の中にそれを観ているような気がしました。』
今の、キリスト教界に例えると「福音とは世の為にならなくてはならない。神学は神学の神学になってしまっている。言葉の遊びになってしまってはいけない。」と言えるかも知れないのです。
頭の中でキリストを知り、頭の中のキリストを語るそれが福音だと思い込んで伝道するから、聞く人たちにはいっこうに響いてこない。
アーサー・ホーランドはよく言う。『お前たち!お前たちの生きざまを示せよ!生きざまの中で触れたキリストを現せよ!』
キリストはドロドロとした現実の中に居る。そのドロドロとした現実の中でキリストに触れた人の語る福音は深みがあり人のこころに響きわたる。
現実という社会に翻弄され、苦労してきた人の中にキリストの面影を見ることがよくある。でもその人はキリストを知らない!
生活を支えなければならない為に世間から外れた仕事をしなければならない人もいる。身を汚さなければ生きて
いけない人もいる。礼拝に出たい、でも現実には汚れた仕事をしなければならない。
ある人が牧師に相談した。その牧師は「そのような仕事は早くやめなさい」と言ったという
。頭の中で語るキリストの愛だからこんな安っぽい愛しか語れない。
キリストの愛とはそんな安っぽいものではない。そこに神のパラドックスがある!http://upload.wikimedia.org/wikipedia/ja/thumb/4/4d/Mt.Shirataka.jpg/300px-Mt.Shirataka.jpg
わたしは福音を語ることとは、まずその人の中にキリストの愛に触れられた真実があること、それがキリストのまなざしとなって溢れ出ることだと思うんだ。そしてドロドロとした人間の生身を通して語られるからこそ福音の素晴らしさがあるような気がする。啓示とはちがう福音の素晴らしさはそこにあると思う。
ドラマの概要
上杉鷹山 二百年前の行政改革
江戸時代、歳入の三倍にも膨れ上がった赤字を抱え、幕府への領地返上もやむなしとされ、瀕死の状態にあった藩をよみがえらせた米沢藩主・上杉鷹山。
保守はの重臣たちの激しい反発にさらされながら、下級武士や領民とともに次々と改革を行った鷹山の功績を追った人間ドラマ。
鷹山は貧しく、虐げられた弱気者たち、小さき者たちに手を差し伸べていく様は正にキリストの面影を見る思いがしました。
さて、鷹山が国元・米沢藩に初めて国入りする時(養嗣子だったので江戸に住まい米沢には行っていなかった)
国は荒れ果て、出迎える領民の目には希望を失くした絶望した力ない姿があった。
鷹山は手元の暖をとる為の小さな火鉢(表紙で手に持っている物)に目を向ける、と!そこに灰に覆われた中に小さな火種を見つける。
この消えかかった火種も小さな積み重ねによって大きな火となることに注目して、改革に取り組んでいく。
野の花さんはまたこのようなメールを送ってくれました。
『…あの時は、途中までぼんやり観ていたんです。
国入りの場面で「山も川も土も皆死んでいた。 何より、そこに住む人の表情が死んでいた…。」 が突然リアルに迫って来ました。 私の過ごして来た世界の姿だったから。希望がなくて、死んで澱んだ目をしていましたから。 『灰の中の火種』に胸を打たれました。それを心に探しました。 本当に、神様がふっと息を吹きかけてくださったようでした。 今観ても福音の香りがしますね。 これが必ずしもノンフィクションでなかったとしても、あの日あの時、私を灰の中から引き出し、教会へと向かうよう押し出してくれたことに変わりはありません。』 今、統一協会から脱しきれず苦しんでいる人、家族を捕られて苦しんでいる人、又、野の花さんのように自力で抜け出ても希望を失い、無気力な生活をしている人たち。
野の花さんは聖書を読むのが怖かったと言います。フラッシュバックの恐怖にさらされての生活。
しかし、普通の人ではなんでもない、このドラマのワンシーンが教会へ向かわすきっかけを作ったのです。
神は正に野の花さんの目をそこに留めさせ力をあたえてくれたのだと思います。
ですから野の花さんは、統一協会に苦しむ人たちのことをこころの底から心配しています。
その苦しみを経験してきた人でなければ、分からない事が多くあるのでしょう。
泣きながら私に訴えてくる時さえあります。
こんな人を心無い人は悪魔の使い魔女と言う人がいました。
心ある人ならば、どちらが悪魔でどちらが魔女なのか分かるはずですから何も言いません。
自分だけの世界で、再臨主などと名乗るのはいいでしょう。 純粋な人を巻き込むのだけは止めて貰いたいものです。
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おはようございます。私もそれ、見ました。すごいいいです。「ひとつぶの種」をまく、という事を深く考えさせられました。「火種」の大切さ、イエス・キリストは天の父なる神様を通して、ずっと、何千年も温められてきた「火種」だったのでしょうね。この世の人が全て、主の救いを受けるまで、それは今なお、冷えた地で温め続けられている…。 そんな気もする、今日この頃です。
「時」を経て、必ず成される、主のみわざ。私たちはそれを見い出すために、希望を捨てきれず、あきらめることなく、神様と共に立ち向かっていきたい、と私はそう思います。
そして、「ひとりのたましい」を大切に育てあげるその素晴らしさを、救い主、主イエス様と共に体験し、味わっていきたい、と何だかまだ見ぬ新しいビジョンを抱き始めているような気がします。
私も、この作品を皆さんに見てもらいたい、と強く思っています。神様の成さったこと、人々への静かだけど熱い思いを、多分、受け取ってもらえるのではないかな、とこの作品の素晴らしさに期待をしているのです。(…うまく、言えない。すみません)
主の平安が、今日もありますように。在主。ふろーらる。
2011/8/14(日) 午前 7:59 [ flowral9184 ]
フローラルさん!
この間、アーサーと会って色々話したのですが、
その中で、「日本の伝道ってキリスト教を伝道しているから人の心に響かない、キリストは魅力的な存在なのにキリストに触れる事が出来ない。むしろ、絶望と苦しみの中で真のキリストに触れた人はその生きざまの中に魅力あふれる存在になっていく、その人から語られる福音こそ聞く人のこころを捕らえていく。」
今、新たに考えさせられました。
神学、神学に拘っていると大切なものを見落としてしまうような気がします。神に触れることは豊かな感性の賜物であると思います。
2011/8/15(月) 午前 0:53
《上杉家経営》
米沢30万石減封へ:執政・直江兼続の智政により、実質51万石に増やす。
(城下拡張と平行して、城下を洪水から守る治水工事「直江石堤」、城下・城下町に用水・薪材を供給する堰の開削の指揮。
荒地開墾(下級武士)、殖産興業を指示(越後から持ち込んだ織物「青苧」や桑・紅花・金山など殖産興業の指示)
兼続公は、「国を成すには人を成すを似てす」の通天存達和尚の教えを元に、移封後も仕官を希望する武士の召し放しをせず、共に国造りをした。
更に、後の鷹山の学問所の元になる「禅林文庫」を設立。
懇意にしていた京都の僧侶・南化玄興和尚などから写筆したり譲られた貴重な本を多数使用(「宋版史記」は国宝指定)。
更に私財を投じ、日本初の銅版書「文選モンゼン」[直江版]を出版(市立米沢図書館所蔵)。大いに武士の学問に力を注いだ。
2011/12/5(月) 午前 6:44 [ 知って下さい ]
(続き)
そして、滋賀や堺(大阪)から鉄砲職人を雇い入れ、白布温泉に隠し住まわせ、幕府に知られないように鉄砲製造を行った。
(1000丁加増計2000丁、大砲20など)
そして指南書を書き、武芸も奨励し、武家の習いと防衛に務めた。
後の中興の祖と仰がれる藩主・鷹山も、過去の兼続公の施策を模倣したと言う。
尚、よく言われる上杉家自身での問題で、経済的に困窮したと出回る俗説は間違いである。
三代藩主・綱勝が世継ぎを残さず早世した為、幕府から録高を半分の15万石に減らされた為と、
当時、浪人が多数いて問題になっていた為(由井正雪の乱)の影響と、保科正之(綱勝の室の父)の指示があった為に、召し放し(リストラ)が出来なかったのが本当の理由。
※参考文献…専門書「直江兼続」(高志書院より出版)や、(上杉家所蔵)『歴代古案』書状など。
他にも、[図説]『直江兼続 人と時代』(米沢市上杉博物館より刊行)に詳しい。
2011/12/5(月) 午前 6:47 [ 知って下さい2 ]
へ〜!
ありがとうございます!
素晴らしい人物には変わりないですね!
『尚、よく言われる上杉家自身での問題で、経済的に困窮したと出回る俗説は間違いである。
三代藩主・綱勝が世継ぎを残さず早世した為、幕府から録高を半分の15万石に減らされた為と、
当時、浪人が多数いて問題になっていた為(由井正雪の乱)の影響と、保科正之(綱勝の室の父)の指示があった為に、召し放し(リストラ)が出来なかったのが本当の理由。』
これは真実性がありますね!納得しました。
これはあくまでもドラマですからフィクション性は避けられないことですが、この現代に於いて、一人の悩める人間を救った事は、事実ですから、上杉鷹山は素晴らしい人には間違いありませんね!
2011/12/6(火) 午後 5:38