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牧師の遺言とその母
風の唄
[ インマヌエル ]
2018/6/12(火) 午前 3:31
松澤牧師最後の祝祷
風の唄
[ Aya ]
2012/10/29(月) 午前 7:36
こんにちは。川越の教会で一度「松澤先生と出会って深く救われたんです」とお話しさせてもらった者です。あの時はありがとうございました。松澤先生の祝祷がきけて、感動しつつ、先生の声を落ち着いて聴けるようになったんだなぁと、心に染み入ります。「愛だよ、愛」と首を右側に傾けて訴える姿が目に浮かびます。昨日夕方から川越スカラ座の「灰野敬二」のドキュメンタリー映画観てきました。ポスター観て「行かなきゃ」と思ったので。灰野さんに失礼ですが、私は今まで全然知らなくて。彼は、小さい頃から川越の教会に行っていて、祈られてる人だったんですね。自分の声や音楽、つまりは感性を大切にすることが半端ない方でした。ご本人と亡くなられた仲間(親友・・)のツナガリや、訴えておられることが、松澤先生と同じ匂いがして、上映後のライブ終了後のサイン会の時、思わず「松澤秀章」という名前と教会名、感想をメモしたクリスチャン新聞を渡しちゃいました。灰野さんは、深海魚のような方でした。「えっ、こんな牧師いるの?」と言っておられました。親友の方の画像が、松澤先生に特に似てて。とにかく、神様は、深いご計画を着々と遂行されていますね。
松澤牧師最後の祝祷
風の唄
以下はフェイスブックに載せたコメントデス
このメッセージを聞いていると彼が死んだあとの教会に対して不安を感じているところが強く伝わってきます。松沢さんがよく言っていました。小林先生から言われた。「兄弟!役員なんかやるもんじゃない」って小林先生も辛い思い、悔しい思いをなされた事があったらしく、松沢さんによく言っていたそうです。役員によってその教会は良くも悪くもなります。ある時ある古参の役員に「それ少し違うんじゃないの」と言ったら「これは、役員会で決まったことですから」ときっぱり言った。「マルタとマリヤ」のたとえ話のように、何が教会の在り方として大切なのか、が分かっていない。神の教えであるべき教会が知らず知らずの内に人の教えの教会になってしまう。教会経営の人の教会に堕落してしまう。 マタイ15章8節にこのような御言葉がある! 『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。
15:9 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』
松澤牧師最後の祝祷
風の唄






