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慈悲の愛
風の唄
慈悲の愛
風の唄
弟子に、あなたの母です、。と御自分の母をたくし、貴女の子は、、これからは、この弟子ですよ。と、、
御自分が亡きあと、、御母の老後をイエス様はとても心に掛けて案じておいでであったということ、、。
とても、、御母マリアを母として愛していらした、イエス様、。
イエス様が、、十字架上でまで、、心を砕き最後の最後まで心配して愛して居らした御母、、。
イエス様がそこまで深く愛されていた御母マリア、、イエス様の弟子である私たちクリスチャンがイエス様のように御母を大切に想い愛したからといって罪になるとは思えません。逆に退けていたら、、イエス様は、、御自分の愛している母がないがしろにされているのをご覧になられたら、、悲しむと想うのですけれど、。
慈悲の愛
風の唄
慈悲の愛
風の唄
礼拝と、崇敬は違うのですね。
カトリックの方々はちゃんと分けて考えておられます。見かけで判断し誤解されていますが。
父なる神様(礼拝)←イエス様(神様の御子、神様へのとりなしを願うお方)←御母マリア、聖人方(イエス様へとりなしを願うお方)←自分。
御母マリア、聖人方とは自分の生きてる兄弟姉妹に一緒にお祈りをして下さい、とお願いするような感覚でイエス様にとりなして下さいと願っておいでなので心の在り方としては偶像礼拝ではないです。
神様への取り次ぎはイエス様しかお出来にならないと理解されているので。
御母マリアや聖人が、神様にとりなしをするのではなく、彼らが主と仰ぐイエス様にとりなしをお願いするのです。
立場的には先んじて信仰を全うして帰天された兄弟姉妹に、彼らのお傍においでのイエス様にとりなして下さい、とお願いをしているのですから偶像礼拝では無いですよね?
自分も彼らのように信仰を全うしたいと憧れを持って尊敬の想いを持っているのは信仰の先輩という意味での目上に対する心の礼節で、麗しい事と私は思っています。
礼拝されるべきは父なる神様です。
慈悲の愛
風の唄
[ みやこやみ ]
2011/11/19(土) 午後 2:32
慈悲の愛
風の唄
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[ みやこやみ ]
2011/11/18(金) 午後 6:44
慈悲の愛
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[ みやこやみ ]
2011/11/18(金) 午前 6:01
慈悲の愛
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