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[ 流 ]
2011/10/14(金) 午前 11:01
正攻法はただ一つ、キリスト教会として正しくあること。一番大切なのは隣人に寄り添うこと。・・・・聖書に書かれてあるでしょう。私が友の裏切りの痛みと胸と背中を突き抜ける痛みとにのたうち廻っていたから、中川さんは寄り添ってくれたのです。痛いね、辛いね、苦しいよね・・・、怨みたくもなるよね・・・。私なりに痛みの中で、マリアで否定してきたイエスを肯定するために出てきた言葉が十字架を背負うであり、聖書を知らない無学な私が辛うじて知るキリスト教の象徴である十字架を楽にしてくれるために口にしてくれたのです。すなわちより幸せのために試練も与えて大切なことを教えてくれる神様のことだったのです。イエスはその極めに立たれた方でしょう?精読してある貴方には、底が浅く思われたでしょうが、浅学な私に付き合って下さったからです。痛みと苦しみと悲しみを否定されさらに苦しんでいたところから、それらを肯定して助けて下さいました。そういう流れの中でクリスチャンにとっては十字架はより重いものだということは中川さん自身がお分かりになっていますが、あの言葉は無知な私のところまで降りてきてくださったからの言葉です。
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2011/10/14(金) 午前 10:58
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2011/10/14(金) 午前 10:49
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[ 流 ]
2011/10/14(金) 午前 10:43
私と中川さんはリアルタイムで、マリア達の与える苦しみと向き合いしながら胸を痛め疲弊していました。普通なら話して筋道を立てていけば、普通の人ならわかる話が彼らには全く通用しない・・・。それは聖書を読むことでの特権意識で対応されるから。 トラウマとしてはそうです。トラウマです。ましてやこちらがキリスト教も聖書も知らないことをいいことにそれで責められてきた・・・。ネット人格とは相手を思いやらないところに生まれてきたものです。じゃそんな迫害は許されるものでしょうか?キリスト教なら何をしても許されるのですか?私はキリスト教にもっといいイメージを持っていたし、そんなふうに戦うものではないとやはり思います。私は今、本来は休んでいたかった。やっと四年の重い荷物を下ろして、ちゃんと神様の望む本来の生活に帰れると思っていました。統一に入った方はその「機」がある・・・。中川さんがマリアを完全否定しないのは彼女の人生の傷を見ているからです。私もそれを理解しています。野の花の傷もちゃんと見ています。ただ議論で戦うことをすれば、これまでの私に対する相手の出方通り、中川さんはより窮地に立たされます。
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2011/10/14(金) 午前 10:35
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2011/10/14(金) 午前 10:24
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[ 流 ]
2011/10/14(金) 午前 10:23
お産が終わり胎盤が外に出された瞬間、まるでそれまでの人生の全ての汚れが一緒に出たように、私は祝福され生まれてきたことを思い出し、人として生まれてきたこと、女として生まれてきたこと全て意味があり、それまで味わったことのない全ての存在を愛しく思うような多幸感に包まれ、自殺したかったところから救われたのです。厳粛な空気の見えざる存在がグレートソウルや神様としか言いようがない存在だと思えました。神社にただ健康に産みたい子供を無事に生めるようにと祈ったこと以上のギフトを神は与えて下さいました。その神様に出会っていたからこそ、ただ我田引水なものを認めるのがマリアの神様であり、イエスであるのなら、苦しみのただ中にあった彼女にイエスを捨てよと言ったのです。思えば神様は子供を愛し慈しまれているはずなのに、当時の彼女は母を罵り誰彼と神学議論をふっかけ悦にいっていた。彼女がプロテスタントと言ったことを信じたから、それがキリスト教であると誤解もしてきたのでした。そんな彼女に、私はそんなふうにいつも誰かを目の敵にしなければいけないのならやめなさいと言う意味でイエスを捨てよとは伝えましたが。
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2011/10/14(金) 午前 10:15
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2011/10/14(金) 午前 10:09
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2011/10/14(金) 午前 9:59






