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>親というものは、いつになっても子を心配したり喜んだりするものなんですね!
はい、。
そういうものなんですね、、。
私も、、いつまでも、母に甘えていち気持が、、ッ葉が言った後でも抜けて無くて、、いつまでも、、母を想う時は、、子供のままの心です。
私の子供たちも、。きっと、大人になっても子供のままの部分が残っていて、、私も、、親の持つ子供の事で、すぐ一喜一憂する想いを持ち続けていくのでしょうね、、。
親は、、どこまでも親の想いで子を愛し、子は、、子供として親を信頼し求め、子として、、いずれは人として愛してくれるのでしょうね、。
>立ち寄ってみてくださいね!
はい、。千葉方面に用があって行くことがあったら、、是非立ち寄らせて頂きます。
ラーメン大好きなんです❤1人だとウルトラ方向音痴で迷子になるので、、誰かに連れて行って貰います(苦笑)
上杉鷹山にキリストの面影を見る
風の唄
へ〜!
ありがとうございます!
素晴らしい人物には変わりないですね!
『尚、よく言われる上杉家自身での問題で、経済的に困窮したと出回る俗説は間違いである。
三代藩主・綱勝が世継ぎを残さず早世した為、幕府から録高を半分の15万石に減らされた為と、
当時、浪人が多数いて問題になっていた為(由井正雪の乱)の影響と、保科正之(綱勝の室の父)の指示があった為に、召し放し(リストラ)が出来なかったのが本当の理由。』
これは真実性がありますね!納得しました。
これはあくまでもドラマですからフィクション性は避けられないことですが、この現代に於いて、一人の悩める人間を救った事は、事実ですから、上杉鷹山は素晴らしい人には間違いありませんね!
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上杉鷹山にキリストの面影を見る
風の唄
[ 知って下さい2 ]
2011/12/5(月) 午前 6:47
(続き)
そして、滋賀や堺(大阪)から鉄砲職人を雇い入れ、白布温泉に隠し住まわせ、幕府に知られないように鉄砲製造を行った。
(1000丁加増計2000丁、大砲20など)
そして指南書を書き、武芸も奨励し、武家の習いと防衛に務めた。
後の中興の祖と仰がれる藩主・鷹山も、過去の兼続公の施策を模倣したと言う。
尚、よく言われる上杉家自身での問題で、経済的に困窮したと出回る俗説は間違いである。
三代藩主・綱勝が世継ぎを残さず早世した為、幕府から録高を半分の15万石に減らされた為と、
当時、浪人が多数いて問題になっていた為(由井正雪の乱)の影響と、保科正之(綱勝の室の父)の指示があった為に、召し放し(リストラ)が出来なかったのが本当の理由。
※参考文献…専門書「直江兼続」(高志書院より出版)や、(上杉家所蔵)『歴代古案』書状など。
他にも、[図説]『直江兼続 人と時代』(米沢市上杉博物館より刊行)に詳しい。
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風の唄
[ 知って下さい ]
2011/12/5(月) 午前 6:44
《上杉家経営》
米沢30万石減封へ:執政・直江兼続の智政により、実質51万石に増やす。
(城下拡張と平行して、城下を洪水から守る治水工事「直江石堤」、城下・城下町に用水・薪材を供給する堰の開削の指揮。
荒地開墾(下級武士)、殖産興業を指示(越後から持ち込んだ織物「青苧」や桑・紅花・金山など殖産興業の指示)
兼続公は、「国を成すには人を成すを似てす」の通天存達和尚の教えを元に、移封後も仕官を希望する武士の召し放しをせず、共に国造りをした。
更に、後の鷹山の学問所の元になる「禅林文庫」を設立。
懇意にしていた京都の僧侶・南化玄興和尚などから写筆したり譲られた貴重な本を多数使用(「宋版史記」は国宝指定)。
更に私財を投じ、日本初の銅版書「文選モンゼン」[直江版]を出版(市立米沢図書館所蔵)。大いに武士の学問に力を注いだ。
慈悲の愛
風の唄
マリアさん!ありがとう!
全くその通りなんです。わたしもプロテスタントのはしくれですが、聖母マリアが大好きなんです!私の気持ちを代弁してくれたみたいでとてもうれしいです!
このところに触れるとこのような論争が起きてくるのは想定はしておりましたが、
私の言葉足らずの為、みやこやみさんにも忠告をして頂きありがたいと思っています。でも、あえてここで論争するつもりもありません。
この論争はプロテスタントとカトリックとの間で長く取り上げられていた問題点であったからです。
両者の枠を飛び越えてマリア様を見たとき、マリア様の魅力に魅了されてしまいます。一人の母としてこれほどの慈愛・慈悲のこころを表されたお方は居ないと思っています。
みやこやみさん!マリアさん!ありがとう!



