荒野の狼

気張らずにありのままの自分でいよう。

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ある人のブログの中で、心に留まった言葉 『チュンチュンがイエス様とお話している』小さな幼子の言葉だった。

       
      『 こころくじけて 思い悩み
       などてさみしく 空をあおぐ
       主イエスこそわが まことの友
       いちわのすずめに 目をそそぎたもう
       主はわれさえも ささえたもうなり

       声たからかに われはうたわん
       いちわのすずめさえ 主はまもりたもう

       こころしずめて みこえきけば
       おそれは去りて ゆだぬるをえん
       ただしらまほし ゆくての道
       いちわのすずめに 目をそそぎたもう
       主はわれさえも ささえたもうなり

       声たからかに われはうたわん
       いちわのすずめさえ 主はまもりたもう』


 礼拝堂の屋根の十字架に一羽の雀が チュンチュンと鳴いていた。それを見ていた小さな子は『ああ!
チュンチュンがイエス様とお話している』と叫んだそうだ! そう、一羽の雀にさえ目をそそがれるイエス様 一羽の雀さえ主はまもりたもう・・・『チュンチュンがイエス様とお話している』そうだよなぁ、そうだよなぁ…この言葉を聞いた時私は心の中で“そだよなぁ”を反復していました。

コメントは言葉に出すと壊れそうだったので書かなかった。

大人は理屈で物事を判断しようとする。純粋で素直な子供たちの心にはそれを超越した感性で物を見ている。私にも子供の頃にはそのような感性が鋭かった。大人になるにしたがって、感性は鈍ってくる。

この感性は神様が生まれついた時から人に与えられたもの、だからアブラハムもヤコブもモーゼもダビデもいつも神様と共にいれた。神様はいつも彼らの身近にいました。それから自然を愛し、狼と話し、鳥たちに説教をしたあのフランシスコもみんな、みんなそうだった。

 頭でっかちの私にはあまりにも神様は遠くにいってしまったような気がする。

召されし人を思う。

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その方は十一月二十二日の主日礼拝の日に召されて逝きました。その方は労苦を惜しまず、喜んで人の為に尽くすような人でした。いつも奥さんと子供さんたちを車に乗せて教会へ来ていらっしてた。クリスチャンでもないのに良く教会の仕事を手伝ってくれていました。何もしてない私はいつも頭の下がる思いで彼を見つめていました。

奥さんは深い信仰と芸術的才能を持った方で、いつもその美しい歌声で特別賛美や賛美リーダーとして今も活躍されています。(クリスマス・コンサートにも出演されます。)

ご夫婦共に、松沢牧師を愛して下さり、彼を通して語られたイエス様を何よりも愛されている様なご夫婦でした。 松沢牧師が世間から誹謗中傷を受けていた時も私が松沢牧師の話しをすると、真剣に聞いて下さり、世間の誹謗中傷に揺るがされる事無く松沢牧師を愛してくださいました。それから暫らくして彼は洗礼を受けてクリスチャンになったのです。奥様の信仰が彼を導いていったと思います。

体の具合を悪くなさってからも、痛い足を引きずりながら、杖をついて、礼拝にこられていました。癌が進行していって、坐って居られなくなっても、談話室のソファーに横になって放送されているメッセージに聞き入っていたのが思い浮かびます。

礼拝後、私達のいるところへ牧師さんがいらっしゃって彼の為にお祈りをして下さいました。牧師さんの手を握り締めて「体が動けるようになったら、イエス様の為に何でもします!」という彼の姿を見て、神の救いはこういうところに現れるんだなぁと感じた。

今まで私たちは信じる、信じるとは言うものの、これほど一心に神にすがった事があるだろうか?
そこには、教理も何もいらない!理屈も何もない!

神が私たちに求めるものは、この一心に神にすがる信仰だけだと彼をみて感じさせられた。

イエス様は彼を御国へ導き入れてくれた事を確信します。

彼は私達に大いなる恵みを残してくれました。・・・・一粒の麦となって。


    地に落ちて死ぬ(かつて生きた世界のすべてのものに別れを告げる)
         ・・・・・そういう一粒の麦となることを  
                もし拒否するならば、
                 その時わたしは

             カルバリの愛をまったく知らない。
      エミー・カーマイケル

校外授業

イメージ 1イメージ 2今日は一年生の校外授業。学校の近くにある林の中で『小さな秋の発見だ!』 川越には少し足を運べば、林はたくさんある。都会の学校とは一味違う素晴らしい学習ができる場所がたくさんある! 子供達は自然の中で肌で自然に接し、思い思いの を感じとっていく。


イメージ 3
林の中を、歓声をあげながら自分だけの  を探してとび回っていた。 どんぐりを拾う子、
葉っぱを拾う子、木に登って先生に怒られる子、みんな元気一杯で、舞い落ちてくる、赤や黄色の葉っぱ達と一緒に遊んでいるようだ!


イメージ 4 大きな枯れた切り株をどけたら、かぶと虫の幼虫がいた!「かぶと虫の幼虫は枯れた木や葉っぱが腐って出来た 腐葉土の中が、冬を越す為のお家なんだよ」って教えてあげた。これは、図鑑の写真などで見て覚えるのと違い直接肌で感じる素晴らしい学習だ。小さな命がそこにあった!そーともとにもどしてあげました!!

イメージ 5虫の死骸を発見した。メスの虫らしくお尻に細長い卵を産み付ける為の管を持っていた。『虫はね木や土の中に卵を産み付けると、このように死んでしまうんだよ!だから、卵で冬を越すんだ。新しい命の為にね!』 命の尊さが少しでもこの様な学習の中から分かってくれるといいなぁ!


  
イメージ 6
枯れ葉が絨毯のように林の中に敷き詰められていた。この枯れ葉たちも腐り“腐葉土”となって新しい命の基となる! この一枚の枯れ葉が無用のものであったなら、この一枚の木の葉が無用のものであったなら、夏にあの青々と繁った木々は存在しないんだよ!小さな小さな葉っぱ達からなっている、あの青々と繁った木々は存在しないんだ! 一つ、一つが大切なんだよ!小さな小さな一つ、一つが大切なんだよ!無駄なものは一つも無いんだよ!
神様は自然を通していつも、いつでもメッセージを私達与えてくれている。小さなものに目を向けられる
人になろうね! 子供達の心のなかに神様の素晴らしいメッセージが届きますように・・・・。


イメージ 7
素晴らしい時間を子供達に与えてくれた、福原小学校の先生方に感謝いたします。「ありがとうございました!」

謙遜

イメージ 1フランシスコにみる謙遜
『わたしの愛する兄弟たちよ、単純な人々の口を通して、神の英知の宝を示そうとおぼしめされた神にお礼を言いなさい。なぜなら、神は子どもたちや口の利けない人の口を開き、単純なものの舌で、この上なく見事なことを現そうと思し召されたのですから』

あるブログの中でこのようなコメントを読んだ。

『 聖さから愛を規定したらおかしなことになってしまいます。
正しさから愛を規定してもおかしなことになってしまいます。
だから、倫理や道徳論は福音を歪めてしまうのです。
というのも、愛は根元であって私たちは神の愛に浸るのみで、
人の愚かな考えで規定するものではないからです。

イエスさまはルカ書にて、教会は不正の富であるとおっしゃっています。
まさに教会は不正の富です。
罪人が主イエスにその罪をなすりつけてスケープゴートにして、
自分は天の御国に入ろうとする。
これほどの不正はありません。
ですから、ある意味で福音は道徳や倫理に対するアンチでもあり、
また挑戦でもあります。

神の愛は、このような福音という一見不可解な使信を私たちに伝えます。』

このブログに対して、そのコメントは確か「あなた、どうかしている、おかしいんじゃないの」という意味合いのコメントだったと思う。

私には素晴らしい内容のブログだと感動していたから、逆に「こいつ、どうかしている」と思い、彼のブログを開けてみた、 
確かに彼のブログの内容も素晴らしいと思った、良く勉強しているし、知識も豊富で研究、分析なさっていた。恐れ入りました。
でも、これほど知識も豊富で研究、分析なさっている方が、なぜこの事が理解出来ないんだろうか?と不思議に思った。

人間はすぐに物事を分析、既定して理解しようと考える!そういう思考で考えた人間の論理、道徳論で神の技、福音に接したら福音をも歪みかねない、相反するものになってしまう危険性があると指摘しているのに何故理解出来ないのかなぁ?

『 罪人が主イエスにその罪をなすりつけてスケープゴートにして、
自分は天の御国に入ろうとする。
これほどの不正はありません』

人間の道徳論理、正義で考えたらこれ程の不正はないよね!!

このような考え方で聖書を読んでいたら人間の思考では届かぬ偉大な神の愛の本質から的外れになる危険性がおおいにあると思う。



2:8 あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。それは人の言い伝えによるもの、この世の幼稚な教えによるものであって、キリストによるものではありません。

一度、すべての知識を捨てて裸の身を神の御前で曝し見つめ直してみる事も大事だと思う。
フランシスコの謙遜を見習う事も大切なのかなぁ・・・

「実るほどに頭を垂れる稲穂かな」の名言どおり、謙遜を忘れないように!

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 荒野を駆ける狼の風のささやき
        我が家の庭に咲く小さな花たち。

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イメージ 2小春日和の我が家の庭の陽だまりに、小さな小さな黄色い可愛らしい花が一輪咲いていた。イメージ 3
金柑の実は、その小さな実を秋の陽の光の中で枝一杯に黄金色に輝かせている。  
綿帽子をかぶったような、可愛いタンポポの花。一つ一つの小さな花たちは、小さな我が家の庭の中、小さな小さな陽だまりの中で、精一杯生きている。 我が家の庭に咲く小さな花たちに目を向けさせてくれた神様に感謝するひと時! アーメン!ハレルヤ!

『ルカ 12:32 小さな群れよ。恐れることはない。あなたがたの父は、喜んであなたがたに御国をお与えになるからです。』

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