荒野の狼

気張らずにありのままの自分でいよう。

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秋の風

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今日もいつものように、愛車のハーレーに跨り川越街道の並木路を心地良い風を求めて走らせている。

この通勤に使う小一時間は、私が風と交わりる礼拝のひと時なのです。 いつ日か夏の青々とした葉を

隙間なく繁らせていた木々の間から、ちらほらと真っ青に澄んだ秋空がのぞき、葉の色も青から黄、黄か

ら赤と色を変えていく、ギラギラと照り返していた陽の光も何時しか柔らかい秋の光となって、木々の

間からこぼれ陽となって私に降り注いでくる。秋風も心地よく私の頬を撫でて、そおっと語りかけてくれ

る。そしてまだまだ、しっかりと梢にしがみ付いているあの葉っぱ達も、去年の晩秋の時のように、木枯

らしの風の中で私バイクの前をカラカラと音をたてて、元気のいい子供達が声を上げながら駈け出してい

る様に駆けている枯れ葉たちを思い浮かべてみた。そうだよ!まだまだしっかりと繫っているあの葉っぱ

達のどの葉が去年のあの時のように、走ってくる私を待ち構えてくれるように、時を同じくして私の前を

一緒に走ってくれるのだろうか?そう思って見ていると、あの多くの葉一つ一つが愛おしくなってくる。

自然の中の一つ一つが神様から与えられた兄弟であり、それを愛したフランシスコ! 自然との融和の

中で素晴らしい歌を残した万葉人、そしてネイティブアメリカン。それぞれ大きな大きな神の御手の中で

守られ伸び伸びと生きる事こそが神に身を委ねることではないのだろうか!

『わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している』

風はわたしにこう語ってくれた。  一つ一つ、一人一人、無駄なものはないんだよ!

我が青春

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    ナイヤガラの滝にて。(松沢さん、アーサー、やくざのキンちゃん、私の悪童たち)





      青春とは人生のある時期をいうのではなく心のもち方である…
                                SAMUEL ULLMAN
 






                青  春
           
                              原作 サミエル・ウルマン

                              邦訳 岡田 義夫

     青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。

     優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、

     安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。


    年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いが来る。

    歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。

    苦悶や狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ恰も長年月の如く人を老いさせ、

    精気ある魂をも芥に帰せしめてしまう。

    年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。


   曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、

   事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。

   
   人は信念と共に若く 疑惑と共に老ゆる、人は自信と共に若く 恐怖と共に老ゆる、

   希望ある限り若く  失望と共に老い朽ちる。


   大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、

   人の若さは失われない。 


   これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽いつくし、

   皮肉の厚氷がこれを堅くとざすに至れば、この時にこそ人は全く老いて、

   神の憐れみを乞うる他はなくなる。


四・五日前アーサーから電話がかかって来た。今、広島に居るとのことだった。広島で講演して福岡を回

って帰って来たら、すぐにイスラエルへ旅立つそうだ。 ハーレーで関東、中部、関西、中国、九州

と走り回りかえったら、イスラエルへ・・・いまだに鉄人ぶりを発揮している!

話しがお互いの歳の話になった。 私も九月でもう64になってしまった。アーサーは58.もうすぐ還

暦に近い。お互いに知らないうちに歳をとってしまった。 思い起こせば、アーサーと松沢さんと出会っ

た時もバイクを走らせながら、まるで十八・九の青年ようにはしゃぎ、ふざけ合っていた姿に自分の心

と重なってこんな奴もいるんだ!感激した事を思い出す。

 

  「青春とは人生のある期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。

  優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦を却ける勇猛心、

  安易を振り捨てる冒険心、こう言う様相を青春と言うのだ。」

                      サミエル・ウルマンの『青春』の詩を思い浮かべた。

さらに 「年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰、その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰、

事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探求心、人生への歓喜と興味。」

正にアーサーも私もサミエル・ウルマンの『青春』真っただ中いるんだと自負している。


「大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受ける限り、人の若さは失わ

 れない」


 64歳の私と58歳のアーサーの中にある青春は色あせる事無く、今も青春である。ハーレーに跨り

 五感で自然を感じ、神様との関わりを唯一の喜びとして求めて行く者に老い朽ちることは無い!

虚像と実像

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   わたしは信頼し 恐れない  神こそわたしの力 わたしの救い     イザヤ 12−2


しばらくブログに手をつける事が出来なかった。“神の羊教会”の中川牧師にブログの掲載記事のことで

納得出来ずに、バイクを飛ばして横浜の彼の教会まで真意を知りたくて会いに行きました。

彼は私の教会と同じ様な試練の中から教会を建て直そうと日々努力している、好青年牧師で私の心は彼に

魅かれていました。偶然いや必然かもしれない!アーサー・ホーランド、松沢秀章牧師の下で求道を志し

ていた青年と彼とのつながりなど、少なくとも私との関わりがあった事も、私からの勝手な親しみ感とし

てもっていました。息子と言ってもおかしくない年齢差はありますけれど。

フランシスコが好きで、本当にちいさき者達が肩を寄せ合い教会を建て直そうとしている様は、正にダミ

アーノ教会を連想させる、ちいさな、ちいさな教会ですけれど完成された大きな教会より素敵だなぁと

思っています。

彼と話していくうちにインターネットの空しさを感じてきました。 私がブログを始めたのは去年の暮

でした。亡くなった友達の牧師の事を少しでも多くの人に知って貰いたいという思いがブログを書き始め

た事のきっかけだったのです。 パソコンもインターネットも初めての経験だったのです。

友達から「ブログなんていうのは、痰壷みたいなものだからやめた方がいい」と言われてました。でも

始めてみると、色んな人と交信ができて、色んな人の思考が分かったり楽しい事が一杯あって夢中になり

ました。そんな私に最初にコメントをくれたのが中川さんだったのです。イエス様を語り合い、信仰心を

語り合い、悩み、喜び、感動すべての交流にインターネットの素晴らしさを感じていました。

そんな出会いの中で素晴らしい友達も何人かできました。 それぞれの立場の違いはあっても、主と共に

生かされている、素晴らしい信仰の生き様を個々に感じさせられた時、いかに私の信仰生活の軽薄さに

頭を叩かれる思いを何度も持ったことか・・・。

彼と話している時、彼の一つの言葉が私の心の中を突き刺した「私の教会の人達には、私の命をかける

事は出来るけれど、インターネットでの関わりの中ではそれは出来ない」と。私は意外な彼の強い意志に

正直、戸惑いました。 牧師としての立場でも、それがインターネット上であって、迷っている人、悩

みを持っているような人との関わりには限界があり一線を引いている。

よく考えてみると、彼の素直で正直な気持ちで話してくれた事が私の心の中で心地よく理解出来た。

実は私もインターネットの空しさを時々感じていました。 素晴らしい交流をしていても、そこに実態が

無い。ある人は自分に無い理想の自分をインターネット上で演じ切れるし、自分が表に出ないから

好き勝手な事を言う者もいる、炎上などがそうである。私はコメントを貰うと必ずその人のプロフィール

をみてからその人のブログを拝見させて貰う。  殆んどがきちっと自分を紹介する記事が書かれていな

い。素晴らしい事言っているのだからプロフィールぐらいしっかり書けよ!と言いたくなる。実態が無い

虚構・虚像の世界である。その世界で神が語られるぐらい空しく感じる事は無い。彼の気持ちがよく分か

る。インターネットという素晴らしい物の裏に隠された落とし穴が潜んでいる。インターネットの犯罪

が増えているのも、実態が表に現れないインターネットの盲点が原因する事が多分にあると思う。

今、私達に必要なのは生身と生身の人と人の関わり合いだと思います。人の苦しみを肌で感じ、喜びを

共に肌で感じ、共に見つめ合いながら神を語り合い、それでこそ、そこにイエスの愛が豊かに注がれるよ

うな気がします。

私はインターネットは否定してはいません。むしろ素晴らしい物である事は確かです。虚像と実像を確り

心に添えて判断してインターネットを楽しむ事が大切だなぁと考えています。

素晴らしい友と出会った時、虚構の世界から実像の世界へ誘っていければ良いと思っています!

いつの日か二上山で話しが出来る友を待っています。

中川さん!ブログできつい事を言って「ごめんなさい!」 フランシスコと良寛さん似ているところが

あるんだよね!  


  “磯の上に生ふる馬酔木(あせび)を、手(た)折らめど、見すべき君が、在りと言はなくに”

牧師 松沢秀章!

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成増教会の松沢先生に会いに行ったのは、ちょうどこの時期。
数年も前の出来事だけど昨日のように覚えている。

理想としていた自分とのギャップが苦しくて、いつもため息ばかり。
彼の噂を聞きつけて、興味半分成増教会を訪れた。

カンカンの陽ざしに照らされて成増の駅からダイエー前をとぼとぼと数分。
教会の入口にたどり着くと、同時にオートバイが教会脇に駐車した。
長髪兼上衣をだらしなく垂らした男が穏やかに笑顔で私の脇を通り過ぎる。
長年教会に通い続けながらも決心できない中途半端な求道者、と即座に見下した。

彼が発した「おはようございます」は決して私に対して発せられたものではなく、
受付の初老の女性に対してであったはず。
でも顔の角度からやっぱり私に対してであった。
つゆ知らずの私に対して愛想のよいこの男は何者なのか。
大体、あのやさしい眼差しのわざとらしさの無さは、何故なのか。
そんな思いを抱きつつ成増教会の礼拝に参加した。

礼拝が始り説教の時間となり漸く現れたその男。
牧師のくせに長髪で、
牧師のくせに刺青があり、
牧師のくせにちゃらちゃらとズボンから金属の鎖を見え隠れさせている。
説明のしようがない挨拶を私に投げかけたそのひと、
松沢先生その人だった。

説教の中でパチンコの話が出た。
抜け出せぬ自分の自問の尺度が彼より甘いことに気づかされる。
止めねば止めねばと思う根拠が怪しく、彼の自己受容性に驚かされる。
相槌を打つ多くの会衆。

何が大切なのか。
自分のプライドか?
あるべき姿に近づくことなのか?

どうしようもない自分が少し愛らしく思えた。
そんな自分でも愛してやってもいいのかな、と思えた。
自覚症状は無いながらも、心のどこかで「こんな自分は祈る資格さえない」と後ろ向きになっていた。
だからこそ、賛美・祈り・聖書朗読全てが型にハマったものとなっていた。

牧師の二言目を的確に予知できると思い込んでいた自分の小ささに愕然とした。
素直にキリストにすがりつくための基本的な心構えを学んだ。

これほどまでに私に衝撃を与えた松沢先生。
そのままでいてほしかった。

彼の最後を思うに、彼が哀れで悲しく絶望的であるにも関わらず、
ジーザスは彼をどのように評価しているのかは人には決して分からないという妙な自信。
彼に対する神様の評価など気にすることはやめよう。

彼が教えてくれたことを私以外の多くの人々に全身全霊をもって、わざとらしくなく素直に体現していくこと。
これをジーザスは望んでいるのであろうと思う。

入道雲に遮られながらも照りつける太陽。
松沢先生との出会いはこんな季節だった
                                     転載・・・さわやか


今年の夏、彼のブログに書かれた記事を転載させて貰いました。
こんな牧師が居たんだと言う事を一人でも多くの人に知って貰いたいの一心から載せてもらいました。

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