荒野の狼

気張らずにありのままの自分でいよう。

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七夕の夜

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     七夕の夜
 
こと座のベガ(織姫)               わし座のアルタイル(彦星)                     
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物語
織姫は天帝の娘で、機織の上手な働き者の娘であった。夏彦星(彦星、牽牛星)は、わし座アルタイルである。夏彦もまた働き者であり、天帝は二人の結婚を認めた。めでたく夫婦となったが夫婦生活が楽しく、織姫は機を織らなくなり、夏彦は牛を追わなくなった。このため天帝は怒り、二人を天の川を隔てて引き離したが、年に1度、7月7日だけ天帝は会うことをゆるし、天の川にどこからかやってきたカササギが橋を架けてくれ会うことができた。しかし7月7日に雨が降ると天の川の水かさが増し、織姫は渡ることができず夏彦も彼女に会うことができない。星の逢引であることから、七夕には星あい(星合い、星合)という別名がある。また、この日に降る雨は催涙雨とも呼ばれる。催涙雨は織姫と夏彦が流す涙といわれている。              

今日は夜空に繰り広げられるラブ・ロマンスの物語・七夕の夜です。
年に一度だけ二人の愛が叶えられる日。七夕の夜に私の願いも叶えられるようにと子供の頃、願いが叶うように短冊に願い事を書いて祈ったものです。
浴衣をきて夕涼みで夜空を見上げるのもいいものですね。
 
でも・・・私の住んでいる川越は、今夜はどうも織姫と彦星が流す催涙雨の日になってしまいそうです。
 
天の川、楫(かぢ)の音聞こゆ、彦星(ひこほし)と織女(たなばたつめ)と、今夜(こよひ)逢ふらしも
 天の川にかじの音が聞こえます。彦星(ひこほし)と織女(たなばたつめ)は、今夜逢うようです。)

 
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友の夢をみた
名の知らない教会の片隅で
木切れで何かを地面に書いていた
礼拝帰りのひとたちが脇を通り過ぎていく
振り返る人もいない
それでも木切れで何かを書いていた
私はそのそばにダビデの星を書いた

尼僧物語に思う

尼僧物語イメージ 1

あらすじ

ベルギーに住む有名な医者パン・デル・マル博士の娘であるガブリエルは尼僧になる決意をし、家を出た。恋人への思いも断ち切り、修道院入りする。
修道院で志願者となったガブリエルは修道女の戒律を学び、五日後には修道志願女となり数ヶ月に及ぶ厳しい戒律生活に身を投じる。戒律と懺悔の日々。あまりの厳しさに脱落していく志願女がいる中、ガブリエルは見習い尼になる。その前夜、髪を短く刈られ、またそれまで自分と俗世との唯一のつながりであった、恋人から贈られた金飾りのついたペンを投げ捨てた。俗世との完全な別離の瞬間であった。ガブリエルはシスター・ルークという名を与えられ、正式の尼僧になるべく修行を続ける。
医学の訓練中、素晴らしい成績だったにもかかわらず、修道院へ入る以前から熱望していたコンゴへの派遣は叶わず、ベルギーの精神病院に派遣される。が、そこでも惜しみなく努力を続け、ついに念願のコンゴへの派遣が決まる。 コンゴで彼女に与えられた仕事は、外科医フォルテュナティの助手であった。彼は医者としての腕は天才的だが、大変世俗的な無神論者で、神に仕える身のシスター・ルークを常にからかった。だが、医者である父親の元で医療技術を学んだシスター・ルークの的確な仕事振りには信頼を置いており、また彼女もフォルテュナティの手腕は買っていた。
ある日シスター・ルークは自分が結核に冒されている事に気付く。彼女から相談を受けたフォルテュナティは自分が面倒を見、必ず治癒出来ると約束する。そして彼女に対し「君はいくら努力しても尼僧になり切れる人ではない。君は世俗的だ。世間の人間や患者達にとっては理想的だが、修道院が期待している様な尼僧にはなれない。」と印象的な言葉を告げる。
フォルテュナティや人々の愛情のおかげで病状は回復するが、シスター・ルークは再びベルギーに呼び戻される。次はオランダとの国境に近い病院に派遣されるが、戦争が始まり中立国のベルギーに対してドイツ軍は砲撃を加える。しかし常に尼僧は全てに対して慈悲の心を持たなければならず、ベルギー降伏後も、尼僧は地下運動に参加してはならぬ、と厳重にいましめられる。同胞を敵の手から守りたい思いに駆られ、シスター・ルークは苦しんだ。
そんな最中、彼女の父が機関銃の噴射で殺されたとの一報を受け取り、思いは一気に加速、葛藤の末、遂に決断する。 敵への憎しみを抑える事が出来ない。憎しみに満ちた胸に十字架をかけ続ける事は出来ない。彼女はマザー・エマニュエルに全てを語り、自分の環俗を申し出る。
尼僧の衣を脱ぎ、衣服に着替え、修道院に別れを告げ、一人街へと踏み出して行くのであった。


修道院の門をくぐる修道女は自らの命を神にささげるのである。
このナレイションから物語は始まってゆきます。 
この物語は実存した人をモデルにして作られたと聞いています。
主人公ルークは、コンゴの医療奉仕を夢見て修道院の門をくぐり修道女の厳しい戒律生活に身を投じます。
 
 自己を棄て自尊心を捨て、謙遜と謙譲心を学ぶ事がキリストへの愛に生きる道だと教えこまれる。
自己の抹消と人間性の抹消である。それは、神と一対一で向かい合うために、世俗のしがらみから隔絶された修道院という俗世から離れた別世界の中での修行生活であった。
それが故に立派な修道女は俗世の人間からはどこか血の通わない冷たさを感じさせてしまうのであろう。
シスター・ルークは優秀な修道女でありました。
 
「シスター・ルークは修道女に向いていない」と、外科医フォルテュナティに言われる。
 感受性豊かで、探求心旺盛で、思索的な彼女は、矛盾を敏感に感じ、そういう彼女だからこそ、患者たちからは、慈愛あふれる、親しみのある修道女として慕われる。
ルークが結核で療養していた時に多くの人達から心配されて沢山の心のこもった贈り物が届けられる。
外科医フォルテュナティはシスター・ルークは今までに助手として使っていた修道女とは違っていた、そんなルークにいつまでも私の助手でいてくれとたのむ。
 
病が癒えて、ルークはベルギーに戻されそこで戦争がはじまりドイツ軍に父が殺されてしまう。
戒律を守り切れない自分の罪深さに悩んでいたルークは、父の死がきっかけで決心する。
『他は騙せても、自分と神は騙せない』と人間の良心を選んで修道院を後にして出てゆく。
 
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出て行く時に壁に掛けられていた
十字架のイエス様を見上げて悲しそうな顔をして出て行く。
その後ろ姿で『尼僧物語』はおわります。
 
 
 

色々考えさせられる映画でした。
神の愛ってなんだろう・・・・・。
ここで言う人間の良心。ルークでいうと最愛の父を殺された恨み、敵を愛せない自分。それでも愛せという神の愛。 修道院では感情豊かに、笑い、悲しみ。喜怒哀楽は自己心から出て来るものとして自己反省させられる。
ルークは『人の良心を持って人の愛に生きる』ことを決心して出ていく後ろ姿はどこか寂しさが溢れ出ていました。
 
では、マザーテレサは?
彼女こそ、その枠を飛び越えて、俗世に身を投じ、教会とのあらゆるその障害に屈せず “人としての良心と神の良心” を貫きとうした立派な修道女だと私は思っています。
それでこそマザー・テレサの慈愛に溢れた、優しさとイエス様の愛の溢れた、枠に捕らわれない真実の愛があるのだと思う。

ルークを演じたオードリー・ヘッピバーンの人生を象徴するような映画でした。
ユニセフのソマリアでの支援活動でのオードリーの姿はしわくちゃのおばあさんでした。あのスクリーンの中のオードリーとはかけ離れた容姿でした。
オードリーはこう云いました。『若いころのわたしより、今のわたしの方がわたしは好きです』と・・・・・・・。
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天使の唄

 
天使の唄
 
 
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もう、ずい分と昔になってしまった話しですけれど・・・・・。
 
知り合いの子で、生まれながらに心臓に小さな穴があいていて長くは生きられない運命を、背負って生まれてきた子がいました。
その子の父親はヤクザでした。
 
私の家には何故か多くのヤクザが出入りしていました。博打打ちあり、的屋あり・・・。 それならヤクザ事務所?そう思うでしょう。
父は巣鴨で開業していた、れっきとした歯医者でした。 どうしてそうなったのか詳しい事は分かりませんが、とにかく変わった医者でした。中学生の頃、親父と巣鴨の繁華街の飲屋にいくと、『先生!』[先生!』とヤクザが挨拶に来るしまつ。飲屋の女将さんが「なんの先生だか分からないわね!」とよく言っていました。
その子の父親は巣鴨では顔のきくヤクザでした。親父はSはヤクザになっているような奴ではないと、彼をヤクザの道から足を洗わせ堅気にもどらせたのです。それからは、地道にペンキ屋を営んで幸せな生活をしていましたが。優しくて子供好きなSさんに待望の男の子が生まれました。その喜びもつかの間!その子の心臓に小さな穴があいていたのです。
Sさんは親父に「俺の罪をこの子に背負わせてしまった!」と涙をながしていたのを思い出します。
 
専門医はこの子が大きくなって体力が付いた頃手術を考えましょうとのことでした。
親父はこの子の為に家が暗くなるのを心配していましたけれど、その心配も無く外目からは幸せな家庭に見えていました。それだけに、Sさん、奥さんは大変な苦労だったと思われました。
二つ上のお姉ちゃんはまだ小さいにもかかわらず、いつでも弟に寄り添い、騒ぐと弟の体にさわるので優しい思いやりをもって、遊んで上げていました。
 
その子は、幼いながらも自分の定めを感じていたのか、素直でダダこねる事もなく、とても優しい気持ちをもった静かな子で、それを見るたびにSさんは秘かに涙をながしていたのです。
 
ある日、奥さんがその子をおんぶして我家に来ました。、五歳にしては体も小さく唇は紫ぽい色をして普通の子とは
明らかに違うのを感じ、笑みを浮かべたその顔が切なく私の心に残っています。
 
その時お母さんが私たちに言いました。『この子ったら、バキューム・カーを見て「僕大きくなったら、バキューム・カーの運転手になりたい!」って言うんですよ』・・・・・・・・。
その頃の私を含めて子供達は、バキューム・カーがいるのを見ると「にげろー!」と息を殺して駆けだしたものです。
 
さて、その子も小学校に上がる歳になりました。お姉ちゃんは弟のことが心配で休み時間は弟の教室へ行って時間が空けば弟に寄り添っていました。
手術の話しが持ち上がって、Sさんは毎日のように、医者である親父と相談していました。なかなか決心がつかなかったようです。
手術をしなければ、命が持たないし、手術をしても成功する可能性も40パーセントどちらを選ぶか苦渋の選択でした。 親心として涙をのんだ苦渋の選択で手術を受ける事になったのです。
 
手術はその当時日本で心臓移植の一人者と言われた榊原先生の手で行われました。
当日、手術室に入っていくその子の顔は笑みを浮かべていたそうです。幼いなりに心配かけてはいけないように思ってなのか、今まで育ててくれた感謝の気持ちの、幼いなりの表われなのか・・・・・。
その子は、その笑みを残したままもう帰ることはありませんでした。
 
「バキューム・カーの運転手になりたい!」の言葉と笑みを残して。
 
でも、その子の周りには愛が、思いやりがいっぱい、いっぱい溢れていました。
その子はお姉ちゃん。お父さん。お母さんに大きな愛の恵みを与えてくれました。そして周りの人達にも。
 
        もっと生きたかったろうに・・・・・・
 


世の中には、「生まれてこなかったほうがいい」とか「はやく死にたい」とかいう者もいます。
そう言う人は、この話を「神はむごい」と言うのだろうな。


「聖フランシスコの小さき花」
完全な歓びは十字架の中に・・・・
「さて、兄弟レオよ、この話の結びを聞きなさい。キリストがご自分の友人たちにくださる、聖霊のすべての恵みや賜物にもましてすぐれているのは、キリストへの愛のため己じしん打ち勝ち、歓んで苦しみやののしり、辱めや不快などを耐え忍ぶことです。なぜなら、神からの他のすべての賜物は、それがわれわれのものではなく、神のものであるゆえ、わたしども自身の誇りにすることはできないからです。
ですから、使徒は、『あなたが持っているもので、いったい何をいただかなかったというのでしょうか。
いただいたのなら、なぜいただかなかったように誇るのですか』と言っているのです」。
「けれど、わたしどもは悩みや苦しみの十字架を誇ることはできます。なぜなら、これこそわれわれのものだからです。それゆえ、使徒は、『わたしには、われらの主イエス・キリストの十字架のほかに誇りとするものが断じてあってはなりません』と言っているのです。」
 
この個所は、フランシスコの霊性を顕著に表されているところだと思います。この精神なくして殉教もない。
フランシスコの凄さゆえです。私たちは十字架の中に生かされています。十字架を見上げると言う事は、イエスを愛すると言う事は、こう云う事なんだ!
 
軽はずみでものが言えなくなります。甘えぱなしの信仰です。
 
 
   キリストへの愛のため己じしん打ち勝ち、
        歓んで苦しみやののしり、辱めや不快などを
                          耐え忍ぶことです
 
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求めないで・風の便り

       求めない(加島祥造)
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求めない
すると改めて
人間は求めるものだ
と知る
 
求めない
すると
ちょっとはずかしくなるよ
あんなクダラヌものをもとめていたのか、と
 
求めない
すると
心が静かになる
 
求めない
すると
体ばかりか心も
ゆったりしてくる
 
求めない
すると
恐怖感が消えてゆく
 
求めない
すると
心が澄んでくる
 
求めない
すると
悲しみが消えてゆく
 
求めない
すると
自然の流れに任すようになる
 
求めない
すると
ほんものをさがしている自分に
気づく
 
求めない
すると
もっと大切なものが見えて来る
それは
すでに持っているもののなかにある

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         求めない・・・・・
         ということは
         なにもしないこと        
         かえって自分の
         内なる力を汲みだすんだ。
         自分のなかの
         眠っていた力を呼びさますんだ。ではないよ。
         求めないことで
 
         すると
         もっと自然な生き方になる。
         子どもたちは君と
         遊びたがるよ
         大人たちは君と
         争わなくなるよ・・・・・・ときには
         君を馬鹿にするひともでてくるけれどもね。

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花は虫に交配を求める
虫は花に蜜を求める
花と虫は互いに求めあうことで
互いを生かしている
それは片方だけが「求める」ことじゃないんだ。
 
子が母の乳房を求める時
母も子に乳を飲むように求める
それは片方が「求める」ことじゃない
互いに生かすことなんだ。
共存とは・・・・・・・。
 

「伊那谷の老子』とも仙人とも言われている加島祥造の深い人生経験・体験のなかから滲み出て来た詩です。
 
なぜ、この詩かと言うと・・・・。ずいぶん前に、私がこの詩集を手に入れた時の感想はあまり気持ちが向かずに
ほとんど、手付かずのままに本棚に眠っていました。  
 
それが今何で・・・・・。
それは、人は、内にある良いものを持っているのに気がつかないで、余りにも外に求め過ぎて自分を苦しめてしまっているそんな人が多いなぁ・・・・・。
 
そんなことに気が付いた時、この詩集が頭の中を過ぎりあわくって読み直してみたら、一つ一つの詩の深さが私の心を突いてきました。
 
人って大切なメッセージに気がつかずに通り過ぎて行ってしまうんだ、ある日突然にそのメッセージに振り向かされる、神さまが向けてくれたのかなぁ・・・・?
 
 頭を悩まし、考え込んでいる人たち!頭の中を空っぽにする事も大切だよ!
         そしたら・・・・内にある大切なものが見えてくるかもしれないね!
 
   『さあ!今日は天気もいいし、バイク日和だぞー!
                        風になって来ようかなぁ!』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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