荒野の狼

気張らずにありのままの自分でいよう。

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友の夢をみた
名の知らない教会の片隅で
木切れで何かを地面に書いていた
礼拝帰りのひとたちが脇を通り過ぎていく
振り返る人もいない
それでも木切れで何かを書いていた
私はそのそばにダビデの星を書いた

尼僧物語に思う

尼僧物語イメージ 1

あらすじ

ベルギーに住む有名な医者パン・デル・マル博士の娘であるガブリエルは尼僧になる決意をし、家を出た。恋人への思いも断ち切り、修道院入りする。
修道院で志願者となったガブリエルは修道女の戒律を学び、五日後には修道志願女となり数ヶ月に及ぶ厳しい戒律生活に身を投じる。戒律と懺悔の日々。あまりの厳しさに脱落していく志願女がいる中、ガブリエルは見習い尼になる。その前夜、髪を短く刈られ、またそれまで自分と俗世との唯一のつながりであった、恋人から贈られた金飾りのついたペンを投げ捨てた。俗世との完全な別離の瞬間であった。ガブリエルはシスター・ルークという名を与えられ、正式の尼僧になるべく修行を続ける。
医学の訓練中、素晴らしい成績だったにもかかわらず、修道院へ入る以前から熱望していたコンゴへの派遣は叶わず、ベルギーの精神病院に派遣される。が、そこでも惜しみなく努力を続け、ついに念願のコンゴへの派遣が決まる。 コンゴで彼女に与えられた仕事は、外科医フォルテュナティの助手であった。彼は医者としての腕は天才的だが、大変世俗的な無神論者で、神に仕える身のシスター・ルークを常にからかった。だが、医者である父親の元で医療技術を学んだシスター・ルークの的確な仕事振りには信頼を置いており、また彼女もフォルテュナティの手腕は買っていた。
ある日シスター・ルークは自分が結核に冒されている事に気付く。彼女から相談を受けたフォルテュナティは自分が面倒を見、必ず治癒出来ると約束する。そして彼女に対し「君はいくら努力しても尼僧になり切れる人ではない。君は世俗的だ。世間の人間や患者達にとっては理想的だが、修道院が期待している様な尼僧にはなれない。」と印象的な言葉を告げる。
フォルテュナティや人々の愛情のおかげで病状は回復するが、シスター・ルークは再びベルギーに呼び戻される。次はオランダとの国境に近い病院に派遣されるが、戦争が始まり中立国のベルギーに対してドイツ軍は砲撃を加える。しかし常に尼僧は全てに対して慈悲の心を持たなければならず、ベルギー降伏後も、尼僧は地下運動に参加してはならぬ、と厳重にいましめられる。同胞を敵の手から守りたい思いに駆られ、シスター・ルークは苦しんだ。
そんな最中、彼女の父が機関銃の噴射で殺されたとの一報を受け取り、思いは一気に加速、葛藤の末、遂に決断する。 敵への憎しみを抑える事が出来ない。憎しみに満ちた胸に十字架をかけ続ける事は出来ない。彼女はマザー・エマニュエルに全てを語り、自分の環俗を申し出る。
尼僧の衣を脱ぎ、衣服に着替え、修道院に別れを告げ、一人街へと踏み出して行くのであった。


修道院の門をくぐる修道女は自らの命を神にささげるのである。
このナレイションから物語は始まってゆきます。 
この物語は実存した人をモデルにして作られたと聞いています。
主人公ルークは、コンゴの医療奉仕を夢見て修道院の門をくぐり修道女の厳しい戒律生活に身を投じます。
 
 自己を棄て自尊心を捨て、謙遜と謙譲心を学ぶ事がキリストへの愛に生きる道だと教えこまれる。
自己の抹消と人間性の抹消である。それは、神と一対一で向かい合うために、世俗のしがらみから隔絶された修道院という俗世から離れた別世界の中での修行生活であった。
それが故に立派な修道女は俗世の人間からはどこか血の通わない冷たさを感じさせてしまうのであろう。
シスター・ルークは優秀な修道女でありました。
 
「シスター・ルークは修道女に向いていない」と、外科医フォルテュナティに言われる。
 感受性豊かで、探求心旺盛で、思索的な彼女は、矛盾を敏感に感じ、そういう彼女だからこそ、患者たちからは、慈愛あふれる、親しみのある修道女として慕われる。
ルークが結核で療養していた時に多くの人達から心配されて沢山の心のこもった贈り物が届けられる。
外科医フォルテュナティはシスター・ルークは今までに助手として使っていた修道女とは違っていた、そんなルークにいつまでも私の助手でいてくれとたのむ。
 
病が癒えて、ルークはベルギーに戻されそこで戦争がはじまりドイツ軍に父が殺されてしまう。
戒律を守り切れない自分の罪深さに悩んでいたルークは、父の死がきっかけで決心する。
『他は騙せても、自分と神は騙せない』と人間の良心を選んで修道院を後にして出てゆく。
 
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出て行く時に壁に掛けられていた
十字架のイエス様を見上げて悲しそうな顔をして出て行く。
その後ろ姿で『尼僧物語』はおわります。
 
 
 

色々考えさせられる映画でした。
神の愛ってなんだろう・・・・・。
ここで言う人間の良心。ルークでいうと最愛の父を殺された恨み、敵を愛せない自分。それでも愛せという神の愛。 修道院では感情豊かに、笑い、悲しみ。喜怒哀楽は自己心から出て来るものとして自己反省させられる。
ルークは『人の良心を持って人の愛に生きる』ことを決心して出ていく後ろ姿はどこか寂しさが溢れ出ていました。
 
では、マザーテレサは?
彼女こそ、その枠を飛び越えて、俗世に身を投じ、教会とのあらゆるその障害に屈せず “人としての良心と神の良心” を貫きとうした立派な修道女だと私は思っています。
それでこそマザー・テレサの慈愛に溢れた、優しさとイエス様の愛の溢れた、枠に捕らわれない真実の愛があるのだと思う。

ルークを演じたオードリー・ヘッピバーンの人生を象徴するような映画でした。
ユニセフのソマリアでの支援活動でのオードリーの姿はしわくちゃのおばあさんでした。あのスクリーンの中のオードリーとはかけ離れた容姿でした。
オードリーはこう云いました。『若いころのわたしより、今のわたしの方がわたしは好きです』と・・・・・・・。
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