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1675年、観想の祈りの中から二十七歳の聖マルガリータ・マリア・アラコックにイエスさまは語られた。 『わたしの御心は人びとをこんなにも愛し、その愛を証しするためには最後の一滴の血を絞りきるまでに何も惜しまない。しかし、感謝としてわたしは忘恩しか受けていない。愛の秘跡において、不敬と冒涜、冷たさ、軽蔑しか受けていない。しかし、わたしの御心をもっとも痛めるのは、わたしに奉献した人たちのこのような態度である。』 このマルガリータ・マリアの体験にリジューのテレーズが心動かされ、そして、マザー・テレサへとキリストの嘆きが伝わっていった。 パスカルは「イエスは世の終わりまで受難のうちにあるだろう。そのあいだ眠りこんではいけない」 とまで言っている。イエスさまの受難は十字架で終わってはいない、いまでも続いているのだ! 『I THEIRST』いまも十字架のうえから叫ばれている! 私が洗礼を受けるきっかけになったのは、ある体験からでした。ある日いつものように、車で仕事に出ようとしてハンドルに手をかけたとき、不思議なことが起こった。 その時、自分を包むようなジワーとした無感覚のような感覚にハットさせられました。車を走らせていくとその感覚がダンダン強くなっていき、運転出来なくなってしまいました。 車を停めて、松沢牧師に電話を入れると、彼が何かを言ったんですが今も何を言ったのか記憶にありませんが、私を見詰めている人がいる!私を解かってくれている人がいる!という感覚がとても嬉しく涙が溢れ出てきました。 嗚咽し涙で何も見えなくなった時、私の目の中に幻影が表われてきました。 鞭うたれ、唾を吐きつかれ、罵声を浴びせられている、ボロ雑巾のようなイエスさまの後ろ姿が現れました。「これは誰の為・・・・」と言っている様に、イエスさまが後ろを振り向かれようとした時に幻影は消えてしまいました。 私はもういてもたってもいられなくなってしまい。1999年五月三十一日にアーサー・ホーランドに依ってロードエンジェルスの皆から祝福を受けて、ツーリング先の西伊豆の美しい海でバブテスマを受けました。 沈黙している神に、私達は神は何もしてくれない!何故こんな不幸を負わせるのか!と不信をぶつけていますが、「わたしは渇いている」と言われているイエスさまに一滴の水さえ上げようとしないで、貰う事しか考えないで居ることが多い。 渇いている叫んでいるイエスさまに一滴を水を与えることは、この世で一番小さき者、弱き者に一滴の水を与えることであると・・・・・それはわたしにしたことだ!イエスさまは言っています。 まずは、あなたの一番近くにいる隣人・小さき者に一滴の水を与えることから始めましょう。 善きサマリヤ人に・・・『TOU DID IT TO ME』 主の後ろ姿 むちで打たれた背中 重い十字架背負われて カルバリ山へ向かう 私の罪を赦す為 苦しみ耐えて歩まれた 主の愛と祈りに 何をもって応えよう 主の後ろ姿 むちで打たれた背中 重い十字架背負われて カルバリ山へ向かう 私の罪を赦す為 苦しみ耐えて歩まれた 主の愛と祈りに 何をもって応えよう 主の後ろ姿 いばらくい込む御頭 あざける言葉受けながら カルバリ山へ向かう 新たな命与えるため 十字架さえもしのばれた 主の愛と祈りに 何をもって応えよう 血の汗流し祈られて 十字架目指し歩まれた 主の愛と祈りに 何をもって応えよう
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2010年12月04日
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