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祈り
http://www.aritearu.com/pic/pinkball.gifキリストを愛するとは、すべてを愛することである。彼とともにすべてを愛するのでなければ、イエス・
キリストを愛しているとは言えない。私たちはブッダを愛する。この人の誠実さはキリスト教的だから。
マホメットもまたしかり。いのちと愛の足跡を見いだすところなら、どこにおいても人は安らぎを感じる
であろう。なぜなら、そこで神に出会うからだ。
http://www.aritearu.com/pic/pinkball.gif全宇宙、全歴史、全人類を網羅した供え物を携える私たちを受け入れてくださるキリストの広大な
次元の中に入りましょう。すべての被造物に代わって、神が愛であり、神が三位一体であり、神が
貧しさであり、神が自由であることへの感謝をささげましょう。まさに、神のうちに私たちは自分自身
に到達し、あの洗足のときイエスが教えられた感嘆すべき秘密を知ることができるのです。すなわ
ち、偉大さとは人の上に立つことにあるのではなく、偉大さとは自分を与えること、それも、より多く
与えることであって、神が無限に偉大であるのは、まさに、神が私たちの足を洗うために、永遠に
被造物の前にひざまずいていてご自身を与えておられるからなのです。
http://www.aritearu.com/pic/pinkball.gif最初のアメリカ人(インディアン)は沈黙を深く信じていた。沈黙は完全な平衡のあかしである から。沈黙とは、体と精神と魂が完璧な釣りあいをとっていることである。
自己を保っている人は、葉の一枚たりとも動かぬ木のように、小波ひとつ立たない輝く池のよ うに、つねに静かで、実存のあらしに揺すぶられることがない。無学な賢者の考えによれば、
もしあなたがその人に「沈黙とは何か」と尋ねるならば、その人は、「沈黙とは大いなる神秘!」 「聖なる沈黙はそのお方の声!」と答えるであろう。
もしあなたが「沈黙のもたらすものは」と問うならば、その人は、「自己抑制、真の勇気、堅忍不 抜、尊厳、そして崇高。沈黙は人格にとって隅の親石である。」というであろう。・・・・・・・
「生命の織物」 女子パウロ会より引用
荒野の狼の遠吠え
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2010年12月29日
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