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松沢秀章という牧師は実におかしな牧師だった。頭は長髪ボサボサで、髭をたくわえ、いつでも黒のジーンズをはいてジーンズの後ろのポケットにウォレット・チェーンをつけたウォレットを押し込み、銀のブレスレット、銀の指輪、黒のウエスタンシャツの襟元から銀の十字架を覗かせて、ハーレーに跨り街を走り抜ける。 礼拝にもそのスタイルでメッセージをしていた。形にとらわれない自由な在りのままの人だった。 ある時、近くに在る光が丘公園をC型肝炎で疲れた顔をして散歩していたら、警察官に怪しまれ職務質問をされ、牧師だと名のったら信用されず教会へ電話して確認される始末。 キリスト教兄弟団の理事の先生たちは、パリサイ人がイエス様を見る様な眼でこの牧師を見つめていた。 でも、しかし、彼の口から出て来るメッセージはと言うと。 イエスさまの説教になぜ人々は魅かれていったか、それはパリサイ派や律法学者のように、律法を引用しながら長々とややこしく話すのではなく、誰の言葉も借りずに自分の言葉で話しをしていたナザレのイエスという人間に他の預言者とちがうものを感じていった。それが人々を信服させる力になっていった。 このことは、今、メッセージをしている牧師さんたちにも言える事。聖書を引用しながら長々とややこしく話す。稚拙な論理をふりまわして分かり難い、これが1パーセントの要因。ハートが無い!人を魅きつける魅力がない! 彼は違っていた。彼の口から語られるメッセージは自分の言葉でイエスの愛を語っていた。誰にもよく分かる言葉で話していた。松沢秀章の心の中には、松沢秀章を見つめていてくれているイエス様がいつも居た。だからイエスさまの愛を自分の言葉で語る事が出来た。愛の豊かな人であった・・・・。 彼が生前に母に言い残した言葉があった。 「おふくろ!今は牧師の母として大事にされているが、俺が死んだら、おふくろに辛くあたる人も出て来るぞ! そんな時は決して恨んだり、怒ったりしては駄目だぞ! それをやったら信仰が薄いんだぞ!」 て、お母さんは私に話してくれました。 「秀章の言ったとおりになった。親しくしてくれていた人から手のうらをかえすように、冷たくされ“教会のお墓によく入れるわね!”とまで皮肉を言われて挨拶もされなくなった。」て・・・・。 そんな時、秀章に言われた通りに祈った・・・。 私の目から見るとお母さんは偉かった。 私が寂しくて教会へ行けなかったのに、お母さんは回りの冷たい目線を感じながら、寂しい気持ちをこらえて、決して健康とはいえない身体を押して欠かさず教会へ行っていました。 でも三年が過ぎ相手方との民事賠償の問題も解決して落ち着きを取り戻したこの頃、冷たくしていた人の心もお母さんに優しい言葉をかけてくれるようになってくれて 「秀章の言った通り恨まず祈る事で、大きな恵みとなったことに感謝しています」と話してくれた。 その時、お母さんから一通の手紙を見せられた。お母さんによって、三年間封印されていた手紙だった。 その手紙とは、あの事件の時共に亡くなわれたS主婦のお母さんからの手紙だった。 しかし彼女も障害を持った娘さんを抱え、重荷を負った生活に疲れて死をも考えていた時期もありました、彼女自身もC型肝炎を患っていて苦しい立場でした。 それを救ったのが松沢さんでした。彼女にじっと寄り添い、同じ病の苦しみを分かち合い愛ちゃん(娘さんの名前)共々サポートしていたのです。(旦那は?と言っても名ばかりの人でした)あんな事件が起きてしまって、松沢さんは特に主婦達から強烈なバッシングをうけ教会を去って行った人もありました。 残された家族との民事保障の話し合いも三年ぶりに解決した今、松沢さんのお母さんは私に三年間封印してきたS主婦のお母さんからの手紙を私だけに見せてくれました。 その手紙には切々とS主婦と松沢さんとの思い出と彼によって救われた我が子への感謝の気持ちが一杯溢れ出てくるような素晴らしい手紙でした。××子は幸せでした。とまで書かれていたのです 表面でしか判断できない人の寂しさよ、その裏には隠された真実があるのです! お母さんはその手紙を誰にも見せずに封印しておりました、交渉の手段に使われたくなかったのでしょう。ボロボロになって死んでいった松沢秀章にどこかイエス様の面影が見えるのは私だけでしょうか・・・・。 成増教会の皆さんへ・・・。
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