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私の守護神は不動明王だと言われていました。不動明王をお参りするときは『ノマクサンマンダーザバラダンセダーマカロシャダーソヤタヤウンタラターカンマン』と経を唱えたものでした。
般若心経を唱え、尺八を吹きながら霊場を巡礼したこともありました。
不動明王は大日如来の化身だと言われます。
不動明王は大日如来の教令輪身とされる。煩悩を抱える最も救い難い衆生をも力ずくで救うために、忿怒の姿をしている。またその忿怒の形相は周りの危険をも顧みず我子を救おうとしている必死の形相とも言われる。まさにその忿怒の形相に秘められた我が子を思う慈しみの心の溢れた姿であるといわれています。
その必死の不動明王を守るためその東西南北を守っているのが、東を守る持国天、西を守る広目天、南を守る増長天、北を守る多聞天。所謂四天王である。
空海の開いた真言密教は密教では三輪身といって、一つの「ほとけ」が「自性輪身」(じしょうりんじん)、「正法輪身」(しょうぼうりんじん)、「教令輪身」(きょうりょうりんじん)という三つの姿で現れるとする。「自性輪身」(如来)は、宇宙の真理、悟りの境地そのものを体現した姿を指し、「正法輪身」(菩薩)は、宇宙の真理、悟りの境地をそのまま平易に説く姿を指す。そして不動明王にしめされた「教令輪身」である。
如来は色々なものに姿を変え煩悩を抱えた衆生を救いに顕れると言われている。
空海が唐の長安で修行をしていた時、その当時長安では『景教』が隆盛を極めていた。景教とはネストリオス派キリスト教の中国での呼び名であって、十二使の一人トマスの教えの影響を受けた宗教と言われている。
三位一体は三輪身に・・・・。
釈迦が修業の末、悟りを開くために菩提樹の下に座した時、世界中の魔王が釈迦を挫折させようと押し寄せたところ、釈迦は穏やかな表情のまま降魔の印を静かに結び、魔王群をたちまちに超力で降伏したと伝えられる。
これも正に、荒野の中でサタンと対峙しサタンを退けたキリストの姿である。
空海の教えの中に巡礼行者の『同行二人』といわれるものがある。『同行二人』とはいつでも弘法大師様と共にある。
それはキリスト教のイエスさまと共にある教えと一緒で、空海の真言密教の中にも『法然』『親鸞』と同じ様な
キリストの姿が見える。
ゆえに、『あらゆる宗教を越えた全ての上にイエス・キリストの真理は輝いている!』のである。
わたしはいつも思っている事がある。
それはキリストの強さである。強いがゆえに弱くなれるのである。
十字架のうえのキリストの姿、ボロボロに打ちひしがれたその弱い姿こそ、強き者があえてその姿を私たちの為に、さらけだしてくれているほど私たちにとって辛いものはない!
キリストの慈愛にあふれたその姿の中に大切なものを守ろうとする忿怒の姿がある。
釈迦は穏やかな表情のまま降魔の印を静かに結び、魔王群をたちまちに超力で降伏したと伝えられる。その時の釈迦の内にも不動明王の忿怒の姿があった。
クリスチャン・スマイル、私は大嫌いだ!
私の心の中に大きな傷がある。信頼していた友に尽く裏切られた傷がある。大きな罪を犯し5年・正しく言えば6年の実刑を受けて刑務所に入り、その辛い刑務所生活の中から送られて来た彼の懺悔とも言われる神さまにすがる内容の手紙の数々。その手紙を読むたんびに大きな恵みを分かち合える喜びにしたっていた。6年間、早く彼にあって神さまの恵みを彼と分かち合いたいと期待をふくらまし、待ちに待った彼の出所を彼の身柄引き受け人として迎えに行った・・・・・・。
でも僅か一・二カ月の短い歳月の中で尽く裏切られた。何も変わっていなかった、あんなに素晴らしい手紙を書いて来たのに人間の本質は現実の世の中においては簡単には変えられないことが分かった。以前わからなかった彼の本質を知らされた事の方が私のこころに深い傷を負わされた。神を愚弄している事の怒りを感じている。それでも神は許せというのか!今の私にはそれは出来ない!成増教会にも行けなくなってしまった。
先日教会役員から一つの連絡を受けた。教会に行ってない私に「松沢さんと共に亡くなったSさんの旦那が12月26日の礼拝でギターの演奏を特別賛美でします」との事だった。私は「彼は全て許せたのですか?」「ウン・・・・・」口を濁して役員の人は「苦しみの中を乗り越えて、私たちの教会へ来てくれて賛美してくれることは、この上ない恵みです!」と喜んでいた。私は何故かあまり嬉しくなかった。何故だか素直に喜べなかった。ただ被害者の夫として周りから同情を受け、方外は慰謝料をふっかけ、傷ついていた松沢さんの病弱なお母さんにまで
過酷な鞭を振り下ろした人を簡単には信じることが出来なかった。
過酷な苦しみを通して、寛容な信仰を持って神の前で賛美する素晴らしい信仰者として成増教会の人々から称賛の拍手を受けるのだろう。そう思うと何故か心から喜べなかった。
何に置いても恵みだ!恵みだ!感謝!感謝!と喜び合うクリスチャン。
キリストにも忿怒の姿がある!
釈尊にも忿怒の姿がある!
大切なものを守ろうと必死の姿が有る。大切なもの救おうとする必死の姿がある!何事にも揺るがない不動の強さを秘めている忿怒の形相がある。
愛は寛容だとキリストは教える。寛容とは強さである。何事にも揺らぐことのない不動の強さである。
十字架のキリストほど強い者はいない!大切なものを守ろうとする、大切なものを救おうとする不動の強さが、キリストから溢れ出いる!忿怒の形相の内に慈愛に溢れた不動の愛が秘められている。
私はこの狼の写真が大好きだ。
狼はネイティブ・アメリカンの中では智慧の象徴として崇められている。
賢く、家族愛の豊かな動物で家族を守る為には死に者狂いで立ち向かう勇気の象徴でもある。
大切なものを守るために、この鋭い眼光とむき出した牙
まさに忿怒の形相である、この裏に大切なものを救おうとする溢れ出る慈愛を感じさせる。
クリスチャンよ!
大切なものを守るため怒れよ!
忿怒の形相を持てよ!
大切なものとはキリストの愛だよ! |
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