荒野の狼

気張らずにありのままの自分でいよう。

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ウェストミンスター寺院
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地下室に次のような碑文が刻まれた英国国教会主教の墓がある。
 
“何の束縛もない若かりし頃、想像は果てしなく広がり、私は世界を変えることをゆめみていた。
ところが、年を重ね賢くなり、 世界は変わらないことに気づいた。 そこで、目指すものをもう少し近いものにして、自分の国から始めることにした。
 
だが自分の国も変わらなかった。
老年期に入り、 私の願いは悲痛な思いに変わった。 自分の国もだめなら、 少なくとも、 最も近くにいる家族を変えることにした。
だが、悲しいことに、 これすらままならなかった。
 
今、私は死の床についている。 なんと、今になって初めてわかったのだ。 変えなければいけないのは、 自分自身だったのだと。 自分が変われば、家族もかわっただろう。
 
そして家族に励まされて支えられることで、国をよくすることもできただろうし、やがては世界を変えることすらできたかもしれなかったのだ。”
 

パウロの言葉に(ピリピ2章3節)
「何事も自己中心の虚栄からすることなく、へりくだって、互いに自分よりのすぐれた者と思いなさい」
 
ある日こんな体験をしました。
今年新一年生になったばかりの、舞喜が保育園の頃、あかちゃん言葉が抜けなくて時々何を言っているのか分からない時があったので、小学校に入る前に言葉の発音を訓練する施設に入れることとなり子供を連れて通ったことがありました。小さな子供ですから訓練と言っても遊びながらの決して強要せず、飽きさせずの、むしろ大人相手より数段大変な根気のいる仕事でした。
30分の訓練というか発音の練習とあとの30分は子供と先生がゲームをしたり、ボール投げをしたり、
色々相手をして遊んでくれました。 舞喜は毎週そこへ行くのが楽しみだったみたいです。
先生と話す機会があり、その話しの中でこうおっしゃっていました。
「最初の頃は失敗ばかりでした。話をしようと思っても子供は自分の思うままで、こっちの話を聞かないし関心を示さないで好き勝手に遊び回るし、なかなか思うようにはさせてくれませんでした。どうしたら良いのか頭を抱える毎日でした。児童心理学も学校で学んだことなど一切役に立たなかった。
悩んだあげく、はっと気がついた、今までの自分は自分の考え、思いを相手に押し付けようとしているのではないか、自分から変わっていかなければいけないことに気がついた。それまでは、挫折、挫折の繰り返しでした。」と、もう若くはない初老の顔を優しくほほ笑みながら話して下さいました。
変えなければならないのは自分であると・・・・・・・
 
人の善・悪は人と人との相対性でなりたっているが、絶対的なものではない。
絶対性は神の前で初めて示されるものであって、人は自分の思考を絶対視して自分の価値基準を他に押し付けてはいけない。
そこでパウロは『何事も自己中心の虚栄からすることなく、へりくだって、互いに自分よりもすぐれた者と思いなさい』と自分から変えることの重要性を説く。
 
ある伝道師の方がとても難しい言葉をならべたてて神を語っていた。
私はあなたの言っていることはあまり難し過ぎて良く分かりませんと言ったら、その人は「ああ!分からないのは当然です。分からなくても良いのです。私は大学で00哲学を学んでいましたから、私の言うことは難しく感じるのです、よく同じことを質問されます。」と答えた。呆れ果てた。この人本当に伝道しようと思っているのか?
その人がある教会でメッセージをした。あとの交わりの時にあからさまな質問を受けた時、プライドを傷つけられたのか、これまた、その教会の人たちに対して怒り、罵ったということを聞きました。
正に『愚者の心は言葉に宿り、 賢者の言葉は心に宿る。』です。
 
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                                      サン・ダミアーノ教会
 

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