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若かりし時の思いで
『城北流・東京太鼓』 当時東京には太鼓郷土芸能がなかったので、やぐら太鼓で城北太鼓と名乗って活動していました。それはもう五十年近くも前のことでした。それから十年近く過ぎて、太鼓芸能の無かった東京に太鼓郷土芸能を創ろうとした志から、『城北流東京太鼓』と名付けて創作太鼓を考え出したのです。
既成の郷土芸能の太鼓から音をまねるのは、私の性格には合わず、あくまでもオリジナルなものを創り出さなければ意味がないと思い、それはそれは苦労いたしました。
電車に乗ると、電車が走っている時に出す車輪の音、車のエンジンの音、色々な機械から出てくるリズムカルな音など、他に自然のかもしだす川の流れの音、風の音、波の音、鳥のさえずり、すべての音に神経をとがらせていました。
苦しかったけれど今思うとその妥協を許さない若き情熱を和太鼓にぶつけられた事は夢は破れても幸せだったのかも知れない。
後に『鬼子座』・『鼓童』・そして林英哲のような素晴らしい太鼓奏者が出てきた時、自分の時代は終わったと実感し太鼓界から身を引きました。
でも私の夢を我が太鼓会を足がかりとして、「見留知弘氏」が成し遂げてくれた事は嬉しい限りです。
純度の高い鉄は錆びないと言われます。
純度のいい砂鉄を溶かし、鍛練していきます。叩かれれば叩かれるほど、不純物は取り除けられ純度が増していくそうです。さらにさらに鍛練されて純度の高くなって混じりけの無い鉄は本当に錆びないそうです。
大太鼓の一本打ちで十五分近く叩くことは、並大抵の鍛練では出来るものではありません。
大太鼓の前に立ち、とことん鍛練された肉体と、精神力によって、打ち抜かれる音は正に魂の響きなんです。
混じり気のない、魂の響きなんです。
そこには何の理屈もありません。
わたしはモノの分かったような面をして偉そうに理屈を告く奴は嫌いです。
神さまに向かおうとしている私たちは壊れ易い素焼きの器です。
壊れては練られ焼かれて、壊れては又練られ焼かれて、鍛練されていく素焼きの器です。
鍛練されて、鍛練されて不純物が取り除かれて神さまの前に跪く素焼きの器なんです。
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2011年11月08日
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