荒野の狼

気張らずにありのままの自分でいよう。

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2011年06月

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子犬と男の子

子犬と男の子
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あるペットショップの店頭に、「子犬セール中」の札がかけられました。 子犬と聞くと、子どもはたいそう心をそそられるものです。 しばらくすると案の定、男の子が店に入ってきました。
「おじさん、子犬っていくらするの?」
「そうだな。三十ドルから五十ドルってところだね」
男の子は、ポケットから小銭をとり出して言いました。
「ぼく、二ドルと三十七セントしかないんだ。でも見せてくれる?」
店のオーナーは思わずほほ笑むと、奥に向かってピーッと口笛を吹きました。すると、毛がフカフカで丸々と太った子犬が五匹、店員の後をころがるように出てきたのです。 ところが一匹だけ、足をひきずりながら、一生懸命ついてくる子犬がいるではありませんか。
「おじさん、あの子犬はどうしたの?」と男の子は聞きました。
「獣医さんに見てもらったら、生まれつき足が悪くて、たぶん一生治らないって言われたんだよ」と店のオーナーは答えました。
ところがそれを聞いた男の子の顔が輝き始めたのです。
「ぼくこの犬がいい。 この犬をちょうだい!」
「坊や、よしたほうがいいよ。そりゃあ、もしどうしてもこの犬がほしいって言うなら、ただであげるよ。どうせ売れるわけないから」と店のオーナーが言うと、男の子は怒ったようににらみつけました。
「ただでなんかいらないよ。おじさん、この犬のどこがほかの犬と違うって言うの?ほかの犬と同じ値段で買うよ。今二ドル三十七セントはらって、のこりは毎月五十セントずつはらうから」
その言葉をさえぎるように、店のオーナーは言いました。
「だって、この子犬は普通の犬みたいに走ったりジャンプしたりできないから、坊やと一緒に遊べないんだよ」
これを聞くと、男の子は黙ってズボンのすそをまくり上げました。 ねじれたように曲がった左足には、大きな金属製のギブスがはめられていました。
男の子は、オーナーを見上げて優しい声で言いました。
「きっとこの子犬は、自分の気持ちがわかってくれる友だちがほしいと思うんだ」イメージ 2
 
                                 ダン・クラーク「季節の嵐」より

「ただでなんかいらないよ。おじさん、この犬のどこがほかの犬と違うって言うの?ほかの犬と同じ値段で買うよ。今二ドル三十七セントはらって、のこりは毎月五十セントずつはらうから」
男の子は怒ったように言います。男の子、彼自身も寂しい思いをしてきたのでしょう。世間の価値観は差別をつけて判断していきます。でも命には価値観の違いはありません。みんな一様に尊いのです。
男の子は寂しさの中に誰かに自分の気持ちがわかってくれる友だちがほしいと思っていたのでしょう。
だから、その子犬を見たとたんに、同じ境遇にいる子犬の気持ちが分かったのだと思う。
 
私は学生時代に筑波大付属の桐が丘養護園という肢体不自由児の学校へ言ったことがあります。
学校の中で若い先生方とも話をしたことがあります。
ちょうど体育の時間でした。ボールを持って二人一組でポールを回って次の組みにボールをわたすだけの運動でした。手の不自由でない子は、手の不自由な子の代わりにボールを持ち、足の不自由でない子は、足の不自由な子の代わりにかけます。 同じ障害を持ったどうし、そこには自然と思いやりがうまれ、やさしさがいっぱい、溢れていました。「何々ちゃん!がんばれ!」しきりに応援している姿をみていて、この小さな子供たちは、自分が不自由に生まれてきたゆえに、人の苦しみ、寂しさを自分の苦しみ、寂しさとして受け止め、純粋に自然のままの「やさしさ」と「思いやり」が身に付いているのだなぁ、と感動したのを思い出します。
普通の学校にないものを教えられた思いでした。
その若い先生は「転んだ子がいても、この学校では手を貸すより、じーとみつめてあげることの方が親切なんです。」
その時以来、私は本当の「やさしさ」とは何なのか考えてきました。
そして、こうも言っていたのを思い出します。「この学校の中ではみんな同じであたりまえですけれど、卒業して世の中に出ると、周りとの違いを感じて、またこの学校に戻りたがる子がいるのです。」
あれからもう、四十数年の歳月が流れてしまいました。今はずいぶん変わってよくなっていると思います。
 

親戚付き合いをしている教会の人が仙台と福島へボランティア活動から帰ってこられて、そこでの話を聞くと慰める言葉がでないほど、悲惨で辛かったそうです。慰めの言葉を語ったとしても自分の立場から語っているに過ぎず。相手の立場の中には入り込めない只の傍観者に過ぎない。だから只ただ黙って寄り添うしかなかったそうです。たとえ、どんなに寄り添っても立場は只の傍観者でしかない寂しさを感じてしまったそうです。
 
だからこの男の子は本当に子犬の思いが分かっていたんだろうね!
 
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過ぎ去りし日々

1999年 夏の思い出

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イメージ 2聖なる夏よ   遠い記憶よ  内なる声よ
    
    鉄の馬は   アスファルトの上を  走ってゆく
          
          老いぼれても  なお  走るのか  
                              
                 あの聖なる声に 導かれて
 
 
 
 


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ペンテコステの日に思う
 
 
 
 
 
 
 
 
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       アーサーとの会話より
 


アーサーと雑談の中からこんな話をしました。
 
『神様は言葉で天地を創り、そして、ヨハネの福音書にはじめに言葉があった、その言葉とはロゴスと原語では言うけれど、すべての宇宙の道筋をあたえる源だという感覚だというその言葉が、人となって地上に来たそれに命があった。
その命は人の光であった。それはイエスさまのことを言っているのだけど、その言葉が受肉し人となった。
だから神様の存在を見失った人間、人間らしさを失った人間に神を信じる生き方はこのような魅力的な人間になれるんだよ!という一つのモデルでもあるんだ。
だから俺たちが追求する最も粋な人間味ある人間の見本がジーザスなんだ、だからジーザスはカッコいいし粋だし、魅力に満ち溢れているんだ、男が男に惚れるようなそんな存在でもあるんだよ。
その存在を心の中に持っているということは、その言葉が人となった存在を俺たちの中にも受肉して、こんどは俺たちの血液を通して筋肉通して、生き方通して心と思いと知性、力をもって神に栄光をあらわしなさい、人を愛しなさいその部分が絶対に一つになって、かもし出されてくると思うんだ。
キリストの姿に似てくるというのは結局、イエスさまと愛の関係をもってその中で完全完璧ではないけれど、愛はその被の罪を覆うというのが絶えず先にながれていくから、
そこの恵みによってその被によって救われている感動が俺らの体の免疫力みたいに神に愛され、生かされ、創られた者だという、本来見失っていた自覚を回復して
それが、もろ俺らの現実の中に現れるから、それを意識してないやつで、失望してちょっと心を病んでいるやつが、その人を見ると、なんでこの人魅力的なんだろう。
言葉を語らなくても、そいつがそこに居るだけでかもしだす香りとか、熱でやはり菌に感染するように感染する部分も大いに有ると思う。
だからこの人オーラがあるなぁとか、魅力的だなぁというのは、ある意味でやはり自分にないものをこの人は持っているとか、本来は自分の中にあるんだけれど意識していない。
でもこの人は意識して生きている、でもそれを押し付けようとしていない。
でもその魅力に自分も影響されてこの人は素晴らしいなぁ、魅力的だなぁ、と思うとその人の中にあるものも魅力的だなぁと思う。
その人がジーザスの話をすると、ナチュラルに心に入るんだけれど、神学的なものばっかりでキリスト教を伝えている人は、言葉で伝えるけれど、その人の中にキリストが生きてないから、またそういう体験でないからギャップを感じてしまうんだなぁ。』
             (この会話は録音した音を聞きながら文章に起こしたものです)
 
このアーサーとの会話の中から、私が以前に話した『愚者のこころは言葉に宿り、賢者の言葉はこころに宿る』のことばを思い浮かべました。正にその通りで、神学を学んで、哲学を学んで、私はキリストを知り尽くし、聖書を知り尽くし、そんな思い込みの中でメッセージをしても、その人の中にキリストの香りがしないから、キリストの温もりがないから、言葉だけが空回りして人のこころの中に入ってこない。


ペンテコステの日・・・・・・・。
師であるイエスさまを尽く裏切り、世の中から迫害されボロボロに打ち萎れていた弟子たちの上に神は聖霊を注ぎました。小さき、弱き者たちの上に、無学で粗野な弟子たちの上に・・・・。ペテロのあの大演説は正に内なるキリストのなせる技であると思う。
あのフランシスコもその人の中にキリストが生きていました。
あのリジューのテレーズもその人の中にキリストが生きていました。
そして、あのマザー・テレサにもイエス・キリストは生きていました。
 
 
                  イメージ 3金色の瞳
俺がドロ沼に落ちた時
その人は
手をさしのべて
たった一つの言葉を言った
「私はお前を愛しているよ」  と
その時
ドロ沼の真ん中に
その人は居た
私が落ちたドロ沼のドロをかぶり
金色の瞳を輝かせて                       この詩の作者の中にもキリストは生きていた
ベテスダの池
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この物語はベテスダの池のほとりに三十八年の間病気で横たわっていた人とイエス様の出会いの話です。
この話を聞くたびに私は今の世の中でも、私たちが人間として大切な心を忘れてしまっている寂しさを感じてしまう。   現代の私たちの状況となにも変わらないような気がしてならない。
一人ひとりの命の大切さや、人と人との絆、協調性の大切さ、隣人愛。 この現代の物質文明のもたらす裕福さの中に人は大切なものを忘れてはいないだろうか?  自分さえよければ・・・・個人主義。人間相互の連帯と協調の崩壊。   どの世の中でも弱い、小さき者たちは置き去りのされてしまっている。
 
さて、このベテスダの池に歩まれたイエス様は三十八年のあいだ病に悩んでいる一人の人に目を留められる。
「なおりたいのか」と声をかけられると、その病人は「主よ、水が動く時に、わたしを池の中に入れてくれる人がいません。わたしが入りかけると、ほかの人が先に降りて行くのです」とイエス様に訴えた。
みんなそれぞれ病を抱えた人たちですから、われ先に他人のことを思いやるより自分のことを考えてしまうことは仕方のないことなのかも知れません。
この病人はイエス様に周りの人の無情さや思いやりの無さ、無関心さを非難して訴えています。
 
私たちも自己の不満原因を他者に転嫁してしまうことが大いにある。すぐに、被害者意識の立場でものごとを批判していることがよくある。社会に対して、人に対して。  つまり人間相互の連帯と協調性の崩壊である。
 
よく考えてみると、この三十八年の病を抱えていた人も、もし逆の立場だったら?同じことをしていただろう!
人を非難するけれど、その自分も同じ立場にいるということが気づいていないのです。
被害者だと常に思い込んでしまって、加害者でもありうる、真の自分に気がつかないでいたのです。
 
イエス様は何も言わずに、『起きて、あなたの床を取りあげ、そして歩きなさい』と言われた。するとこの人はすぐに癒され床をとりあげ歩いて行った。
 
イエス様は何も言わず黙って、その人を受け入れ抱きかかえたのです。
三十八年病に悩み、周りの人を恨んできたその人は初めてイエス様と出会い、自分が決して一人でないことを知っり、周りの人を非難してきた自分の罪深さをも自覚して、そんな自分をも受け入れ抱え込んでくれたイエス様の愛に触れたとき芯から身も心も癒されたのでした。
 
マザー・テレサはこのように言っています。
 『この世の最大の不幸は、貧しさや病ではない。むしろ、そのことによって見捨てられ、だれからも自分は必要とされていないと感じることである』
 
日本人に対してマザー・テレサはこのようにも言っています。
 『今日、日本や他の裕福な国々では、とてもひどい飢えがあるかも知れませんね。だれからも必要とされないというひどい恐れ、だれからも愛されていないというひどい貧しさ。だれからも必要とされてないこの貧しさこそ、
一きれのパンへの飢えよりも、もっとひどい貧しさだと思います。裕福な家庭には、このようなあがきがたえずあります。家庭生活は完全に崩壊されつつあります。というのは、人びとはあまりにも物質的なことでいっぱいで、
精神的なことを考えられなくなっているからです。沈黙した心に神は語りかけられます。ですから、まず祈ることです。というのは祈りのないところには愛はなく、愛のないところに互いの信頼や会話や助け合いはありません』
 
今、日本は千年に一度の大災害にみまわれました。一日にして命を失い。一日にして物を失い。一日にして食料を失い飢えの中に立たされたとき、連日の報道の中から、自分の命を犠牲にして多くの命を救った真実が多くあったことが知らされ、日本国中また多くの外国の人びとからの温かい励ましと支援の数々・・・・・・。
人と人との絆の尊さ、隣人愛!人が遠くに忘れ去っていたものを取り戻せたような気さえ致します。
 
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               苦しまなかったら
      もしも私が苦しまなかったら
            神様の愛を知らなかった
    もしもおおくの兄弟姉妹が苦しまなかったら
            神様の愛は伝えられなかった
    もしも主なるイエス様が苦しまなかったら
            神様の愛はあらわれなかった
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                                                                                  野の花
 
                                                                           

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