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自然と人
被災者がこんなことを言っていた。「相手が自然だもの・・・・・、賠償しろ!って裁判かけるわけいかないもの、
だから、俺たちは前を向いて歩きださなければだめなんだよ!」 この人は小さな居酒屋をやっていた。
小さな店だけれど大勢の常連さんでにぎわっていて、いつも笑いの絶えないお店だったらしかった。
跡形もなく流された居酒屋の場所に立って、過ぎ去った日々を懐かしむように、お酒を出す仕草をしていた。
そしてこう言った「今やらなければいけないのは、人が集まれる場所をつくることだよ」、以前の居酒屋のように、「酒を飲み話をしながら笑える場所をつくることが大切だと思うんだ」
それで、小さな部屋を借りて居酒屋を開いていた。当然、儲けなどは無いけれど、そこに一人、二人と集まって
今は来る人も増えて、お互いの傷ついた心を思いやりながら、笑顔も交わしあえるようになっていた。
マザー・テレサも「どんなに辛い時でも笑顔は絶やさないように」と言われているように、笑顔は復興への大きな力になっていく。
その人の背景にはあの日の海とは違う、穏やかな海が映っていました。
テレビ報道を見ながら復興への力が色々なところから湧き上がってくるのを感じました。
自然とは時には、非情な仕打ちを私たち人間に加える。、その強烈な力の前に、人間は打ちひしがれ、自然を畏れ敬い謙遜を知る。 そして又人間は、その自然によって癒されるのです。
仙台のある川に蛍が飛んでいました。人はその二・三匹の淡い蛍の明かりに希望の光を見。
被災地の明かりの消えた暗い夜空に、今まで見たことのない満天の星が輝き出す。
人間は自然の前で謙遜を知る。
人間の傲慢な知恵は原発を生み、今、自然の力の前に意図も簡単に砕かれた。
ある科学者の言葉を思い出す。
『もし原子の光が少しでも人に危害を与えるものならば、私は「たいまつ」の光を選ぶ』
主はこう言われる。
知恵ある者は、その知恵を誇るな。
力ある者は、その力を誇るな。
富ある者は、その富を誇るな。
むしろ、誇る者は、この事をほこるがよい
目覚めてわたしを知ることを。
わたしこそ主。
この地に慈しみと正義と恵みの業を行う事
その事をわたしは喜ぶ、と主は言われる。 エレミヤ書9章22〜23節
人は自然によって癒される
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