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私のこころの中に常に留めておかなければならない御言葉は
『私の目を開いてください。私があなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください』 詩篇119−18
人は神が語っているのに気付かず悟ろうとしない。ヨブ記で神はこう語られた。
『汝かれにむかいて言い争うは何ぞや まことに神は一度二度(ひとたびふたたび)と告示(つげしめ)し給ふなれど人これを暁らざるなり』
私の目が向くところそれは神様が私の目を向けさせてくれたところ、そこには必ず神の奇しき御教えが隠されているはず。
神様は常にその人の霊的感性に語りかけてこられます。
聖書は聖霊によって書かれ、われらを主の法へ導きたもうもの、と言われていますが、人の手を通す過程で主の真の御言葉は聖書の奥に隠されてしまいました。
私たちが聖書にふれるとき、文字の奥に隠された御言葉が主の聖霊を通して私たちの目を開かせ導いてくださるものです。
元々人は霊から生まれたもの、神の霊界と和合出来る霊的な能力を神は私たちに与えてくれています。
『神は永遠の命を与える』と言われることは神の霊との和合を示されていることです。
聖書の目的はその和合の為に、神の御心の思いが人の霊を目覚めさせる為に書かれたものであると信じます。
神様は常に人の霊的感性に語りかけてきます。それを霊的な感性によって受け止め悟ることの出来る人こそ真の神とのリレイション・シップが持てるのではないだろうか!
賢い神学者や博学者が神の本質に触れることが出来ないのはその霊的感性に乏しいからである。
リジュの聖テレーズ、『空の手で』のなかに、このようなことが書かれています。自叙伝から・・・・・・
『私が歩いていた道は、ほんとうにまっすぐで光に満ちていましたので、イエズス様以外の案内者の必要がなかったのでした。この世においでになった時、喜びにあふれて
「天地の主なる父よ、私はあなたに感謝いたします。
これらのことを賢い人、りこうな人に隠して小さな人々にお示しくださったことを」と仰せになった主は、私の上に御あわれみを輝かせたいとお望みになりました。小さく弱い者であったからこそ、主は私のほうに御身をかがめ、御自分の愛に関する事柄をひそかに教えてくださったのです。
ああ、もしも学問に生涯をささげた学者たちが、私のところへ尋ねに来たとしたら、わずか十四歳の子供が、彼らの博学も発見することのできなかった秘密を悟っているのを見て、きっと驚いたことでしょう。なぜなら、この秘密を知るには、心の貧しい者でなければなりませんから・・・・・・・』
茲にエホバ大風の中より
ヨブに答へて宣はく
無智の言詞をもて道を
暗からしむる此者は誰ぞや
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