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エスカリオテのユダに関する文献は多くありますが・・・・・・・これもまかり間違えれば異端視され攻撃の的になりかねない。
果たして、ユダは救いの内にあるのか、ユダは救いの外にあるのか!
ペテロは・・・・・・イエスを見棄てた。いや!ユダと同じく裏切ったのだ!
生き延び痛切に悔い改めバァチカンの初代教皇となり
ユダは・・・・・・・激しい悔恨のすえ、自ら命を絶つ!
これは神の計画の内にあったことか・・・・・・・!
ユダなくしてキリストの救いは無いのだから!
イエスさまはユダに言う。
「人の子を裏切るような人間はのろわれます。そういう人は生まれなかったほうがよかったのです。」マタイ26−24
私はこの個所がいつも気にかかります。イエスさまはユダの避けきれない哀れな宿命を憂いて言っているのではないかと・・・・・・・・。
ならば、ユダにセカンドチャンスはあるのではないか・・・・・・。
わたしは「のぞみ教会」の高橋牧師に質問してみました。
高橋牧師は優しい口調で「なかなか決めつけられるものではないし、決めつけてものを判断してはいけない。」
と言われて、ある話しを聞かせてくださいました。
「あるラジオ討論会でユダのテーマで番組が組まれ、お偉い諸先生方が出席なさっていました。
色々な意見交換のあと、お一人ずつまとめの意見を述べて貰う事になりました。ほかの先生方が諸々の意見を述べて、ある名の知れた先生のところに順番がまわってきました。その先生はこう言いました『わたしは分かりません』と、そうしたら局に抗議の電話が殺到したそうです。『なんで!分からないという者を番組に出すんだ!』と、でもそれを聞いていたお弟子さんは『うちの先生が一番良い解答をなさいました』と言ったそうです。」
わたしもその話しに納得しました。
どんなに神学を学び、博学であろうと人の知恵の及ばぬところの、神の知恵は分かるはずのないもの!
神は言われた『無知の言詞をもって道を暗からしむる此者は誰ぞや』
38:1 主はあらしの中からヨブに答えて仰せられた。
38:2 知識もなく言い分を述べて、摂理を暗くするこの者はだれか。 38:3 さあ、あなたは勇士のように腰に帯を締めよ。わたしはあなたに尋ねる。わたしに示せ。 38:4 わたしが地の基を定めたとき、あなたはどこにいたのか。あなたに悟ることができるなら、告げてみよ。 公の場に於いて、
堂々と『わたしは分からない』と言い切った先生にハレルヤ!と叫びたい!
心のきよい者。これは見せかけの清さではない。神の御前でわが身の罪を打ち砕き、さらけ出せる者のことだ。
以下は聖書のことばより
自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。
「ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。 パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。『神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。 私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております。』 ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。『神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。』 あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです。」 イエスにさわっていただこうとして、人々がその幼子たちを、みもとに連れて来た。ところが、弟子たちがそれを見てしかった。
しかしイエスは、幼子たちを呼び寄せて、こう言われた。「子どもたちをわたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです。 まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません。」 心のきよい者は幸いです。
その人たちは神を見るから。
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2012年03月22日
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