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先々週、今わたしの行っている教会の総会がありました。わたしはまだ正会員ではないので、「オブザーバーとして参加してもらえませんか?」と牧師さんから言われたので、気の進まぬまま参加してみました。
なぜなら、教会は神さまの元に一人一人が教会という一つのからだの一部の器官として一人一人与えられた賜物、恵みを生かして、神さまの為に仕える場所であるから、世の中の会社と同じような運営手段が入り込むのが嫌なのです。
去年一年の活動報告。事細かな会計報告、その監査報告そして承認。まあそれは良しとしてこれからの教会の活動方針の議題にいたって、どのようにして、教会員を増やしていくかの談になると、たまたま先週の礼拝に近くの大きな医療センターから初めて来られた方がおりました。その教会の生え抜きのある役員は「そういう方をうまく取り込んでそこに働いている人たちを教会員に引っぱり込もうと思っている」と真面目に話したのにはあきれ果てた。
まるで、信仰宗教やカルト宗教の手法と変わりない事をなんのためらいもなく話され、またこれからは若い人たちを増やさなければ教会の発展はない。その為に今の牧師さんが75歳定年をむかえる5年後には若い牧師さんを迎い入れ刷新を図らなければならないと言う。余りにも無神経な発言と作為的な伝道手段にあきれ果ててしまった。
教会という枠の中で知らず知らずのうちに神の御心から離れ己の魂を腐らせてしまうパリサイ人が増えていく。
ローマ書12章
私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。 こういう話しを聞いたことがある。
ロシヤ正教の神学校の卒業試験の最後にメッセージの試験があるらしい、この試験を通らないと卒業許可がおりないようです。ある学生がメッセージをしました、聞いている人たちの反応は皆素晴らしいと共感されていたそうです。でも、その学生は落とされました。
ロシヤ正教は伝統を重んじる宗教であると聞きます。ロシヤ正教の伝統ある教理と外れているとの理由でした。その青年はその迷いをアーサーに相談しに来ていました。
どう思われますか?
宗教とはこんなものです。教団、教派の主旨から外れないように、気をつかってメッセージをする牧師さんも多くいると思います。
宗教・教団・教派は神の身許にあって、自由であるべき魂を、その枠の中に閉じ込めてしまう。
ある話しがあります。
『貧しい男が道を歩いていました。そこへイエスさまが通りかかり、その男に聞きました「なんで、そんなに寂しそうに歩いているのか?悲しいことでもあるのか?」と聞いたところその男は「あそこにある教会から追い出されてきました。」と答えました。それを聞いてイエス様はその男にこう答えました「私もあの教会から追い出されたんだよ!」と。』
霊に燃え、主に仕えなさい
喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。
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