荒野の狼

気張らずにありのままの自分でいよう。

風の唄

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もういちどあなたと

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  行き場のない思い抱いて  僕は一人歩いている

  あなたのいないこの場所に  僕は生きる意味を見出せない

  溢れ出した思い出と  涙ぬぐい今日もまた

  繰り返しの生活が  僕を待っているのさ


  いなくなってはじめて  心から大切だと思えた

  人ってこんなにもバカで  弱いものなんだね

  
  もういちどあなたと  会えると信じている

  でもなぜか溢れ出す  涙が

  どうしてあの時  いえなかったんだろう

  「ありがとう」いまならいえるよ


  これは人のサダメだと  思える日が来るだろうか

  今はただ  今はただ  進んでいくしかないんだね


  今この瞬間を精一杯生きる  思いでにぎりしめまた歩いてゆく


  どんなにつらくても  どんなに孤独でも

  決してひとりじゃない  あなたが

  今もこの僕の  心の中には

  いつもあなたが  いてくれる


  もういちどあなたと  会えるその日まで

  強く 強く 生きてゆくよ

  だからその日まで  いつも僕のそばで

  僕のことを  見ていてください・・・・ 

                        作詞・作曲   河野 まこと



  成増教会の特別讃美で彼が歌ってくれた曲です。

  松沢牧師を偲ぶ心を歌ってくれた彼の心の響きが私の心の響きと共鳴し、礼拝後彼に頼んでこの詩を

  もらってきました。 この詩、自分のブログに載せても良いかとの了解を得て皆さんに紹介します。

  皆さんから愛され、慕われた松沢牧師の一面を分ってもらえるのではないかなと思って・・・・・

  今でも、私のブログを見て松沢牧師を思い出し、涙をながしながら読ませてもらいましたとの声を

  聞きます。 松沢さんを亡くした時、自分に出来る事は何かないかと思って始めたこのブログでした

  知られない彼の良さを少しでも分かって欲しかったし、少しでも名誉回復を友としてさせてあげた

  かった。  松沢さんは自分の中に寂しさを一杯抱えてた、彼は携帯電話を二つ持っていて、夜の

  11時まで電話がつながらなくなっていて、11時に携帯電話のスイッチをオンにすると、とたんに

  二本の電話が鳴り出す。信者さんからの相談やくだらないと思われるような話まで、相手をして上げ

  ていた。 私はよく彼に言ってた、「そんな電話、やめちまえよ!」って。すると彼は決まって

  「これをやめたら牧師じゃなくなってしまうんだよ」って答えが返ってくる。そのあと2時頃精神安

  定剤を飲んで寝る。 C型肝炎で自分の体を休めなくてはならないのに。

  写真に写っている松沢さんの顔はいつもどこか寂しい影があった。
  

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  成増教会のペンテコステ礼拝はヨハネ14−15〜19と使徒2−1〜4から引用のメッセージが

  語られました。ヨハネ14−15〜19でイエスさまが語られる、聖霊と聖霊降臨への暗示、弟子達

  に果たしたイエスさまの約束。    聖霊が御言葉として私達の心の中に入ってきてくれた聖霊と

  言の結合。聖霊の結びつきによる、神の民、キリスト教会が生まれた聖霊と教会の結合。 でも私は

  思う、語られ無くてはならない事があるような気がします。   なぜ弟子達のところに聖霊が注が

  れた? キリストの弟子だから当然だろか?。 ヨハネ14−15に“もしあなたがたが わたしを

  愛するなら、あなたがたは わたしの戒めを守るはずです。”と弟子達に語られているけれど、キリ

  ストの弟子達はそれをことごとく裏切った。キリストの弟子として、キリストの身近で教えを受け、

  身近で奇蹟を見、「あなたは神の子です」とまで言ったペテロ。 イエスさまが捕らえられた時、そ

  の弟子達は蜘蛛の子を散らすように逃 げだしている。イエスさまは最愛の弟子達にも裏切られてい

  る。そこに、神は弟子達のうえに人間のもつ弱さを示された。イエスさまが十字架にかけられたあと

  は弾圧され世の中からも人としても、小さくされた弟子達、弱くされた弟子達。その弟子達のうえに

  聖霊が注がれたことが大事だと思う。そこに、神の愛の視点が示されたのであると思います。それ故

  に今でも私達、弱い者、小さき者の苦悩のうえに聖霊の力を注 がれ救いの手を差し伸べられるので

  す。あの弱かった弟子達は強気者達に変えられていった。無学で粗野な漁師のペテロ、単純で純粋な

  ペテロ、イエスさまに叱られているペテロ、そんなペテロが私は好きです。イエスさまはそんなペテ

  ロを最高の証し人として用いられた。

  信仰の深い人は礼拝堂に掲げられた、美しいイエスさまを仰ぎ見て祈る。 信仰の浅い私は泥だら

  けのイエスさまを仰ぎ見て祈る、汚れた足を洗ってくれるイエスさまが好きだから、汚れた足を洗う

  には、汚れた布ではきれいにならないでしょう、きれいな布でなければ・・・・・

  だから、私にはきれいな布が必要なんです.

  
  俺がドロ沼に落ちた時

  その人は

  手をさしのべて

  たった一つの言葉を言った

  「私はお前を愛しているよ」

  と

  その時

  ドロ沼の真ん中に

  その人は居た

  私が落ちたドロ沼のドロをかぶり

  金色の瞳を輝かせて


  松沢さんの好きなイエスさまが居る。 松沢さんが教えてくれた、私の好きなイエスさまが居る。

  本田哲郎師の教えてくれたイエスさまが居る。

  ペンテコステによって、私達小さき者、弱き者の内に注がれる聖霊が神より与えられた。

  小さき者、弱き者の内へ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・!!

  

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「萬法即一吹」 という言葉があります。私は名前だけの尺八の師範をもっていますが、この言葉と

  「天籟無作為」 という言葉が大好きです。 

  一吹にはじまり一吹に終わる。その一吹にすべての法則、真理が含まれる。

  まずは、一吹きから始まって、あらゆるものを身に纏っていく、吹く為の技、音色、知識、などあり

  とあらゆるものを身に纏っていく。そして、そこから無用なものを剥いでいくとその先は、また一吹

  にもどる。「萬法即一吹」の世界がそこにある。 その先は「天籟無作為」の世界。世の中には、

  人籟 、人の奏でる音  地籟、自然の奏でる音  天籟、天使の奏でる音があり。 天使の奏でる

  音には、なんの作為もなく、その一吹の境地すら無く、無心、無我の境地であります。

  信仰も同じのような気がする。純真無垢な幼子の信仰に始まり、あらゆるものを身に纏っていく、

  神学、哲学、などありとあらゆる宗教学を身に纏っていく、いくら理屈を捏ねまわしても、人間より

  崇高な神の知恵には及ぶ由もなく、無駄なものを一づつ剥いでゆく、実に着いたものを取りさって

  いくほど、難しいことはない。取りさってたどり着くところは、又純真無垢な幼子のような心の信仰

  にもどっていくような気がする。ただ、ただ無心に神を見上げ、祈る信仰に・・・・

  では、神への信仰って何なんだろう?

  剣道の言葉の中にも私の大好きな言葉があります。

  「振りかざす太刀の下こそ地獄なれ一歩進め先は極楽」

  「切り結ぶ刃の下こそ地獄なれ踏み込み入ればそこは極楽」

  一足一刀の間、ここは両刃交鋒生死の間と言って、こちらから一歩踏み込めば相手を切ることが

  出来るが、相手の太刀もこちらに降りかかってくる。生死を賭けた間であります。

  常に死が襲い掛かってくる地獄の間なんです。 それを乗り越えるには、自分の一刀を信じて飛び込

  むしか無い。 躊躇したり、少しの迷いも許されないそれは死を意味するから。その一瞬の間を無我

  無心で飛び込んでこそ、その先にある極楽に入ることが出来る・・・・・・。

  信じるとはそう言うことではないのかな、無心で神を仰ぎ、信じる信仰が神の救いの御国へ入れる

  信仰だと思う。知識や理屈なんて要らないんだよ! ハレルヤ!ハレルヤ!純粋で無心な幼子の心を

  持って信仰し賛美することを神さまは一番喜んで下さると思う。

車椅子のお客さま

  タクシーの乗務中、夜十一時頃上野駅から車椅子のお客さんを乗せた時の事です。

  二十六・七の青年が三人立っていました。そのうちの車椅子の青年一人がお客さんでした。

  私はドアーを開けてから「手伝いましょうか?」と声をかけると、「大丈夫です」との返事が返って

  きたので、ふと見ると小ぶりの車椅子で助手席を前の方に出してあげると、後ろの客席の前に納まっ

  てしまうような物でした。 普通のものは後ろのトランクに入れるので乗務員が手を貸して乗せるの

  ですが、この時はお客さんは、手慣れていて自分だけで器用に乗り込んできました。あとの二人はと

  言うと、ただ見つめているだけで手伝おうともせず、当たり前のように「じゃあ又な、バイバイ」と

  見送っていました。車を走らせ目的地へ着き、お客さんが降りる時に私はもう一度「手伝いましょう

  か?」と声をかけましたが、また「大丈夫です」との返事があったのでドアーを開けて運転席から

  見守っていました。 すると近くにいた男がとんできて、やにわに「何で手伝わないんだ!シートベ

  ルトも付けたままで!タクシーセンターに訴えるぞ!」とすごいけんまくで怒鳴りつけてきました。

  私も些か頭にきて、タクシーを下りて「黙っていろ!この偽善者野郎!事情も分からないで口出して

  くるんじゃねえ!」と怒鳴り返してしまいました。あとで反省しましたけれど。

  事情が分ってその男は謝りの言葉もなくすごすごと行ってしまいましたけど、なにも言わずに黙って

  手を貸してくれていたら、私も「すみません」の一言も言えたのに。

  とかくこの世の中、安っぽい正義感をかざす輩が多い。

  障害をもっている人達が社会復帰する為には、自然のかたちで優しく手を貸すことは大切なことだ

  と思いますが、それより大切なのは、一人前の社会人として認め合う事だと思う、一人立ち出来る

  ように、見守ってあげられる所は見守ってあげる差別のない優しさを周りが持つべきだと思います。

  昔行った養護学校の先生が行っていた言葉を思い出す。 「この学校の子供達は社会に出すと、すぐ

  にこの学校に戻りたがる、ここでは皆同じだから」・・・「転んだ子に手を貸して上げるより、見て

  いてあげる方が親切」と言われたことを・・・・・・

  彼を見送った二人の青年は当たり前に見守り(決して簡単に乗車したわけでもない)同じ一人の人間

  どうし、友達どうし として、認め合って居たからだと思う。安っぽい同情や、親切は時には差別を生

  む。傷つける。

「誰かがこの世の中に障害をもって生まれてこなければならない定めがあるとするなら。

   障害をもって生まれてきてくれた人は、私の代わりに障害をもって生まれて来てくれたのだから、

   手を貸すのは当たり前です」    ある障害者をサポートしている人の言葉です。
  

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   久し振りにアーサーのメッセージを聞きました。松沢さんが亡くなって以来だから、三年ぐらいに

  なると思う。 素晴らしいメッセージでした。 考えてみると、私はアーサーと松沢さん以外のメッ

  セージをあまり聞いた事がなかったので、それがあたりまえだと思っていたが、この三年間、他の

  牧師のメッセージを聞く時を与えられ、はじめて彼達の素晴らしさを再確認させられた。

  私の妻も・・・、彼女は韓国人なので日本に学生で来ていた時、色々な教会へ行ったそうです。

  自分に合う教会を探し巡っていたそうです。牧師の言っている事が難しくて良く解らなかった、そん

  な時、くちこみで松沢牧師のうわさを聞いて六本木の私達の教会へ来てびっくりした、と言っていま

  した。黒のライダース、黒のジーンズ、腰には銀のウォレットチェーンのジャラジャラファッショ

  ン、髪は長髪、髭をはやし、しかもハーレーで教会に乗りつける、こんな牧師は韓国には居ないと言

  っていた、しかも三、四人の柄悪き男達と。(その中の一人は私です)そんな中で礼拝が始まると又

  びっくり、賛美には若手の優秀なオペラ歌手が居たり、又独自のクワイアーを率いるリーダーが居た

  りして一部屋を借りて礼拝している小さな教会には似付かないメンバーが居ました。そのなかには、

  アメリカの大きなゴスペルの大会で応募したゴスペルが認められ、日本人では初めて賞をもらい、

  アメリカまで指導に行った若者もいました。 松沢牧師を求めて集まってきた若者達ばかりでした。

  さて松沢さんのメッセージはと言うと、とても解りやすい、と言うよりも分かりやすく話してくれる

  と言った方が正しいかもしれない。 ほかの牧師のメッセージは解りずらいけど松沢さんのメッセー

  ジはとても解りやすいといつも言っていました。 成増教会でもインドネシアの人で、この方は

  言葉もすべて日本人と変わらない方ですが同じことを言っていました。

  下調をして、いかにも聖書解説、研究発表のごときに終わってしまうメッセージが多い、理屈をこね

  まわすから解りずらくなってしまう。自分の中に居るキリストを語れないから、どんな言葉をもって

  きても、何百回話しても、相手に伝わるわけがない!

  イエスさまの時代は字も書けない、文字も読めない、無学な人達が大勢いた。その小さき者、弱き者

  達のために解りやすく身の回りの事を例にして、たとえ話として解り易く解説してくれた。

  律法学者はと言うと権威を示し偉そうに理屈をこね回して話す。今の世の中でもよく居る、一つの

  ことを説明するのに、理屈をこねくり回して偉そうに話す奴、もっと簡単に話せよと言いたくなる。

  アーサーのメッセージも松沢さんのメッセージも身近に起こった事、体験した事を例にとって世間話

  のように話ながら聖書の御言葉を解説していく。その話はと言うと、ある時は自分の失敗談であった

  り、世の中の出来事であったり、小説、映画、著名人語録だったりする。それを砕けた言葉でおもし

  ろおかしく話していく。だから聞き手は話に引き込まれていく。よく解る。   

  御言葉、御教えは、この世の中にどのように働き、生かされていくことかが大切なこと。

  だから聖書解説で終わってしまったらそれは悲しい。  
  
  アーサーや松沢さんのようにメッセージされる牧師さんが大勢いらっしゃる事も知っています。

  自分のイエスさまを語れるインパクトの強い牧師さんが多く成ってほしいものです。

  チョー・ヨンギ牧師の「完全な救い」の著書の中に「わなたは、自分の伝えた福音を本当に信じて

  いますか。・・・中略・・・あなたが体験している生きた福音を伝えなさい。」

  私は神学校で学んだ知識だけで神のわざをしようとしたのです。私は、私自身が出会った神でなく、

  他人の出会った神を知識で伝えようとしたのです。 

  チョー・ヨンギ牧師が若い頃、伝道にいきずまり牧師を辞めようかとおもっていた時、神の声を聞き

  自分に目覚めた時のことが書かれていましたけれど。生きた神の御言葉を語る事の大切さを言って

  いる事だと思います。      素晴らしい使命を託されている牧師さんたち頑張って下さい!!
  

  


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