荒野の狼

気張らずにありのままの自分でいよう。

風の唄

[ リスト | 詳細 ]

記事検索
検索

全26ページ

[20] [21] [22] [23] [24] [25] [26]

[ 前のページ | 次のページ ]

古い手紙

イメージ 1

  この文章は四十二歳だった頃、まだ幼かった二人の息子たちの為に宛てた、わたす事のなかった手紙

  です。 (弟の竜二の結婚式のとき、兄弟二人に父からのメッセージとして彼達にわたしました。)

  

  『今からもう二十年近くにもなります。私が学生の頃、桐が丘養護園とゆう肢体不自由児の学校へ

  写真を撮りに行った事がありました。(学校で写真の勉強をしていました。)私が写真を撮っている

  と、小学校の3・4年生ぐらいの男の子でしょうか、体じゅうギブスのバンドで縛られ、まるで中世

  の鎧を着た戦士の様に「ガチャ、ガチャ」と音をたてて、校門のところを歩いている子供がいました

  私はそばに母親が居ることに気ずかず、私はその子にむけてシャッターを切りました。 

  その時、母親は子供に向って、こう言いました。 「何々ちゃん(名前は忘れました)おにいちゃん

  に自分で立っている写真を撮ってもらいましょう。よかったね」  その時の言葉が私の心の中に

  今でも残っています。 その時、お母さんは、どのような気持ちで言ったのか? 「何をするのです

  か」と私に怒れば、子供はそれ以上に傷付くし、母親の心は、もっともっと辛かったのでは無かった

  ろうか、いろいろ考えていました。私のあまりにも身勝手な心無い行動に自己嫌悪におちいり、

  しばらく悩んでいた。 校長先生にお会いしてそのことを話したら、先生は、にこやかに「その写真

  をその子に持って行ってあげなさい、きっと喜びますよ」と言って下さいました。

  その学校の中で若い先生とも話しました。 ちょうど体育の時間でした。ボールを持って二人一組

  でポールを回って次ぎの組にボールをわたすだけの運動でした。 手の不自由でない子は、手の不自

  由な子の代わりにボールを持ち、足の不自由で無い子は、足の不自由な子の代わりに駆けます。

  そこには自然と思いやりが生まれ、やさしさがいっぱいあふれていました。「何々チャン頑張れ」

  しきりに応援していました。私は感動しました。 このちいさな子供達は、自分が不自由に生まれて

  きたゆえに、同じ苦しみを理解し、人の苦しみを自分の苦しみとして受け止め、純粋に自然のままの

  「やさしさ」と「おもいやり」が身についているのだなあ、と思いました。 普通の学校には無い

  ものを私は教えられました。 その若い先生は「転んだ子がいても、この学校では手を貸すより、

  じっと見つめてあげる事の方が親切なんです」って。

  その時以来、私は本当の「やさしさ」とは、何なのか考える様になりました。

  私は灰谷健次郎が大好きで、ほとんどの本は読んでいます。  その中で、「だれもしらない」の

  麻里子の話があります。障害をもつ麻里子がバス停までの二百メートルを四十分かかって歩く道すが

  ら、色々な事を発見してゆきます。私達がかんたんに、見過ごしてしまう事を麻里子は、一つ一つ新

  しい感動として発見していきます。    私達は自由がゆえに不自由なのです。

    中略
  「幸せ」も同じです。「幸せ」は私達の心の中にあります。 貧乏していても、「幸せ」を感じる

  心があれば、辛い生活の中でも「幸せ」を感じる心があればその人は「幸せ」です。

  人間の心というものは、素晴らしいもので、道端の小石一つさえも素晴らしい宝石にもなりえるの

  です。   私の仕事は、肉体労働ですから汗を一杯かきます。 その汗の一粒が、我が愛する子供

  達の一粒の血となるのです。 働いて流す汗の一粒の価値は、人間一人一人、皆同じです。

  でも、世の中ではその汗の一粒に金銭価値の差をあたえます。

  「優しさ」を意識した時、それはもう「優しさ」ではありません。  「思いやり」を意識した時

   それはもう「思いやり」ではなくなるのです。  それは、無意識の中で「差別」が表われている

   のです。無意識の中で行動することは私達にとってはとても、とても難しい事だと思います。

  だから、私達はいつも、いつも「優しさ」と、「思いやり」の心を求めつづけてほしいのです。

  私は、私の子供達二人には、本当の「優しさ」と「思いやり」の解かる人間になってほしいのです。

  勉強が少々出来なくても、健康で明るく「優しさ」と「思いやり」の心が有れば、人間どんな立場

  境遇に置かれても、自分の中の「幸せ」を失わない、強い人間に成れると思うからです。

  
              竜仁、 竜二の為に       父より           』


  当時、私は運送屋をしていました。男手ひとつで幼い息子たちを育てるので精一杯でした。

  子供達のために、自分の人生を捨てるつもりで必死で子供達と向き合っていました。

  今思うと、辛くて、寂しくて、不安だらけだったけれど、いちばん充実していたように感じる。

  神様は私を遠くから見ていてくれた。辛かった時、寂しかった時、私に手を差し伸べてくれていた

  イエスさまの愛に気ずかなかった・・・・いや!イエスさまの元に導かれている自分に気がつかな

  かっただけかも知れない!

  成増教会の礼拝で牧師さんは、ルカ3章ー21節のイエスさまがバブテスマを受ける箇所からのメッ

  セージを語られた。 神の子であるイエスさまが何故、ヨハネからバブテスマを受けたのか、この箇

  所はイエスさまが私達罪ある者の中に人として降りてこられ、同じ立場を共有されたところにイエス

  さまの私達に対する神の深い愛の視点を示されたところにあると思われる。 本田哲郎師の言われる

  低みに立ってものを見る、イエスさまは自ら私達に示された。そいう意味でバブテスマの意味は大き

  い。イエスさまはヨルダン川に身を沈められました。水はいと低き所を流れる。そのいと低きとこ

  ろに私達は身を沈め、低みに立ってものを見る者に生まれ変わる、このことこそがバブテスマ・全浸

  礼の大きな意味があると思う。苦しむ者と苦しみを共にし、悲しむ者と悲しみを共にし、常に罪深き

  私達と共にいてくれるイエスさまの愛が私達に示されるのだと思はれる。

  へりくだりではなく、低みからの立ち上がりを、

  あわれみではなく痛みを共感することを、

  ほどこしではなく共有することを、

  低みに立ってものを見ることこそ、そこに真の理解が生まれる。 以上は本田哲郎師の教えでありま

  す。 

  イエスさまがバブテスマを受けられるこの箇所は、全浸礼の大きな意味と、信仰者として持たなけれ

  ばならない、大切なことを問われる大事な箇所でもあると思います。 イエスさまの愛の視点。

まり子の道

私は愛車のハーレーに乗って一時間ばかりの通勤ツーリングを楽しんでいます。渋滞していてもすり

 抜けなどせずに、車の流れにまかせてゆったりと走ります。私のわきをスクーターやバイクが忙しなく

 すり抜けていきます、でも気にならずに走ります。なぜって、この一時間あまりの時は私と神様との

 対話の時だからです。自然の教会の礼拝だからです。風と語りあう時を持つ時間だからです。(ちなみ

 に瞑想していて事故をおこすような事はありませんから安心してください。) 灰谷健次朗の短編小説

 で「まり子」という題の小説だったと思うけれど、まり子は体の不自由な子で学校のバスが来るバス停

 まで、車いすに乗ってゆっくり、ゆっくり歩く、その道すがら風船虫のおもしろい生態など色々な楽し

 いことを発見してゆく、不自由でない普通の人はサーと通り越してしまうその場所で色々な楽しいこと

 を発見していく。神様は風に、道の片隅に咲く小さな花に、小虫に、浮かぶ雲に、色取り取りに変わっ

 ていく日の光に、神様はあらゆるところからメッセージを私達に送られる。 木枯らしの吹いていた寒

 い道だった風が吹くと枯れ葉が舞ってきてバイクや私の顔に当たる。道端には枯れ葉がいっぱい落ちて

 いて車が通るとその風に巻かれて車の後ろを追う様にカラカラと音を発てて私のバイクの前を駆ける。

 私がそこを通るのと同じくして、風が吹き、同じくして今まで枝にしがみ付いていた枯れ葉が舞い落ち

 道端に落ちていた枯れ葉が私のバイクの前をカラカラと音をたてて駆ける。私が通るのを待っていた

 かのように、すべての時が一致したその時を感じた時、枯れ葉が子供達が車のあとをワイワイと声をあ

 げて追いかけているようにも思えた。身も凍えるような寒い道も面白く、楽しい道になった。

 時が流れ、春近くなって、黒いシルエットだけだった木々の枝もその先に若草の新芽をつけ、黒の

 中にもどことなく緑がかってきたかと思っていたら、黒い枝に若草色の鮮やかな緑が点描画のように

 点々と色よく付きはじめそれはとても美しく、まるで神様が若草色の絵具で描いたみたいに思えた。

 今はもう至る所に草花が咲き乱れその花を見ながら川越街道の並木道をバイクで走っている。

 特に目立つように咲いている花よりも物影にひっそりと咲いている花をみつけて見るのが好きです。

 

イースターに思う

  イースターのメッセージを聞いて思ったこと。キリストの復活を喜び祝うことのすばらしさは言う

  までもないことですが。 もっとすばらしい事は、憐み深い神の愛の許しにあると思う。

  イエスさまが復活された時、弟子達は動揺して御教えを信じる者は誰一人もいなかった。エマオに行

  く途中でクレオパにイエスさまは「ああ、愚かな人たち。預言者たちの言ったすべてを信じない、心

  の鈍い人たち」と嘆かれる。 イエスさまと共にしたこの弟子達こそ、真近にイエスさまの行なった

  数々の奇跡を見、その教えの多くを聞いているのに、動揺して誰一人として信じる者がいなかった。

  ましてイエスさまが捕らわれた時、慌てふためいて逃げてしまった弟子達。こんな裏切る情けない弟

  子達はいない。ここに神は信じることの出来ない心のかたくなな、人の弱さをその弟子達に表わし

  た。 イザヤ書6章9節の神がイザヤに強いた怒りの御言葉が思い浮かばれる。見ても見ず、聞いて

  も聞かず、悟らぬ心の鈍い弟子達。そんな愚かで情けの無い弱い、弱い弟子達に手を差し伸べ、力を

  注がれたイエスさま。そして、あらゆる国の人々に宣べ伝える証し人として用いられたイエスさまの

  慈愛に満ちた愛の深さに私の心がうごかされた。 主は弱き者、小さき者に力を注がれる。

  これほど弱かった弟子達は強気な者に変えられ殉教の道へと歩んでいく神の力とは・・・・・。

  
  愛する我が主、どうぞ私の目を開かせて下さい。

  あなたの声を私の耳に届かせて下さい。

  今の私には、見ても見ず、聞いても聞こえず。

  主よ、あなたの御言葉を私の心の奥にひびかせて下さい。

  あなたの御教えのうちにある、奇しきことに、眼を留めるようにして下さい。

  主が嘆かれたように、私達は心の鈍い者たちであります。

  ああ、主よ!主の両刃の剣より鋭い御言葉で私達の心と体を刺し通して下さいますように。

  どうぞ私の目を開かせて下さい。

  あなたの声を私の耳に届かせて下さい。

  この祈りを、永久につづく主の栄光を讃美しつつ、我が主、イエスキリストの御名を通して

  お祈りいたします。   アーメン。

いつだったか、松沢さんと浅田次郎の「鉄道員(ぽっぽや)」を見に行ったことがあった。佐藤乙松

 という鉄道員が、最果てのローカル線の小さな駅を守りつづける仕事一本の不器用で孤独な男の物語で

 した。我が子の死に目にも妻の死に目にも鉄道を守らなくてはいけない使命感から立ち会えず、まわり
 
 の人から非情だと批難されるが、乙松は何も語らずじっと耐える。そんな男の寂しさと辛さがたまらな

 く良かった。ある時、駅に小さな女の子が現れる、女の子はお人形を忘れて帰ってしまう。次の日に

 小学生の女の子が忘れ物をとりに現れるがまたお人形を忘れて帰ってしまう。さらに次の日には高校生

 の美しい少女が乙松の前に現れる。乙松はその時、女の子が忘れた人形は、乙松が幼くして死んでいっ

 た娘に買ってあげたたった一つの贈り物だときずく。その美しく成長した女子高生こそ死んだ我が子だ

 ときずく。成長していく姿を亡霊となって乙松に見せに来てくれたのだ。そのときに「お父さんありが

 とう」と言うセリフがある。娘も妻も誰よりも愛し、その亡くした悲しみ、寂しさ、辛さをじっと心の

 奥に閉じ込めていた乙松にとって、その言葉がどんなに嬉しい言葉だったか・・・・・。    私も

 私の勝手から妻と別れて母親の愛情が一番必要な幼い子供達に母親のない寂しさを与えてしまったこと

 で、いつも、“すまない”という気持ちでいたことが、乙松の気持ちとダブッて泣いてしまった。

 横でなにか鼻をススル音がするので松沢さんを見るとやはり泣いていた。「乙松が鉄道馬鹿であるなら

 俺は牧師馬鹿だよ、不器用で牧師しかできない牧師馬鹿だ」松沢さんは、鉄道を一途に愛し世渡りの

 へたな乙松の生き方に自分とやはりダブらせたのだと思う。大男が二人肩をならべて、人目をはばから

 ず泣いているのは奇妙な光景だったと思う。 
 
 

全26ページ

[20] [21] [22] [23] [24] [25] [26]

[ 前のページ | 次のページ ]


よしもとブログランキング

もっと見る

[PR]お得情報

数量限定!イオンおまとめ企画
「無料お試しクーポン」か
「値引きクーポン」が必ず当たる!
ふるさと納税サイト『さとふる』
実質2000円で特産品がお手元に
11/30までキャンペーン実施中!

その他のキャンペーン


プライバシー -  利用規約 -  メディアステートメント -  ガイドライン -  順守事項 -  ご意見・ご要望 -  ヘルプ・お問い合わせ

Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.

みんなの更新記事