楽山日記

本、映画、ドラマ、音楽、人生、思想、生活…など、風の吹くまま気の向くままに綴ります。

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アドラー心理学


最近は、アドラー心理学サロンさんのツイートをよく見てる。
共感する言葉が多くておもしろい。
 
アドラー心理学サロン
https://twitter.com/adler_salon/
 
自分はどうも、人は人、自分は自分というような考え方がだんだんと強まってるようだ。
若い頃であれば付き合いで時間を潰しても大して気にならなかったけれども、人生も半場を過ぎて、だんだんと終わりを意識する年になってきたせいか、若干、焦りが出てきてるのである。自分の課題にもっと集中しなければ…。
 
巷では、年を取ったら静かに余生を過ごすのがよいという考え方もあるけど、それとは逆に年を取ったからこそ、残り時間が少ないからこそ、本気で善く生き切ろうと活動的になるということもありそうではある。
 
この辺りは人それぞれなんだろうけれども、自分の場合はまだ諦観には至っておらず、自分の人生を生きたいという願望はそれなりに強いようである。〈了〉

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いつも長くなってしまいますね。読んでくださり感謝します。
このコメントでおしまいにしたいですね。
私も寝る時間をとっくに過ぎてしまいました。
それでは Shalom!

2018/10/3(水) 午後 11:46 [ shalom ]

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> shalomさん

おしまいにしてください。迷惑です。

2018/10/4(木) 午前 2:16 st5402jp

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シャロームは、既に明らかになった不正の事実を認めようとしません。反省するどころか、狂ったように、執拗に、反論めいたことを書いて、ますます恥をさらしています。殆どパニックに近い。

自分の非を認めないのは、昔からです。罪を認めないで、それを覆い隠そうと、どこへも響かない言葉を並べる偽善の醜さの見本です。

と同時に、シャロームの信仰はカルトだと思います。シャロームの説く宗教は、決してキリスト教ではないし、シャロームの信仰は、決してキリスト信仰ではない、ということを覚えてほしいと思います。

2018/10/4(木) 午前 2:16 st5402jp

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シャロームは、自由さんのコメントを、都合の良いように解釈して、自己正当化を図っています。


これが親の子供に対する態度また教師の子供たちに対する指導だとすると、きっと子供は親や教師の言動の表向きの正しさの前に黙らされ、沈黙させられるでしょう。


このように、社交の礼儀だけで交流し、賛同コメントにヘラヘラと愚にもつかぬ世辞を返し、逆らうと、嫌がらせや、汚い侮辱をしてきたのは、他でもない、シャロームなのです。

2018/10/4(木) 午前 2:17 st5402jp

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しかし、子どもは自分のありのままに愛し、受け容れられていないことを感じ取り、心は傷つき、不信と怒りを心の中に閉じ込めていくほかなくなり表向きは素直に親や教師に従っているような態度をしていても親、教師の言動、指導の言動の背後に隠されている偽善に気づき、しかし、子どもは親や教師を責めることもできず、自分に対する自責の念、罪責感、無力感に押しつぶされ、自分自身の人格否定の挫折感に囚われてしまうでしょう。


責められることを最も嫌って、コメントを削除し、さらに二千以上の記事のコメント欄を閉鎖してきたのは、シャロームその人です。シャロームは、自分が言われそうなことを、こちらに向けてきます。自分の病的な欠陥にまるで病識のない人、自分を見つめることの出来ない人、というのは、こういうことをしてくる、と思ってください。

2018/10/4(木) 午前 2:17 st5402jp

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心の奥底に封じ込められた怒り、不信感は自分と親や教師だけにとどまらず、人間、社会にたいする怒りとして向かられてしまうのは当然だと思います。


彼が向けてきた言葉が、彼自身のことを語るという結果になっています。このようにして、シャロームは、社会や歴史や他者をボロクソに言うところの、シャロムのボロクソ節を、性懲りもなく、ブログに何度も何度も書いてきたのです。今、まさにそうです。こうはなりたくない。


それなのに、「でも子どもは(一信者ではなく、聖職者の場合は)の場合は、自分をすてて、ひたすら親、教師のみ(神のみ)に従い、親や教師の(神の)道具になりきることを理想とするものかもしれません」なんてことはできません。それこそカルトの世界です。


シャロームの執拗な自己正当化と病的な確信の強さによる訂正不能は、まるで、自分は神と一心同体だ、と言っているかのようです。

2018/10/4(木) 午前 2:18 st5402jp

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自由さんは本当にそんなことができると思われますか。それは偽善者が人を偽善者とし、、盲人が盲人の手引きをすることでしょう。


そして、まさにシャロームは、偽善者が、人を偽善者の道に誘惑し、盲人が盲人への手引きをするようなことをしているのです。シャロームには、キリスト教について、キリスト信仰について、キリストについて、何も語ってほしくない。

ここまで外れると、シャロームにはキリストを語る資格はないと思います。キリスト信仰は、キリスト者のためにあります。一生黙っていてほしいです。執念深くキリストをけがすとは、いったい、どういう人なのでしょう。呆れます。

2018/10/4(木) 午前 2:18 st5402jp

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イエスさまはパリサイ人にあなたがたは盲人が盲人の手引きしているようなものだといわれました。イエスさまがそんな信徒や聖職者を喜ばれることはあり得ません。


主イエスは、そのような現代のパリサイ人であるシャロームを喜ばれることはあり得ないと思います。シャロームは、どこまで人を欺こうとするのか。

>人の論理や情感に信頼していてはみ言葉の理解はむずかしいと思います。

人間の論理や情感を信頼するなと言っています。シャロームの本音なのでしょう。人間性を捨てよ、人間の良心を捨てよ、というシャロームの邪教の正体です。

2018/10/4(木) 午前 2:18 st5402jp

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弟子たちがイエスさまの一番近くにいて、その言葉やみわざをだれよりも身近で見聞きしていたのに、イエスさまを理解できなかったこと、ついには裏切り、見捨てて逃げてしまったことに表わされています。それは例外なく、私たちすべての人にある弱さではないでしょうか。


弟子たちは、主イエスを、現世のイスラエルの王様になるだろうと、誤解していたのです。それは、そのまま、弟子たちの欲望でもありました。その勘違いによって弟子たちは、キリストの十字架の意味を悟ることが出来ず、また、怖くなって、キリストを裏切ったのです。

弟子たちは論理や情感のために誤解して裏切ったのではありません。

2018/10/4(木) 午前 2:19 st5402jp

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ペテロは、情感が豊かであったために、裏切ったのち激しく泣いたのです。それは、悔い改めて使徒となるために大事なことでした。

パウロは、論理と知識が豊かであったために、それが悔い改める切っ掛けとなり、悔い改めたのちは、彼の論理の才能と知識が伝道のために役に立ったのです。聖書を読めば、そう感じることが多いのです。シャロームは、聖書から何も受け取っていないと思います。

シャロームは、自分信仰に陥ったために、論理や理路を理解することも、組み立てることも出来ず、人間らしい情感をもって共感することも出来ず、ただ超常の聖書語を亡者のように繰り返すだけになっています。しかも、そのことに執着して、何も分かっていない自分をごまかすために、執拗に迷惑なコメントを書き続けているのです。

2018/10/4(木) 午前 2:19 st5402jp

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推測ですが、訂正不能の妄想に取りつかれているシャロームには、理路を考える人や、情感の豊かな人への、ねたみの感情があると感じます。そういう感情を、ルサンチマン(≒弱者に募る怨念)と言います。つまり、シャロームの信仰?なるものは、怨恨をベースとしているようです。

だから、信仰を、それこぞ何でもかんでも神の啓示と奇跡の大仰な話としてしか語れなくなって、そのために、心を失ってしまって、その反動で、論理と情感を憎んでいるのだろうと思います。そのことは、キリスト者にとって、甚だ、迷惑な話なのです。

2018/10/4(木) 午前 2:20 st5402jp

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> st5402jpさん おはようございます

口語訳ロマ2:1〜
2:1 だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。
2:2 わたしたちは、神のさばきが、このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。
2:3 ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか。
2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。
2:5 あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。

【口語訳】二コリ
7:10 神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。

悔い改めは人が人に要求できるものではなく、神が与えられる恵みです。


shalom!

2018/10/4(木) 午前 8:03 [ shalom ]

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> shalomさん

>悔い改めは人が人に要求できるものではなく、神が与えられる恵みです。

悔い改めは、神が与える恵みではなく、与えられた機会に、神に対して人がすることです。いつまで、つまらない詭弁で、自分をごまかし、人を悩ませ、醜態をさらすのか。

神が与える、というより、下されるものに、裁きがあります。シャロームは、もう、人間としての節操を失っているので、自分で引用した聖句によって自分を責める結果になるのです。ゆえに、既に、裁きが進行中なのかもしれないと思うのです。神の前で、嘘に嘘を重ねてゆくと、こうなる、ということを覚えてください。

2018/10/4(木) 午前 8:45 st5402jp

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>(聖句)
悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。


この聖句が、シャロームに向かいます。

2018/10/4(木) 午前 8:46 st5402jp

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【口語訳】二コリ
7:10 神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。


シャロームは、今もまだ、神の御心に添うているつもりなのでしょうか。しかしながら、シャロームは、あざ笑いを表しましたが、悲しみを表したことがありません。不機嫌そうに、聖句を悪用して、文句ばかり言っているのです。ゆえに、聖句にも戒められる存在となりました。

2018/10/4(木) 午前 8:46 st5402jp

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そうして、また一つ、批判記事が出来る。裁くのは、神である。

2018/10/4(木) 午前 8:48 st5402jp

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シャロームさん、あなたが、また、書けば、必ず、おかしなことを言うことになる、という経過ですから、また、私は書くことになります。考えてみれば、すべて、あなたが選んでいる成り行きなのです。そのように裁きは進行するのでしょう。

だから、もう無駄なのに・・と、あなたの失言の後に、私は書いたのです。

2018/10/4(木) 午前 9:00 st5402jp

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口語訳ロマ2:1〜
2:1 だから、ああ、すべて人をさばく者よ。あなたには弁解の余地がない。あなたは、他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めている。さばくあなたも、同じことを行っているからである。
2:2 わたしたちは、神のさばきが、このような事を行う者どもの上に正しく下ることを、知っている。
2:3 ああ、このような事を行う者どもをさばきながら、しかも自ら同じことを行う人よ。あなたは、神のさばきをのがれうると思うのか。
2:4 それとも、神の慈愛があなたを悔改めに導くことも知らないで、その慈愛と忍耐と寛容との富を軽んじるのか。
2:5 あなたのかたくなな、悔改めのない心のゆえに、あなたは、神の正しいさばきの現れる怒りの日のために神の怒りを、自分の身に積んでいるのである。

【口語訳】二コリ
7:10 神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救を得させる悔改めに導き、この世の悲しみは死をきたらせる。

悔い改めは人が人に要求できるものではなく、神が与えられる恵みです。


8:03についてレスしておきます。

2019/1/30(水) 午後 6:56 st5402jp

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(私)
裁くというのは、神という絶対の正しさが、多くは強制的に、背く人に対して下すものです。人が、自分を絶対の正義に置き、誰かを悪と決めつけて、何らかの制裁を下すなら、裁くことになるということを聖句は教えています。それを、冷酷にやっているのは、むしろシャロームであります。シャロームの前提には、自分の絶対正義があり、ゆえに、聖句を引用すれば、その目的も解釈も神の御心に適っているという前提が訂正不能になっているのです。
(私)
私は絶対の正しさなど持っていないので、言論によって、シャロームの誤りや矛盾や詭弁や卑怯さなどを指摘してきました。ゆえに、裁くということとは明らかに違います。私は、遠慮なく書いているので、それが気に入らないシャロームは、聖句の悪用をもって、裁いている、裁いていると、わめいているに等しい決めつけをしています。その決めつけこそが、裁いている思考と志向なのです。絶対ではない自分を知っているなら、悔い改めるはずです。シャロームは、全く、その逆を走っています。

2019/1/30(水) 午後 6:56 st5402jp

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(私)
「神の慈愛があなたを悔改めに導く」「神のみこころに添うた悲しみは、悔いのない救神のみこころに添を得させる悔改めに導き」という聖句は、神の慈愛を受け取った人は、その愛ゆえに悲しみを癒やされ、罪を赦されるゆえに、悔い改めるということです。
シャロームは、教条的に、言葉の辻褄だけで、神が導く、という言葉を吊り上げて、悔い改めは神が与える恵みだと言っています。
(私)
上の聖句によると、この約7年間、恐らくずっと前から、悔い改めたことのないシャロームは、神の慈愛を受け取ったことがない、ということになります。それで説明がついてしまいます。
(私)
シャロームは、聖句を、超常の辻褄と教条だけで受け取って上のような聖句を悔い改めないことの根拠にしたいようですが、じつは、せっせと墓穴を掘っているということです。
(私)
心で受け取ることのないシャロームの、本当の悲しみを知らず、本当の神の慈愛も、キリストの共感もキリストへの共感も知らないことからの必然であるのかもしれません。

2019/1/30(水) 午後 6:58 st5402jp


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