東照宮廃絶跡・光雲神社
鎮座地 筑前國早良郡荒津山 福岡市中央区西公園
社格 県社 現別表神社
御祭神 黒由勘解由次官孝高・如水 筑前守黒田長政
御祭礼 1月 1日 歳旦祭
4月20日 春季大祭
10月 4日 秋季大祭
末社 荒津神社
御祭神 大己貴命、国常立尊、正哉吾勝尊、国狭槌尊、伊弉冊尊、瓊瓊杵尊、惶根尊
摂社 堅盤神社
御祭神 黒田重隆公 職隆公 忠之公 阿津姫
〜 由緒 〜
当社は元、東照宮跡。
承応元(1652)年黒田三大藩公・忠之が同地に社殿を建立し勧請した。
別当松源院、社領三百石、末庵三坊、宮仕二人、掃除之者二人が奉仕したという。
寛文九年には御霊屋ならびに別当源光院も創建された。
明治維新後、東照宮は廃絶され山中は荒廃した。
明治十四年、地元民の願いにより一帯は整備されて荒津山公園となり、同四十二年、黒田孝高・長政を祭神とする光雲神社が東照宮の跡地に移転され、境内に末社として東照宮も建立された。
しかし昭和二十年、空襲によって一帯はは焼失し、同二十一年光雲神社は復興されたが、東照宮は再建されず現在に至っている。
なお同神社の正面に建つ石鳥居は、旧東照宮の鳥居で、昭和四十四年、現在地に移築する際に柱の基底部に日光東照宮に奉納した石鳥居の試作品である旨の墨書が発見されている。
(家康公と全国の東照宮 高藤晴俊 著より)
《光雲神社略記》
「法謚の名一字を採り光雲神社と名付ける」両神霊の末裔旧藩主、黒田嗣高公の代から福岡市舞鶴城内に勧請したのを維新以来旧藩四民がその恩沢を追慕して、明治四年廃藩置県のさい、黒田家が東京に移転されるに及んで有志らが十一代の藩主従二位長溥公へ、懇願し、許可を得て明治四年八月旧社地の小烏吉祥院跡へ城内本丸天守台下の祠堂より奉遷し明治八年三月県社に昇格、同四十年四月一日西公園に新社殿落成し、移転遷座、昭和二十年六月十九日戦災を受け、昭和四十一年十月三十日復元、昭和四十一年二月一日別表加列。
以上(平成祭データ)
光雲神社画像集
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