警固神社・宮口
鎮座地 筑前國早良郡警固 福岡市中央区天神
社格 県社
御祭神 本殿 警固三大神/神直毘神・大直毘神・八十禍津日神
相殿 建角身神・豊玉姫命・神功皇后・応神天皇
御祭礼 1月 1日/歳旦祭 3日/元始祭
2月 8日/針祭 11日/紀元祭 2月最初の初午の日/初午祭
3月19日/春季大祭
7月19日/夏越祭
10月19日/秋季例大祭
11月23日/新嘗祭
12月31日/大祓祭
末社 今益稲荷神社 菅原社・天満宮
〜 由緒 〜
《旧境内の解説板より》
当社の御祭神は記紀に見える神直日神、大直日神、八十禍津日神の三柱であります。
この御三神は仲哀天皇9年庚申(西暦200年)、筑前国那珂郡福崎の筑紫石のほとりに化現し給い、その年の冬、神功皇后新羅親征の時に再び顕われられ、軍衆を警固して勝利に導かれました。これにより皇后は凱旋の後、神号を警固大明神と仰いで、福崎丘上(現在の福岡城本丸跡)に奉祀せられました。
これが警固神社の創祀と伝えられております。
後世の慶長6年(1601年)藩祖黒田長政公が福岡城築城の際、当社と薬院の地に御鎮座の小烏神社を城南下警固の山上に遷し合祀されました。当社は更に薬院の地(天神2丁目の現在地)に遷られることになり、慶長13年(1608年)7月7日、社殿の造営成って、この地に御鎮座になりました。
爾来、産土神として世人の崇敬篤く、黒田氏は特に尊崇され、元和7年(1621年)11月5日、長政公より社領80石の御寄付があり、相次いで歴代藩主の御寄進が行われました。当社は明治5年(1872年)11月13日、村社に、大正5年(1916年)2月26日、県社に昇格されました。現在は戦後の制度の改廃によって、宗教法人警固神社と称しています。
《福岡市ホームページより》
警固大明神記録には、神功皇后が、三韓遠征の際、神直日神、代直日神、八十津日神があらわれて軍勢を警固し、勝利を祈ったということから、この三神を外的防護のために警固村の福崎(現在地)に祭られたと記されています。
慶長5年、黒田長政は、福岡城を築く際、福崎の岡の警固大明神を、今の天神にある警固神社の場所に移して、宏壮な社殿を建立し、祭礼を怠りませんでした。したがって、天神にある警固神社と当地の警固神社は、同じ上記三神が祭られており、警固神社は、当地の氏神であるばかりか、旧福岡城下町の氏神でもありました。
警固神社画像集
[設計中]
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