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虫鹿神社(むしかじんじゃ)
所在地:犬山市前原向屋敷 62
訪問日:2009年12月5日
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 虫鹿神社の「虫鹿」は、寛永12年(1635年)以前に虫鹿の庄という郷が存在していたことに由来している。その虫鹿の庄に入鹿村(いるかむら)という村があって、当社は元々そこに鎮座していた。ところが、寛永12年(1635年)に池が造られ(現在の入鹿池)、当社は集落とともに池底に沈むことになった。そこで、当社は当地(前原新田村)に遷座奉った、という次第である。
 当地は濃尾平野の北東端、丘陵地帯に存在する。かっては人里離れた当地も現在は丘陵地帯にびっしり住宅が建っている。車で訪れる場合、住宅街に入ると当神社の所在を確認するのに苦労する。丘陵地の住宅街に接して鎮座しているから、住宅街に入り込むと道も細く、見通しも利かないので確認しにくいのである。
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 正面から境内に入ると、すぐに本殿鳥居が迫り、目前に透垣(すいがい)が見える。つまり、虫鹿神社はコンパクトな神社で、樹木等の自然は少なく、進路に当たる境内は舗装されていて、現代的な神社の様相を見せている。 
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 拝殿(本殿)は祭文殿(舞殿)の向こうに見える。
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 拝殿の前で二拝して柏手を打つ。ここの祭神は国常立尊(くにとこたちのみこと)、国狹槌尊くにさづちのみこと)、豊斟渟尊(とよくむぬのみこと)、大日靈貴命(おおひるめむちのみこと)及び、菊理姫尊(きくりひめのみこと)の5神である。国常立尊は『日本書紀』によると、天地開闢の際最初に出現する神。国狹槌尊はその次に出現する神。豊斟渟尊はその次に出現する神。以上3神は共に天地開闢時の神々とされ、すべて独り神と記されている。大日靈貴命は太陽神すなわち天照大神のことである。また、菊理姫尊は『古事記』にも『日本書紀』本文にも全く登場しない神で、全国の白山神社の祭神となっている白山比弯澄覆靴蕕笋泙劼瓩里み)のことと考えられている。
 以上でお分かりのように、前3神と後2神はかけ離れた存在で、両者の関係を見出すのは困難である。というより無関係とみて差し支えない。とすると、当社の本来の祭神は前3神で、後2神は後世に合祀されたと考えてよいと思う。
 もしも、前3神が当社の主神だったとすれば、虫鹿の庄の人々は自分たちの住む土地が宇宙の始めと信じていたのだろうか。
 しかしながら、この記事を公表して以降、最近(2011年7月)になってブログ名「天火明命」さんから次のようなコメントをいただいた。
 「代々3古社の神官を務めた家の口伝によれば、昔の資料を喪失していたため日神を神明社(大日孁貴神)と誤認したようだとあります。ですから、主祭神は、本来の日神である饒速日命だと私は判断しています。」
 なるほど誤認なら異彩の大日孁貴神がまぎれこんでいるのも頷ける。貴重なご指摘なので紹介させていただく次第である。
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 本殿は渡殿の向こうにあって、神社の普通の形式になっている。本殿の本来の鎮座地は前記したように虫鹿の庄。が、そこに、痩せた土地を肥沃な土地にするため、大きな人造湖が造られた。入鹿池である。つまり、虫鹿の庄は虫鹿神社もろとも入鹿の湖底に沈んだことになる。そこで、その入鹿だが、かってそこに屯倉(大和朝廷の直轄地)が置かれていたという。
 『日本書紀』の安閑天皇(第27代)の段(安閑2年5月)をひもとくと、そこに色々な国にいくつかの屯倉を置いたことが記されている。その中の一つに尾張國が記されていて、間敷屯倉と入鹿屯倉が置かれた、と記されている。この入鹿屯倉が置かれた土地が現在の入鹿池の辺りだという次第である。
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 式内社調査に挙げられている当社の境内社は、稻荷社、金刀比羅社、津島社の3社である。が、私が確認できた社はこれに加えて秋葉社があるから境内社は4社ということになる。秋葉社は見落とされたのか、あるいは式内社調査後、新に加えられたのか私には分からない。
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 拝殿の前に立っている石灯籠。その建造年を見ると、寛政9年とある。同年は西暦で1797年なので、ざっと210年余も前の建造だ。全体的に現代的な装いの神社でありながら、このように、古い石灯籠に出合うと、伝統の重みがズシリと肩にのしかかるのを感じる。すなわち、この石灯籠ひとつだけでも「ああ、ここを訪れてよかった」と思える神社だった。
 最後に、虫鹿(むしか)とは妙な名前ですね、という声があったので、考えてみた。「虫」に着目すると、妙なので、当て字と考えると、分かりやすい。「入鹿村」という村の名を考えると、古代には鹿のいない村だったけれど、鹿が入ってきて住みつくようになった。こう考えると、そこが「入鹿村」(いるかむら)と呼ばれるようになったと理解することに無理がない。では、その近くの「虫鹿の庄」は何だろう。こう考えると、「無鹿」、すなわち「鹿のいない村」だったのではないか、という考えに行き着く。が、「無鹿」では「むしか」と読みづらい。「むか」と読まれてしまう。そこで、「虫」という字を当てて、「虫鹿」としたのではないか。これが私の結論である。が、これが正しいという保証はない。地名由来の証拠がないからである。一つの参考としてここに記しておきたい。

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閉じる コメント(16)

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元の地名は不思議な地名ですね。虫鹿=「むしか」の語源はなんででしょうね?、鹿に付いた虫?・・・。蒸しかえし、虫かご、虫狩,虫噛め歯(虫歯),無食(むじき)、虫食い、虫けら、虫籠、虫瘤、など「むしと、か行活用」で辞書大辞林から拾ってみましたが、何につながりが有るのか分かりませんでした。残念ぽっち。

2009/12/24(木) 午後 10:06 [ 歴史エリア ] 返信する

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エリアさん、鋭い疑問ありがとうございます。虫鹿については何も考えてませんでした。で、改めて考えてみました。隣に入鹿村があるから「むしか」は「無鹿」と考えました。ただ、「無鹿」では{む・しか」とは読んでくれず、「むか」と読まれそうです。で、当て字として「虫」を使ったと考えました。このことを本文末尾に修正して入れましたので、読んでみて下さい。

2009/12/25(金) 午前 0:19 [ 加藤勝美 ] 返信する

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犬山市と近くの一宮市に虫鹿という地名があり、また、ネットで捜してみると、虫鹿という姓の一宮市出身の方が何人かおられます。
わたしも以前また別の場所で虫鹿という人に会ったことがあり、変わった姓だと思っていましたが、虫鹿神社というのがあったのは知りませんでした。興味深く読ませていただきました。
おそらく一宮の虫鹿さんの本貫が犬山なのでしょう。遠い昔、この虫鹿神社の近くに住んでいたか、または関係のあった方かも知れません。
ところで、虫鹿は「無鹿」か、とのお考えですが、どうでしょうか。「無」は音読みで「鹿」が訓読みなので、ふつうではあまり用いない読み方です。「鹿」の字にとらわれてしまいますが、むしろ入鹿、虫鹿の読みで「か」が共通することに注目したいと思います。「か」というのは「金のありか」「すみか」のように場所を示す接尾語です。「いるか」については「いり」ということばが「谷」や「入り江」を表すことばなので「谷になっている場所」という意味ともとれます。(入鹿池は谷を締め切って造ったため池です。)同様に「むしか」は「虫が多い場所」または「虫を追う払った場所」ということかも知れません。

2010/10/30(土) 午前 9:06 [ 夢のなか人 ] 返信する

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どうもご丁寧なコメありがとうございます。虫鹿という姓の方がおられるとなると、がらっと見方を変えなければならないかもしれませんね。「愛知県の地名」(平凡社)を引いても虫鹿神社の解説は詳述されていますが、肝心の地名由来は全く言及なしです。ひょっとすると虫鹿は地名とは無関係かも知れませんね。でもこういう話題って興味が湧きますね。本当にありがとうございました。、

2010/10/30(土) 午前 11:06 [ 加藤勝美 ] 返信する

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あ、似た様な名字のひと発見^^
家は虫賀なんですけどね
虫鹿さんちは、社家なんですね
家は武家です

2011/1/9(日) 午前 2:47 [ ラブ ] 返信する

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どうもコメありがとうございます。虫鹿さんのほかに虫賀さんもいらっしゃるんですか。そういえば、昔の職場に八賀さんて方もみえました。蜂賀だったかもしれませんが、もしそうなら虫に関係します。いずれにしても姓は非常に奥深いですね。

2011/1/9(日) 午後 0:17 [ 加藤勝美 ] 返信する

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犬山市今井一帯を古代「虫鹿の庄」と呼んでいて、領域内の入(射)鹿地域に虫鹿神社があったようです。入鹿というのは、鹿由縁かも知れないが、桓武天皇の頃に多入鹿が尾張守を兼ねるという記事があって、朝臣名によく用いられた魚名(伊留加)が人名となり地名に転化したもの、という記事が尾張国地名考にあります。
なお、周辺神社や祭神の古さと鹿が扶余族のトーテムであることを念頭におくと弥生初期から原初的製鉄が行われていた印象を持ちます。虫鹿神社の主祭神は豊斟渟尊で、同神が火神であることも重要だと思います。

2011/6/25(土) 午後 10:30 [ ame*o_h*a*ar*2010 ] 返信する

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どうも貴重なコメありがとうございます。尾張国地名考は手元にありますので調べてみますが、一つの地名をめぐって種々の考え方が出来るのは、本当に地名は古代を探る上に貴重ですね。

2011/6/28(火) 午後 1:57 [ 加藤勝美 ] 返信する

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<訂正>
少し勘違いしていました。かつて丹羽郡入鹿村に三明社、天道神明(虫鹿)神社、白山神社という3古社(入鹿池造成に伴って現犬山市前原地区へ遷座)がありまして、祭神は順番に豊斟渟、大日孁貴、菊理媛です。虫鹿神社は本来日神を祭っていたとのことなので、個人的には祭神は饒速日命であったと推測しています。虫鹿庄には屯倉がおかれていました。稲置地名があります。屯倉は熱田と二個所あっただけですから、今井地区は尾張北部の拠点であったと思います。 削除

2011/7/6(水) 午後 5:50 [ ameno_hoakari2010 ] 返信する

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どうもコメありがとうございます。もしも神明社が虫鹿神社の本流とすると、祭神は大日孁貴(すなわち天照大御神)ということになりますが、神明社が広がるのは後世のことだと思いますので、延喜式神名帳の時代には?となります。池底に沈んだ虫鹿神社のルーツをたどるのは困難なんでしょうね。何かお分かりになったらご教示下さい。

2011/7/6(水) 午後 10:26 [ 加藤勝美 ] 返信する

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代々3古社の神官を務めた家の口伝によれば、昔の資料を喪失していたため日神を神明社(大日孁貴神)と誤認したようだとあります。ですから、主祭神は、本来の日神である饒速日命だと私は判断しています。この虫鹿庄一帯が4C頃までは尾張北部の中心地であり、後に尾張氏が尾北尾南を統一して今日の江南や一宮へ進出したと私は考えています。

2011/7/12(火) 午後 0:21 [ 天火明命 ] 返信する

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どうも貴重な情報ありがとうございます。なるほど、饒速日命なら尾張北部の中心地の祭神としてぴったりですね。早速本文に反映させていただこうと思います。

2011/7/12(火) 午後 1:35 [ 加藤勝美 ] 返信する

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虫賀さん、適当なこと言ってますね。
虫賀は武家ではありません。
江戸時代に苗字帯刀を許された百姓です。
私の知る限り、羽島市正木町森の神社の横に、
石垣と堀の名残があり、そこが総本家だったところです。
そこから分家した数軒が、江戸末期にその地域の庄屋です。
私はその分家のさらに支流のものです。
総本家はたわけでつぶれました。(たぶん江戸時代に)
でもかたち上、血のつながりはない養子が入り続いています。
明治になり苗字ができたことで一族でない人も虫賀を名乗る
家があるので、今では知る人しか判りません。
日本中の虫賀さんは、まず間違いなく、ルーツをだどれば
そこの出身者でしょう。
木曽川沿いに「六鹿」「虫鹿」「虫賀」とあり、
読み方同じで、大昔は同じ出所だったかもしれません。(私の推測)
今では「虫賀」を「むしが」と名乗る人がほとんどですが、
古文書では「むしか」が正解です。 削除

2013/3/12(火) 午前 0:04 [ Mushika ] 返信する

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どうもMushikaさん、本当に貴重な情報ありがとうございます。ラブさんは虫賀さんという方がおられて家は武家だと記していらっしゃいます。が、そうした事情にうとい私は確認する術を知りませんでした。Mushikaさんは虫鹿一族につながる方ということですので、一番確かですよね。本家が名残が現在残っているとは驚きですね。地名や氏名の奥深さにはため息がでます。

2013/3/12(火) 午前 0:41 [ 加藤勝美 ] 返信する

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確かに、ムシカっていう名前は、カメラか何かのメーカーの名前みたいですね。

昔の地名を、人の名前にしたり…

動物の名前を取ったり付けたりして…

例えば、犬山は、犬が沢山住み着いている山だったから、犬山と名付けたり…

シンプルに、取って付けた名前みたいですね。 削除

2016/7/15(金) 午後 10:39 [ 匿名さん ] 返信する

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おはようございます。虫鹿神社は本文に記しましたように、地名からきているようですね。虫鹿という姓の方もいらっしゃるようです。

2016/7/16(土) 午前 10:40 [ 加藤勝美 ] 返信する

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