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尾張国式内社めぐりトップへ
  新年になって最初の式内社記事です。

石刀神社(いわとじんじゃ)(黒岩)
所在地:一宮市浅井町黒岩石刀塚271番地
訪問日:2009年12月12日
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 当社は、先にレポした大野神社から近接した位置に鎮座する神社である。直線距離にして600mほどしか離れていない。木曽川のまさに堤防際にある。参道は見あたらず、堤防道路の際に鳥居と社碑が立っている。そこをくぐるといきなり急な石段を下っていく。
が、順序は逆で、堤防は車の往来が激しい。加えて車を停めるスペースはない。まごまごしていると危険だ。
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 そこで、堤防から降りて神社の下の入口をさがさなければならない。神社の西側に正面鳥居が立っている。車を停車させ、車から降りる。左手に木曽川の堤防が見える。境内に入ってゆっくり歩いていくと、すぐに堤防へと至る急勾配の石段が見つかる。そこを上っていった所が先述の正面鳥居という次第である。
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 鳥居の右手に社碑と石灯籠が見えるが、両方とも明治時代に造られたものだ。階段を下りるとき、手水舎、透垣(すいがい)、本殿が見える。そこで、こちらが神社の正面(南)と判明する。
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 これが本殿(拝殿)かと思ったが、様子がおかしい。
 当社は式内社としているが、これに疑義をはさむ向きがあるようである。延喜式神名帳には、石刀神社は中島郡にあると記されている。が、この一帯は葉栗郡なので当社は式内社ではないという意見である。が、小塞神社(おぜきじんじゃ)の項で言及したように、当地は木曽川氾濫の多発地帯であり、当地が常に葉栗郡であったという保証はどこにもない。むしろ、小塞神社などという変わった社名は他にないことを考えると、当地が延喜年間には中島郡とされていた可能性が高い。よって、当石刀神社が式内社にいう石刀神社であった可能性もある。
 問題は郡名よりも、そもそも当社が石刀神社という社名であったか否かが問題である。
当社の西南に同じ一宮市内で同名の石刀神社が存在するからである。さらに、木曽川を渡った岐阜県羽島市の八剱神社(やつるぎじんじゃ)も式内社の候補とされている。いずれが式内社か決めがたいが、私に出来ることは感想を述べるくらいだが、「同一郡内に石刀神社が二社あった筈はなく、石刀なる地名をもつ当社の西南に位置する石刀神社が有力」というのが私の感想である。むろん、すべて私は回ってみるつもりだが・・・。
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 拝殿の中を覗くと、渡殿は造られているが、正面に本殿らしき社(やしろ)の姿が見えない。後で知ったが、ここのご神体は黒い巨岩で、それをおさめる社殿はないようである。正面に見える注連飾りの下に黒っぽいものが見える。これが黒岩か(?)。
 当社の祭神は、「尾張式内実訪書」によって、八倉比売神(やくらひめのかみ)であることが分かる。同神を祭神とする神社として、徳島市に八倉比売神社(やくらひめじんじゃ)というのがある。この聞き慣れない神のことはよく分からないが、天照大神の別名であるという。
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 境内に神社に土地を奉納した経緯を記した碑文が掲示されている。昔、新田開発が行われた際の共有地があたが、それを処分して得た資金で神社の外輪地を取得し、神社に奉納した旨の説明がなされている。これにより、元来あまり大きな神社でなかったことがうかがわれる。
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 最後に、境内社だが、ご覧のように、社が二つ並んで建っている。これは境内社か否か名前の確認ができなかったのではっきりしない。

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こんにちは。
加藤さんの尾張国式内社巡り、かなり進んでいますね。
この石刀神社は、昨年(H21年5月10)、善光寺街道ウオーキングで
ゴールとなった場所で、昼食をとった記憶があります。
一宮駅への帰途に堤防上にある黒岩バス停から乗りました。
なつかしく想い出されてコメントさせていただきました。

2010/1/7(木) 午前 10:25 [ ウオーキングライフ ] 返信する

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コメありがとうございます。ウオーキングさんのブログは毎日拝見させていただいてますが、引き続きがんばってほしいと思っています。

2010/1/7(木) 午後 2:44 [ 加藤勝美 ] 返信する

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