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神明生田神社(しんめいいくたじんじゃ)
所在地:岩倉市下本町下市場25
訪問日:2010年2月18日
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 名鉄犬山線岩倉駅の近くの市街地に鎮座する神社。これは西門に当たる鳥居かと思うが、
参道の先に小さく鳥居が見えている。
 当社は延喜式神名帳にいう「尾張国丹羽郡生田神社」の候補とされる神社である。が、当地を有名にしたのは、このことよりも、また後述するが、当地が山内一豊の生誕地とされたことによる面が大きい。
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 参道を進んで鳥居に近づくと、古びた常夜灯が目にはいる。銘文を黙読してみると文久元年に建造された石灯籠である。西暦1861年、幕末に近いとはいえ、現在では数少ない江戸時代のものである。ここに立つ鳥居も古く、明治44年(1911年)とあるから100年前のものである。正面に見えるのが拝殿だが、拝殿の正面(南)は右手になる。
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 当社の正面(南方)は市街地になっていて、そこから眺めると、コンパクトな蕃塀(ばんぺい)が見え、その奥に拝殿が控えていることが分かる。
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 当社の「神明生田神社」という社名からうかがわれるように、当社の祭神は大日霊命(天照大神)が主神。織物を司る稚日女命(わかひるめのみこと)も祀られている。
 神名帳「生田神社」の候補として、当社のほかにやや南西に鎮座する大山寺町(岩倉市)の「生田明神社」、さらにそのすぐ南、北名古屋市西春町に鎮座する「生田社」、一宮市千秋町に鎮座する「生田神社」の3社がある。当社を加えると、4社の候補地がある。いずれも決定的な根拠がなく、現在に至っている。
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 当地のすぐ南に岩倉城址がある。この岩倉城内に天文23年(1554年)、「生田神社」が勧請された、という。「勧請」とは分社のことなので、「生田神社」が一社増加したことになる。こうした事情が式内社の旧地を不明瞭にし、候補者が多くなる要因の一つになっているに相違ない。今はそのことより先を急ごう。天文23年当時の岩倉城主は織田信安。その信安に家老として仕えていたのが山内盛豊。ここに至って高名な山内一豊が結びつく次第である。
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 その経緯を詳細に記しているのが社頭に掲げられている掲示板である。長文であることもあるが、式内社としての当社の由緒とは直接関係ないので、書き取ってここに掲げることは省略したい。ただ、一豊は盛豊の次男として生まれたこと、それを示す棟札が発見され、一豊の生誕地が当地だと確認されたことは、ここに記しておきたい。
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 当社の境内社は、式内社調査に、白髪大明神、八幡社、市神社、津島神社、菅原天神社
の5社が記されている。ここには参考までに二枚の写真を掲げておこう。
 当社は氏子の数を確保しやすい街中にあること、式内社になり得る条件を備えていること、山内一豊の生誕地であること、等々数多くの利点に恵まれている。今後も、神社の継続や発展に、こうした潜在能力の高さが発揮されるに相違ない。このことを信じて稿を終えたい。

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こんにちは。
岩倉の神明生田神社と知ってやってきました。平成21年の4月と
7月にここを拠点として五条川をウオーキングしていたからです。
(ホームページあり)そして、この4月7日に今度は五条川の桜
見物を友人達と計画しています。一豊については、木曽川町という
説もありますが、どちらが正解なのか私には不明です。
それにしてもここは、五条川沿いにあって桜祭りには絶好の場所
ですね。桜が満開の時に一度訪れたいと考えていた所です。

2010/4/4(日) 午前 8:53 [ ウオーキングライフ ] 返信する

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どうも、もうこんばんは、ですね。ごていねいなコメありがとうございます。式内社にめいっぱいで、なかなか一豊のことまで目が行き届きませんが、その生誕地が他にもあるんですか。ゆといりができたら調べてみましょう。

2010/4/4(日) 午後 5:20 [ 加藤勝美 ] 返信する

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