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			<title>古代史の道</title>
			<description>古代史の研究</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2</link>
			<language>ja</language>
			<copyright>Copyright (C) 2019 Yahoo Japan Corporation. All Rights Reserved.</copyright>
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			<title>古代史の道</title>
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			<description>古代史の研究</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2</link>
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		<item>
			<title>芭蕉と異性</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/32167913.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;俳句メニューへ&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　芭蕉はむろん第一級の芸術家である。そして芸術家は異性との話題がつきものである。万葉集に数多く採録されている相聞歌（そうもんか）を始め、恋愛の喜びや悩みに明け暮れた人々の例は枚挙に暇がない。では、芭蕉はどうだろう。&lt;br /&gt;
　はっきりいうと、芭蕉の生涯に浮いた話はない。愛人もいなかったし、むろん結婚もしていない。これに対し、種々の解釈を施してなんとか芭蕉にも異性関係があったかのように印象づけようという色々な説がある。&lt;br /&gt;
　一番多いのは寿貞尼（じゅていに）という女性の存在である。「芭蕉が愛した唯一の女性」と言い切る説まである。芭蕉と同じく伊賀（三重県北西部）出身という解釈を施し、芭蕉を追って江戸に出たとする。が、彼女は三人の子（一男二女）持ちで、芭蕉の甥である桃印と夫婦であったというのである。出自も江戸に行ったのも、すべてはっきりしない。彼女は元禄７年６月２日、江戸芭蕉庵において死去。その時芭蕉は伊賀上野に向かう途中、京都嵯峨の落柿舎で６月８日に彼女の死を知らされる。&lt;br /&gt;
　その一ヶ月ほど後の７月１５に伊賀上野での松尾家盂蘭盆会（魂祭＝玉祭）に出て、次のような一句を作る。&lt;br /&gt;
　　　　　数ならぬ身となおもひそ玉祭　　　　　（松尾芭蕉）&lt;br /&gt;
　そして、この句の解釈まで寿貞尼と結びつけてしまうのである。「な～そ」は万葉集にいっぱい出てくる禁止句。「思わない」という意味である。「先祖の方々を粗末に思うものですか」という句なのである。これを「寿貞尼よ。あなたのことは数ならぬ身などと思うものですか」と解釈するのである。&lt;br /&gt;
　仮にそうだとすると最愛の唯一の女性が死去したと聞かされた割には芭蕉の動きは随分のんびりしていることになる。京都から江戸まで馬で飛ばせば数日もかかるまい。聞いたとたん江戸にかけつけ、寿貞尼を弔うことくらいしそうである。それをのんびり一ヶ月経って、故郷の玉祭りに出席する？。誠実そのものの芭蕉とは思われない。「寿貞尼は単に知り合いの尼さんだったに過ぎない」これが私の結論である。&lt;br /&gt;
　それはさておき、第一級の芸術家であった松尾芭蕉に一人の愛人もいなかった、とするのでは面白くない。なんとかその影を見いだそうとする解釈がもたらした、やはり影の存在なのだろう。旅に生き、旅に死去した、全体の芭蕉の生き様から考えて、そういう影の存在はにわかには信じがたいのである。&lt;br /&gt;
　&lt;br /&gt;
　　　　　バラに似て恋はあでやかハイタッチ　　　　（桐山芳夫）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　（２０１９年６月９日）&lt;br /&gt;
&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-10-0e/jk2hri2/folder/1101256/17/34683917/img_0_m?1560060673&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_450_335&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/34683917.html</link>
			<pubDate>Sun, 09 Jun 2019 15:11:13 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>漂白の詩人</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/32167913.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;俳句メニューへ&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　芭蕉のことをあまり知らなかった私は「漂白の詩人」という漠然とした印象しかなかった。ところが、「芭蕉祭」というWEBに次のような一文を見つけた。&lt;br /&gt;
　「伊賀市は、俳聖松尾芭蕉のふるさとです。旅に生き、旅に死んだ漂白の詩人、芭蕉翁は元禄7年（1694）10月12日、51歳で亡くなりました。」&lt;br /&gt;
　ぴったり「漂白の詩人」という表現が使われている。松尾芭蕉は「旅に生き、旅に死んだ」とは、無知だった私の記憶に残っている芭蕉像にぴったり。が、少し知るようになった最近の私の芭蕉像はこれとはやや異なる。&lt;br /&gt;
　芭蕉は多くの人に慕われ、門下に入る人も多かった。「旅に生き」という私の印象は、多くが独り旅だと思っていたせいである。ところが馬に乗っていったり、「野ざらし紀行」では千里が同行、「鹿島詣」では曽良・宗波が同行、「笈の小文」では越人が同行、「更級紀行」では越人が同行、「奥の細道」では曾良が同行と、遠出の旅はほとんど同行者がいたのである。それだけ芭蕉は人に慕われていたのである。&lt;br /&gt;
　そして色々な所に滞在したり停泊したりし、多くの場合、挨拶やお礼の句を残している。そうした挨拶吟は決しておざなりな句ではなく、たとえば、大垣藩士高岡三郎亭に招かれて作った次のような一句である。&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
　　　　　そのままよ月もたのまじ伊吹山　　　（松尾芭蕉）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　「いや、素晴らしい亭ですね。名月がなくとも、伊吹山はそのままで美しいですね」という意味の句だが、「月もたのまじ」と間接表現で高岡亭を誉めている。一生懸命作句している。&lt;br /&gt;
　その誠実な姿勢は決して独立独歩ではなく、多くの門下生を引き付ける力を持っていたのである。ある意味では松尾芭蕉は幸せな人だったに相違ない。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　　　　　今年また紫陽花咲けりこの路傍　　　　（桐山芳夫）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　（２０１９年６月３日）&lt;br /&gt;
&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-10-0e/jk2hri2/folder/1101256/82/34681482/img_0_m?1560167724&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_450_313&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/34681482.html</link>
			<pubDate>Mon, 03 Jun 2019 21:10:02 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>漂白の詩人</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/32167913.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;俳句メニューへ&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　芭蕉のことをあまり知らなかった私は「漂白の詩人」という漠然とした印象しかなかった。ところが、「芭蕉祭」というWEBに次のような一文を見つけた。&lt;br /&gt;
　「伊賀市は、俳聖松尾芭蕉のふるさとです。旅に生き、旅に死んだ漂白の詩人、芭蕉翁は元禄7年（1694）10月12日、51歳で亡くなりました。」&lt;br /&gt;
　ぴったり「漂白の詩人」という表現が使われている。松尾芭蕉は「旅に生き、旅に死んだ」とは、無知だった私の記憶に残っている芭蕉像にぴったり。が、少し知るようになった最近の私の芭蕉像はこれとはやや異なる。&lt;br /&gt;
　芭蕉は多くの人に慕われ、門下に入る人も多かった。「旅に生き」という私の印象は、多くが独り旅だと思っていたせいである。ところが馬に乗っていったり、「野ざらし紀行」では千里が同行、「鹿島詣」では曽良・宗波が同行、「笈の小文」では越人が同行、「更級紀行」では越人が同行、「奥の細道」では曾良が同行と、遠出の旅はほとんど同行者がいたのである。それだけ芭蕉は人に慕われていたのである。&lt;br /&gt;
　そして色々な所に滞在したり停泊したりし、多くの場合、挨拶やお礼の句を残している。そうした挨拶吟は決しておざなりな句ではなく、たとえば、大垣藩士高岡三郎亭に招かれて作った次のような一句である。&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
　　　　　そのままよ月もたのまじ伊吹山　　　（松尾芭蕉）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　「いや、素晴らしい亭ですね。名月がなくとも、伊吹山はそのままで美しいですね」という意味の句だが、「月もたのまじ」と間接表現で高岡亭を誉めている。一生懸命作句している。&lt;br /&gt;
　その誠実な姿勢は決して独立独歩ではなく、多くの門下生を引き付ける力を持っていたのである。ある意味では松尾芭蕉は幸せな人だったに相違ない。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　　　　　今年また紫陽花咲けりこの路傍　　　　（桐山芳夫）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　（２０１９年６月３日）&lt;br /&gt;
[[attached(1,center)]]&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/34681479.html</link>
			<pubDate>Mon, 03 Jun 2019 21:05:22 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>芭蕉名句二</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/32167913.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;俳句メニューへ&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　芭蕉の有名な名句を二句に留めるのはいかにもうらめしい。とりあえず、次の三句ははずせない。&lt;br /&gt;
　　　　閑（しず）かさや岩にしみ入る蝉の声　　　　（松尾芭蕉）&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
夏草や兵（つわもの）どもが夢の跡　　　　（松尾芭蕉）&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな  　　　（松尾芭蕉）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
&lt;/div&gt;
三句とも、独立句として、誰にも分かる普遍性を持っている。第一句は奥の細道の紀行中、山形県の立石寺という山寺での作。が、全くそんな知識がなくとも、誰の胸にもストンと落ちる句である。第二句も同様。どこかの合戦の跡という理解で十分であり、第三句も祭りの後のむなしさが十分に伝わってくる。中学生の教科書に載せても十分に普遍性があり、教材に適している。&lt;br /&gt;
　さて、次の二句はいかがだろう。&lt;br /&gt;
　　　　　 隠れ家や月と菊とに田三反　　　　　　　（松尾芭蕉）&lt;br /&gt;
　　　　　 京に飽きてこの木枯や冬住ひ 　　　　　（松尾芭蕉）&lt;br /&gt;
　これらは、芭蕉の句でありながら芭蕉自身の情感（本心）からずれている。どういうことかというと、前者の句は、芭蕉が世話になった大垣の船問屋木因（ぼくいん）の別邸を誉めたものであり、後者の句は、上方から江戸へ向かう途中、愛知県三河新城の門弟耕月宅に立ち寄った際の、いわば挨拶吟。当然単独句として分からない句である。&lt;br /&gt;
　が、挨拶や礼儀を欠かさない芭蕉の誠実さが発句ににじみでている。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
　　　　思い出すブ－ゲンビリア竹富の　　　　　（桐山芳夫）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　　　　　　　　　　　（２０１９年５月３０日）&lt;br /&gt;
&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-10-0e/jk2hri2/folder/1101256/17/34679617/img_0_m?1559209970&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_400_300&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/34679617.html</link>
			<pubDate>Thu, 30 May 2019 18:39:00 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>名句をめぐって</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/32167913.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;俳句メニューへ&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　前回、私は芭蕉の有名な次の二句。&lt;br /&gt;
　　　　古池や　蛙飛び込む　水の音　　　（松尾芭蕉）&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
五月雨を 集めて早し 最上川　　　（松尾芭蕉）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　を取り上げて、二句は共に高名なのはなぜだろう。と疑問を呈した。その際、ヒントとして次の一句を掲げた。&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
丈六に陽炎高し石の上          （松尾芭蕉）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　両者の差異は単純。前者が独立句として誰にも分かる普遍性を有しているのに対し、後者は独立句としてはさっはり分からない。分からないから、善し悪しの付けようがない。　丈六（じょうろく）は５メートル四方の石の台座の上に、かって立っていた大仏像のことである。伊賀の國の阿波の庄（三重県）の旧跡で、護峰山新大仏寺の光景のこと。&lt;br /&gt;
　ここまで書いてやっと分かる一句である。分かってみると、さすが芭蕉句と思われる簡潔な言い回しである。それはそれとして、前者が独立句として誰にも分かる普遍性を有している点がすばらしい。&lt;br /&gt;
　石川啄木の短歌の一つにこうある。&lt;br /&gt;
　　　いのちなき砂のかなしさよ&lt;br /&gt;
　　　さらさらと&lt;br /&gt;
　　　握れば指のあひだより落つ &lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
独立句ないし独立歌として、誰にも分かり、誰の胸にもストンと落ちる、いわば普遍性が俳句や短歌の命である。こう思うのは私だけだろうか。深みだのワビだの言い回しだのはその次の問題だ。&lt;br /&gt;
&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　　　　あら華やか紅葉並木の片山社　　　　　（桐山芳夫）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　（２０１９年５月２７日）&lt;br /&gt;
&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-10-0e/jk2hri2/folder/1101256/46/34678446/img_0_m?1558960736&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_400_311&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/34678446.html</link>
			<pubDate>Mon, 27 May 2019 21:38:56 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>芭蕉名句一</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/32167913.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;俳句メニューへ&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　芭蕉と言えば、そろそろ誰もが知っている句を取り上げておこう。先ず次の二句。&lt;br /&gt;
　　　　古池や　蛙飛び込む　水の音　　　（松尾芭蕉）&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
五月雨を 集めて早し 最上川　　　（松尾芭蕉）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　二句とも誰知らぬ人のいない有名句である。第一句の「古池や」の句は貞亨３年、芭蕉４３歳の時に作られたとされる一句である。&lt;br /&gt;
　「最上川」の句は「奥の細道」の紀行中、山形県新庄市泊の際に作られたとされる句。元禄２年（１６８９年）６月、芭蕉４６歳の最も油の乗りきった時期の句。&lt;br /&gt;
　さて、上記の二句が二句共高名なのはなぜだろう。飛び抜けて秀逸だからであろうか。むろんそうなのだろうが、私の見るところ、他に特色ないし理由がある。ヒントはたとえば次の一句にある。&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
丈六に陽炎高し石の上          （松尾芭蕉）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　を挙げておこう。&lt;br /&gt;
　答えは次回に回すが、丈六（じょうろく）は１丈６尺すなわち１６尺（５メートル）のことである。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　　　　真清田は尾張一宮秋の空　　　　　（桐山芳夫）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　（２０１９年５月２５日）&lt;br /&gt;
&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-10-0e/jk2hri2/folder/1101256/78/34677478/img_0_m?1558788953&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_450_314&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/34677478.html</link>
			<pubDate>Sat, 25 May 2019 21:55:53 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>芭蕉の落馬</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/32167913.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;俳句メニューへ&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　芭蕉は馬に乗ることが出来た。私はそのことを知らず、「野ざらし紀行」から「奥の細道」に至る様々な旅はすべて徒歩で回ったに相違ないと思い、さぞかし大変な旅だったろうな、と思い込んでいた。ところが、芭蕉の句の中に次の一句がある。&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
徒歩ならば杖突坂を落馬かな　　　（松尾芭蕉）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　「えっ、芭蕉は馬に乗れたのか」と驚いたが、これは無知の私故のことで、考えて見れば、武家の子であった芭蕉が乗馬のたしなみがあるのも当然だったのだ。&lt;br /&gt;
　芭蕉の同卿の門人土芳は『横日記』に「桑名よりところどころ馬に乗りて～」と記し、「季の詞なし」と記している。先掲句について、「芭蕉発句全集」は「季語もなく駄句の一つ」としている。杖突坂（つえつきさか）は東海道四日市宿の近く（四日市市釆女町）の坂で、芭蕉はそこで落馬したのである。&lt;br /&gt;
　私はこの句は芭蕉の代表句に入れてよい秀句だと思う。芭蕉には挨拶吟と呼ばれる何を歌っているか分からない句が多い。季語はないけれど、誰にも分かる、かつ、自身が経験したことを発句した秀句としか思えない。&lt;br /&gt;
　芭蕉の意外性を見せられた気がして、私の好きな一句である。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　　　　ウバメガシ抜けて真夏の羽豆神社　　　　（桐山芳夫）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　（２０１９年５月２２日）&lt;br /&gt;
&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-10-0e/jk2hri2/folder/1101256/76/34676076/img_0_m?1558521885&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_400_300&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/34676076.html</link>
			<pubDate>Wed, 22 May 2019 19:44:45 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>万葉集読解・・・２４６（３８８５～３８８９番歌）</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/30489174.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;　巻１３～１６メニュー　へ　　&lt;/a&gt;　&lt;br /&gt;
&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/34649529.html&amp;#x003000;&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;そ　の　２４７　へ　&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　　                                                        　　　　　　&lt;br /&gt;
　　　　　万葉集読解・・・２４６（３８８５～３８８９番歌）&lt;br /&gt;
　頭注に「乞食者（ほかひびと）の詠（うた）二首」とある。乞食者は祭りの際などに家の門口に立って芸を行う人。&lt;br /&gt;
３８８５番長歌　　いとこ  汝背の君  居り居りて  物にい行くとは  韓国の  虎といふ神を  生け捕りに  八つ捕り持ち来  その皮を  畳に刺し  八重畳  平群の山に 四月と  五月との間に  薬猟  仕ふる時に  あしひきの  この片山に 二つ立つ  櫟が本に  梓弓  八つ手挟み  ひめ鏑  八つ手挟み  獣待つと 我が居る時に  さを鹿の  来立ち嘆かく  たちまちに  我れは死ぬべし 大君に  我れは仕へむ  我が角は  み笠のはやし  我が耳は  み墨の坩 我が目らは  ますみの鏡  我が爪は  み弓の弓弭  我が毛らは  み筆はやし 我が皮は  み箱の皮に  我が肉は  み膾はやし  我が肝も  み膾はやし 我がみげは  み塩のはやし  老いたる奴  我が身一つに  七重花咲く 八重花咲くと  申しはやさね  申しはやさね&lt;br /&gt;
　　　　　　（伊刀古  名兄乃君  居々而  物尓伊行跡波  韓國乃  虎神乎  生取尓  八頭取持来  其皮乎  多々弥尓刺  八重疊  平群乃山尓 四月  与五月間尓  藥猟  仕流時尓  足引乃  此片山尓 二立  伊智比何本尓  梓弓  八多婆佐弥  比米加夫良  八多婆左弥  完待跡 吾居時尓  佐男鹿乃  来&amp;lt;立&amp;gt;嘆久  頓尓  吾可死 王尓  吾仕牟  吾角者  御笠乃&amp;lt;波&amp;gt;夜詩  吾耳者  御墨坩 吾目良波  真墨乃鏡  吾爪者  御弓之弓波受  吾毛等者  御筆波夜斯 吾皮者  御箱皮尓  吾完者  御奈麻須波夜志  吾伎毛母  御奈麻須波夜之 吾美義波  御塩乃波夜之  耆矣奴  吾身一尓  七重花佐久 八重花生跡  白賞尼  &amp;lt;白賞尼&amp;gt;）&lt;br /&gt;
　長歌は用語の解説を最小限にとどめる。本歌及び次歌は門口芸人の舞い歌。なので、ここに長歌調に訳しても雰囲気が伝わらないかも知れない。多少の不正確は恐れずに意訳を試み、雰囲気を伝えるよう試みてみたい。&lt;br /&gt;
　  この歌は威勢良く舞うための歌なのか、「韓国の」、「虎といふ神を」、「八つ捕り持ち来」、「八つ手挟み」等々直接歌の内容とは関係ないように思われる、めでたく歯切れの良い語句がぽんぽん飛び出してくる。「平群（へぐり）の山」もその一つ。奈良県生駒郡平群町の山というが、不意に飛び出す用語で意味不明。「櫟が本に」の櫟（いちひ）はイチイガシのこと。ブナ科の常緑高木。以下、用語の解説は一切省略。語句の対比は次の意訳歌から各自類推いただければ幸いである。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　　（口語訳）&lt;br /&gt;
　（意訳歌）「さあてみなさんお立ち会い。家にずっといなさるかいな。仮に物がほしいと韓国にでも行ってみなされ。怖い虎神様を八頭も捕らえてきてその皮を畳に張りつけるなんて、豪勢なものよ。その畳を縁起の良い平群の山のような八重畳とし、鹿の角を取って薬猟りせんとするなり。片山に二本立つイチイガシのもと、八本の弓矢を構えて鹿を待ってたらさ、鹿がやってきて嘆き節。おいらはたちまち死ぬ身なり。どうせ死ぬなら大君のお役に立ちたいものよ。おいらの立派な角は大君の御笠の飾りになりゃしませんか。耳はさ、み墨の坩（るつぼ）よ。目は澄んで鏡にいいよ。我が爪は弓の弦をとめるユハズにもってこいさ。毛は筆よ。皮は箱に張るといいさ。おいらの肉や肝は切り刻んでナマスにするのさ。胃は塩からの材料よ。老いたる私めでもこうすりゃ七重八重に花が咲くというもんでさあ。さあ、お立ち会い、お立ち会い」&lt;br /&gt;
　こんな歌であるが、祭りの際などに家の門口に立って芸を行う人の歌というが、目的は、鹿の用品の宣伝販売。現代流にいえば宮内庁ご用達というふれこみのような歌だ。&lt;br /&gt;
　左注に「右の歌一首は鹿の痛みを述べて作ったもの」とある。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;３８８６番長歌&lt;br /&gt;
　　　おしてるや  難波の小江に  廬作り  隠りて居る  葦蟹を  大君召すと  何せむに   我を召すらめや  明けく  我が知ることを  歌人と 我を召すらめや  笛吹きと   我を召すらめや  琴弾きと  我を召すらめや かもかくも  命受けむと  今日今日と  飛鳥に至り  置くとも  置勿に至り つかねども  都久野に至り  東の  中の御門ゆ  参入り来て  命受くれば 馬にこそ  ふもだしかくもの  牛にこそ  鼻縄はくれ  あしひきの この片山の  もむ楡を  五百枝剥き垂り  天照るや  日の異に干し さひづるや  韓臼に搗き  庭に立つ  手臼に搗き  おしてるや 難波の小江の  初垂りを  からく垂り来て  陶人の  作れる瓶を 今日行きて  明日取り持ち来  我が目らに  塩塗りたまひ  きたひはやすも きたひはやすも&lt;br /&gt;
　　　　　　（忍照八  難波乃小江尓  廬作  難麻理弖居  葦河尓乎  王召跡  何為牟尓  吾乎召良米夜  明久  吾知事乎  歌人跡 和乎召良米夜  笛吹跡  和乎召良米夜  琴引跡  和乎召良米夜 彼此毛  命受牟跡  今日々々跡  飛鳥尓到  雖置  々勿尓到 雖不策  都久怒尓到  東  中門由  参納来弖  命受例婆 馬尓己曽  布毛太志可久物  牛尓己曽  鼻縄波久例  足引乃 此片山乃  毛武尓礼乎  五百枝波伎垂  天光夜  日乃異尓干 佐比豆留夜  辛碓尓舂  庭立  &amp;lt;手&amp;gt;碓子尓舂  忍光八 難波乃小江乃  始垂乎  辛久垂来弖  陶人乃  所作龜乎 今日徃  明日取持来  吾目良尓  塩と給  &amp;lt;セ&amp;gt;賞毛 &amp;lt;セ賞毛&amp;gt;）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　長歌は用語の解説を最小限にとどめる。本歌も「乞食者（ほかひびと）の詠（うた」。乞食者は祭りの際などに家の門口に立って芸を行った。鹿の代わりに蟹を題材にした歌。本歌も用語の解説は一切省略。次の意訳歌から類推いただければ幸いである。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　　（口語訳）&lt;br /&gt;
　（意訳歌）「私めは難波の小江に棲んでひっそり隠れている葦蟹（あしがに）でござんす。あいや聞いて下され、その私めを大君が召しておられるというじゃありませんか。どうして私めなんかお召しになるのでしょう。明らかなことは、歌う人とこの私めを、笛吹き人と私めを、琴弾き人と私めを、一緒に所望なさったらしい。とにもかくにもお召しをお受けしようと、今日明日の飛鳥に至り、置くともの置きなに至り、つかないとの都久野に至り、東の中の御門より参内して用命をお受けしました。私めが馬なら手綱、牛なら鼻輪で、片山のニレの木につなぎとめる。が、私めは蟹ゆえ幾日も日に干し、からからとさえずるような音を立てて、韓臼で搗き、庭に出て、手臼に搗くのでございます。そうしておいて、私めの故郷である難波の小江から作った濃く辛い初塩を陶職人の作る瓶（かめ）に垂らし込む。その瓶を早急に取り寄せてわが目に塗り込めるんでござんす。そうしておいて、干物にさらし、干物にさらすんでがんすよ 」&lt;br /&gt;
　こんな歌であるが、この歌も鹿の歌と同様、その目的は、門口をまわって蟹の干物を宣伝し、販売することにあったような歌だ。&lt;br /&gt;
　　左注に「右の歌一首は蟹の痛みを述べて作ったもの」とある。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　頭注に「怕（おそれる）物の歌三首」とある。&lt;br /&gt;
３８８７　　天にあるやささらの小野に茅草刈り草刈りばかに鶉を立つも&lt;br /&gt;
　　　　　　（天尓有哉  神樂良能小野尓  茅草苅  々々婆可尓  鶉乎立毛）&lt;br /&gt;
　「ささらの小野」は「天空にあるとされる野」。「茅草刈り」の茅草（ちがや）は原野に生えるイネ科の多年草。高さ６０センチほどの草で、万葉歌に多く取り上げられていそうだが、不思議に「ちがや」という形では使われていない。本歌のみ。ただ、「浅茅」（丈の低い茅）という形では数多く使われている。たとえば、３１９６番歌に「春日野の浅茅が原に遅れ居て時ぞともなし我が恋ふらくは」とある。「草刈りばかに」は「その草刈り場に」という意味。&lt;br /&gt;
　「天空のささらの小野で茅草（ちがや）を刈っていたら、その草刈り場に不意に鶉（ウズラ）が飛び立った」という歌である。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;３８８８　　沖つ国うしはく君の塗り屋形丹塗りの屋形神の門渡る&lt;br /&gt;
　　　　　　（奥國  領君之  &amp;#26578;屋形  黄&amp;#26578;乃屋形  神之門渡）&lt;br /&gt;
　「うしはく」は短歌は本歌だけだが、「うしはくかみの」（１７５９番長歌）のほかに「うしはきいます」（４０００番長歌）というかたちで使われている。「支配する」という意味。&lt;br /&gt;
　「沖の方の海をお治めになる大君の丹塗りの屋形丹、その丹塗りの屋形丹が神の門をお渡りになる」という歌である。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;３８８９　　人魂のさ青なる君がただひとり逢へりし雨夜の離れずさ思ゆ（葉非左思所念は難解として定訓なし）&lt;br /&gt;
　　　　　　（人魂乃  佐青有公之  但獨  相有之雨夜乃  葉非左思所念）&lt;br /&gt;
　難解歌とされる。「人魂のさ青なる君が」（さは接頭語）は、「青く燃えるリン」を擬人化した表現。「逢へりし」は主語省略の原則に従って主語は作者。単純に素直にこう受け取れば状況が見えてくる。つまり、作者は雨の夜に青い人魂に出会ったのである。結句が難解。万葉仮名とみて読むと「葉非左」は「はひさ」としか読めず、不可解。各書とも難解とし、誤字、脱字説を繰り出して混乱。なるほど「葉非左」では不可解だ。「葉非左思所念」（原文）は私はこう読みたい。「葉非」は「はならず」すなわち「離れず」である。そして、「左思所念」は「さ思ゆ」（さは接頭語）である。つまり結句は「離れずさ思ゆ」となる。結句を「離れずさ思ゆ」と読解して歌意が通るかである。&lt;br /&gt;
　「人魂である君がただひとりさまよっている。その君に私は雨の夜に出会い、君は離れずについてくるように思える」という歌である。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　　　　　　　巻１６はこれで完了である。&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　（２０１６年９月３日記、２０１９年４月６日）&lt;br /&gt;
&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-10-0e/jk2hri2/folder/1066654/07/34675007/img_0_m?1558327280&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_300_199&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/34675007.html</link>
			<pubDate>Mon, 20 May 2019 13:41:20 +0900</pubDate>
			<category>短歌</category>
		</item>
		<item>
			<title>芭蕉の印象二</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/32167913.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;俳句メニューへ&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　松尾芭蕉は伊賀上野（三重県北西部上野盆地）に生まれ、江戸に出て水道工事等に従事していた。むろん、立派な武家の出だが、芭蕉の兄は実質的には百姓をしていた、という。&lt;br /&gt;
　庶民に寄り添う芭蕉の根っこにこういうものがある。&lt;br /&gt;
　たとえば、次のような句がある。&lt;br /&gt;
　　　　行春を　近江の人と　おしみける　（芭蕉）&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
いざ子供　昼顔咲かば　瓜剥かん　（芭蕉）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　それぞれ解釈の仕方により差があるだろうが、琵琶湖の春が過ぎて行くのを惜しみ、子供たちに瓜を剥いて食べようと地元の人々に呼びかける庶民に寄り添う姿勢が感じられる。&lt;br /&gt;
　ところで、幕末近くに活躍した小林一茶の句には次のような句がある。&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;indent&#039;&gt;
やせ蛙　負けるな一茶　これにあり　　　（一茶）&lt;br /&gt;
雀の子　そこのけそこのけ　御馬が通る　（一茶）&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;
　これは一茶が庶民に寄り添っての句ではなく、一茶が庶民そのものであった所に根っこがある。つまり、芭蕉のように武家ではなく、農家の子として生まれている。&lt;br /&gt;
　芭蕉は庶民に寄り添い、後述することになろうが、礼儀正しく教養も豊かな人物だった。これが芭蕉の魅力と言ってよい。&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;　　　人混みに居ると落ち着く盆踊り　　　（桐山芳夫）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　（２０１９年５月１９日）&lt;br /&gt;
&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-10-0e/jk2hri2/folder/1101256/82/34674682/img_0_m?1558263286&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_450_337&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/34674682.html</link>
			<pubDate>Sun, 19 May 2019 19:54:46 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		<item>
			<title>芭蕉の印象一</title>
			<description>&lt;div class=&#039;wiki&#039;&gt;&lt;a href=&quot;http://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/32167913.html&quot; target=&quot;_blank&quot;&gt;俳句メニューへ&lt;/a&gt;&lt;br /&gt;
　松尾芭蕉についてだが、私の参考文献は「芭蕉文集　去来抄」（昭和６０年小学館発行）（以下「小学館本」と略称。）及び「芭蕉発句全集（全１０６６句）」（WEB山梨県立大学、以下「芭蕉発句全集」と略称。）を中心に、その他諸々である。&lt;br /&gt;
　印象というのは、ほかでもない。一般に芭蕉は俳聖と呼ばれ、孤高の天才で、文字通り孤独であった。その俳句は深く、象徴性が高いと称賛されている。基本的にそうした評判に私も異論はない。&lt;br /&gt;
　が、孤高の天才というのはいかがだろうというのが私の印象である。「孤高」というのは孤独で「独り高い」という意味だが、私は、芭蕉は意外に人好きだったのではなかったのか、と思うのである。そしてそのbasyou 心情は庶民的で、それをうかがわせる発句の例はいくらもある。一例だけあげると、芭蕉には次のような一句がある。&lt;br /&gt;
　　　　　酒のめばいとど寝られぬ夜の雪　&lt;br /&gt;
　芭蕉４３歳の冬、江戸の深川庵に居を構えていた頃の発句である。庵でたった独り、独酌したが、孤独は平気と言っていた自分がなかなか寝付かれず、雪夜にもんもんとしていた、という句である。&lt;br /&gt;
　そもそも、芭蕉は門人に囲まれ、旅に出る時は門人を伴って出立している。芭蕉に限らず、人は孤独に弱く、寂しがりやなのである。「芭蕉も人の子」。これが私の芭蕉に対する第一印象である。&lt;br /&gt;
　　　雪の朝見舞客来て誰か不喜　　　（桐山芳夫）&lt;br /&gt;
　　　　　　　　　　　（２０１９年５月１５日）&lt;br /&gt;
&lt;div class=&quot;alignCenter&quot;&gt;&lt;img src=&quot;https://blog-001.west.edge.storage-yahoo.jp/res/blog-10-0e/jk2hri2/folder/1101256/70/34672870/img_0_m?1557914676&quot; alt=&quot;&amp;#x0030a4;&amp;#x0030e1;&amp;#x0030fc;&amp;#x0030b8; 1&quot; class=&quot;popup_img_450_327&quot;&gt;&lt;/div&gt;&lt;br /&gt;
&lt;/div&gt;</description>
			<link>https://blogs.yahoo.co.jp/jk2hri2/34672870.html</link>
			<pubDate>Wed, 15 May 2019 19:04:36 +0900</pubDate>
			<category>その他文学</category>
		</item>
		</channel>
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