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前略
Aさん、今日は、午前中、少し休憩。午後は、新聞など読書。 特にマルクスの「ヘーゲル法哲学批判序説」はマルクスが初期のフォイエルバッハ主義からマルクス独自の世界観に到達する直前の思想(特に新しい歴史主体としてのプロレタリアートの発見)を表明しているだけに力強く且つ革命的です。 Aさん、ここでは名言を少し紹介します。 (国民文庫版「ヘーゲル法哲学批判序論」p329〜p351参照) 「①批判の武器は武器の批判に取って代わることはできず、物質的な力は物質的な力によって倒されねばならないが、しかし理論といえども、大衆を掴むやいなや、物質的な力となる。 (※Aさん、マルクスいう所のこの「理論」に、”日本国憲法”を入れ替えてもよいでしょう。
安倍9条改憲No!の3000万署名は、1つの”物質的な力”となるのではないでしょうか。)
②ドイツ解放のポジティブな可能性はどこにあるか? 答え。それはラディカルな鎖をつけた1階級の内にある。・・・この市民社会の1階級は市民社会のいかなる階級でもなく、この市民社会の1身分はあらゆる身分の解消であり、この市民社会の1つの階層はその全般的苦難の故にある全般的性格を所有していて、いかなる特別な権利をも要求する事はない。けだしそれが被るのはいかなる特別な不正ではなくて、不正そのものだからである。・・・従って社会の自余のあらゆる階層を解放することなしには、己れを解放することのできない階層であり、一言にしていえば、人間の全き喪失であり、それ故に、ただ人間の全き取り戻しによってのみ己れ自信を獲得しうる階層である。社会のこの解消こそが1つの特殊な身分として存在するのがプロレタリアートに他ならない。 ③プロレタリアートは急に起ってきた産業の動きを通じてやっとドイツ(1843年)に生成し始めつつある。なぜならば自生的に生じた貧民ではなくて、人工的に造り出された貧民、機械的に社会の重みに抑えつけられた人間群ではなくて、社会の急激な解体、ことに中間層の解体から出てくる人間群がプロレタリアートを形成するのだからである。 ④哲学がプロレタリアートのうちにその物質的武器を見いだすように、プロレタリアートは哲学の内にその精神的武器を見いだす。 ⑤結論・・・ドイツにおいてはいかなる種類の奴隷状態も、あらゆる種類の奴隷状態を打破することなしには打破されえない。根本的なドイツは、根本から革命する主体であることなしには、革命の主体であることができない。(ドイツを日本に置き換えても可です。) ⑥ドイツ人の解放は人間の解放である。この解放の頭脳は哲学、心臓はプロレタリアートである。哲学はプロレタリアートの揚棄なしには己れを実現しえず、プロレタリアートは哲学の実現なしには己れを揚棄しえない。あらゆる内的条件が充たされた時、ドイツ復活の日はガリヤ雄鶏の雄叫びによって告げられるであろう。」
※ドイツ(1843年)では、プロレタリアートが産業の動きを通じて生成されたのですが、日本では、明治維新によって上(国家)から強制的に創出された次第です。(野呂栄太郎:「日本資本主義発達史」参照) また、上記の④と⑥において、”哲学”の位置に”日本国憲法”を、”プロレタリアート”の位置に”沖縄”を入れ替えて読めば、プロレタリアート同様に現在の”沖縄”が日本(世界)の苦難を背負っている事が分かると思います。 勿論、現代のプロレタリアートもマルクスが指摘している境遇(社会の解体を通じて生成)(①〜⑥)を体現している事には変わりありませんね。
以上、今日の出来事でした。 それではまた、次回に。
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資本論要約とのこと、頑張ってください。私は、第3巻をブログに掲載しましたが、今年中には、第一巻に挑戦したいと考えています。
今年、経済学批判を載せましたが、ブログに掲載すれば、何時でもあとから参照出来るので、助かります。今日も唯物史観の公式をブログからコピーしたところです。私にとって資本論第3巻は、驚きの連続でした。またのコメント、よろしくお願いします。ありがとうございました。
2018/9/16(日) 午後 8:02 [ ウオーキングライフ ]