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私のリアルパッチギは、金日成将軍の歌から、始まりました。
チャンチャ〜ン チャチャチャチャンチャ〜ン チャチャチャチャンチャンチャンチャンチャン〜
チャ〜ンベクサン チュルギチュルギ ピオーリン チャ〜ンウ ア〜ンノッカン クビクビ・・・・
(お若い方は知らないと思います。)
私が育った、文京区大塚は、在日コリアンの人口が少なく、周りには誰もいません。そして
私も、姉も日本学校に通っていましたので、実際に朝高生など見たことも有りませんでした。
朝鮮学校への入学が決まり不安と希望が入り混じる中入学式の当日を迎え、オモニと一緒に十条の駅に
降り立つと、噂では聞いてましたが、とってもすてきな、ビーバップな方々がぞろぞろ。
私はというと、普通の詰襟の学生服に、中学の頃から当たり前のようにかぶっていた帽子、手には
分厚い黒皮のかばん。典型的なおぼっちゃまなような格好(今思うと、こちらの方が、普通でしょ?)
式の前にクラス別に、分かれて整列。
1年生は、各クラス40〜50名で15班まであり、プラス我々編入班の16班
(団塊の世代には、負けますがまだまだ多かった)
我が編入班は、男子15名、女子10名
(ぐらいだったかな〜、何せ無事卒業したのは、私を含め男子3名 女子5名でした)
我が編入班の男子といえば、私と、もう一人を除き、パンチパーマ、リーゼント、オールバック
に、パーマに茶髪、ヨーラン、ボンタン、紺ガクと 中学では各地の日本学校でツッパていた、
一流の、おバカさんが、大集合。
女子も、半分はヤンキーな姉ちゃん。
(一週間もしないうち、ツッパリにいちゃん達は、ありがたき先生と諸先輩方のご指導により、
普通?の朝高生になり、(それでも普通じゃね〜!)
女子は、伝説の女教師 チェー・ギルス先生(始めは仮名に、しようと思いましたが、リアルと言い
ながら仮名にするのは、可笑しいと思い、全て実名に致します。今後全ての登場人物につきましても
本人の名誉を傷つける可能性がある時のみ、仮名にしますので、よろしくお願いいたします。
ま チェー・ギルスソンセンニムも、うそを書かない限り許してくれると思います。
今でも、時々お会いしていますしね! そ、今ではとてもやさしいおばさんになってますよ?)
が、髪の毛を引っ張りながら、無理やりホースで頭から水をぶっかけるという、
丁寧なる御指導の元、無事、変身〜〜〜)
このような仲間と一緒に、いよいよ入学式!!!!!
冒頭の金日成将軍の歌を口パクで、熱唱(なんせ、朝鮮語も知らないし、こんな歌きいたこともない)
これが、東京朝鮮中高級学校でのこころ温まる(ファンキー、モンキー、ベイビーな)
学生生活の始まりでした。
(ちなみにこの翌年1972年に、川崎で在日コリアンである、矢沢永吉、ジョニー大倉らが集まり、
あの有名なキャロルを結成。)
金城一紀くん(年下なのでくんづけでよびます)の「GO」や、井筒監督
の「パッチギ」のように、面白くないかもしれませんが、
私自身が自分の目で見た事を、当時の時代背景と共に、語って行きたいと思います。
(でも小説や映画より面白いかもよ?)
いや〜〜 永くなりそ〜です。でも不思議に次から次と、思い出すもんですね〜
おとといの夕飯、何食べたか忘れる アル酎ハイマー及び、中年性認知症の私でした。
リアルパッチギ第三章(青春時代朝鮮高校編)2 へ、つづく
http://blogs.yahoo.co.jp/jkimuchi/archive/2006/06/28
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