IgE 226 IU/ml 卵白4 オボムコイド3 小麦2 ヒョウヒダニ0 米0 ソバ0 大豆0 牛乳0 IgEは、計るたびに増えているのがやや気になるところ。 でも、これだけみるとよくも悪くもなっていないのですが、実際に食べられるものは ずいぶん増えました。 10ヶ月前後のときには、サツマイモや豆類(大豆・枝豆・もやし・サヤインゲン)は湿疹がでていましたが、1歳をすぎてからは湿疹がでなくなりました。 今や、主食の米に変わる勢いで食べています。 魚もタラやシャケが若干怪しかったのですが、こちらもクリア。 エビ、カニ、イカ、タコも最近食べ始めました。 そして、小麦。 保育園に行き始めて、醤油に含有されているのまでは、さすがに除去を依頼できないので、 摂取していました。 最初の頃は、頬や耳付近が赤くなっていたもののそれも最近はほとんど見られなくなり、 よくなってきたことを実感しています。 (内服薬の効果もあるとは思うのですが。) さらにさらに、以前にスクラッチテストでは発赤がみられていた乳製品。 オーリングテストにてスクリーニングしてもらい、医師から 「バターやチーズもそろそろどうでしょうか」 と言われ、先週ハッチに初めて、チーズをあげました。 で、反応は・・・ 少量だったせいか、なんともならず。 そして、バターにもチャレンジ! こちらもなんともなし。 う、嬉しいぃぃぃぃ。 でも、でも、よいことばかりではなく・・・ 私の血をひいて『あんたはフードファイターかい?』というほど、食べまくっていたハッチ。 なにより食べるのが好きで、だせばだすだけ食べていました。 そんな大食漢のハッチでしたが、最近、遊び食べが始まり、口にいれたものをわざと「べーっ」と だしてみたり、食べながら、指を口に入れたり・・・なんとも下品なことをし始めました。 摂取する量も、こども茶碗1杯くらいしか食べません。 前だったら、サツマイモ2個くらいぺろりといく勢いだったのに、今は1個の半分です。 体重もようやく7400gとなり喜んでいたのですが、ここから先がまた増えなさそうです。 一難去ってまた一難ですね。 |
アトピーと共に
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とある日の出来事です。 私たち家族は、旅行中でした。 旅行先で、会席料理を食べました。 会席料理には、珍しいフグの白子もメニューの一品としてあり、おいしく頂きました。 初めて口にする食品でした。 食事が終わったのが、20時。 テレビで、【銭ゲバ】をみようと部屋に戻り、くつろいでいました。 食後から、およそ30分もたたない頃でしょうか。 首に違和感を感じ、少し触ってみると、ボツボツ隆起した物が確認されました。 『うーん、じんましんかなぁ???』 ものの数分で、首筋から耳の後ろまでにじんましんが広がりつつありました。 『最近、娘の夜泣きが多くて、睡眠不足だったし疲れていたから、身体の抵抗力が落ちていたんだろう』 などと思っているうちに、指先のしびれ感に加えて、目眩、さらになんだか頭がボーとしてきました。 そして、明らかに、腹痛や息苦しさが強くなり、 アナフィラキシーの前駆症状を引き起こしていることに気がつきました。 曲がりなりにも、自分も医療従事者。汗 落ち着いて、自分の脈を測ります。 脈拍数130台になっていて、唇が腫れてきている状況に、 「間違いなく、アナフィラキシー!」 と、確信しました・・・。 その確信したときには、気道の閉塞感があって、のどの奥に物が詰まっている違和感を感じ、 『こりゃまずい!!』 たかちゃんに、すかさず救急車を要請してもらいました。 で、気道確保の体位を保持して、いつでも吐いても大丈夫なように袋を持参していました。 頭の中では、 アナフィラキシーショックは発症時は、気道の閉塞。
医学書に書いてあったアナフィラキシーのことを思いだしていました。それによる死亡は初期の1〜2時間。 喉頭のむくみや不整脈による心停止などが原因。 治療の目的は呼吸と循環を緊急に改善させること。 冷静に冷静に・・・・自分に言い聞かせながら、。 とはいえど、息ができない恐怖心もあるわけで、『どうなるんだろう・・・。』 と、頭の中でグルグルいろんなことが駆け巡っていました。 救急隊が到着したときには、酸素飽和度82%。 じんましんと紅潮は全身に広がっていました。 でも、このときは、頭が朦朧としていたので、救急車内でのことはあまりはっきり覚えていません。 ただ、病院に到着して、すぐにボスミンと、副腎皮質ホルモンの投与が行われました。 病院に到着し、すぐに私がアレルギー既往があることや、症状を説明し、処置が早かったので、点滴を数時間行っただけで、呼吸困難感も改善し、残るはじんましんのみという状態にすぐ改善しました。 病院の救急外来の医師には、すぐに救急車を要請したことを 「さすがプロですね。」 と、褒められたので、全然平気!的な顔をしていましたが、 実は、もの凄く怖かったです。 息ができないことの恐怖心・・・大人になってから、初めて経験しました。http://www.blogtokei.com/swf/huurin.swf このアナフィラキシーを自ら経験し、今後、娘の離乳食を開始した場合には、 娘にも同じ事が起こる危険性が非常に強いことを思い、憂鬱になりました。 私は、大人だし、医学的な知識がある分、恐怖心は他の方よりも遙かにましなわけで・・・、 それでも、かなり怖かったです。 ましてや、自分の状態を伝えられない赤ちゃんだと、身体的苦痛に加えて恐怖心も大きい事でしょう。 娘のアトピーについて、あまり他人に言わないでおきたいなぁ・・・などと、思っていたけれど、 周囲の人には、アレルギーのことを隠さずに説明をしておくことが大事だとおもいました。 また、必ず娘自身がアレルギーのことをきちんと把握し、理解できる年齢になれば、説明をしてあげることが重要だと思いました。 お友達のおうちに言って、おやつを頂いたりする場面も今後はきっとあると思います。 おやつを断って、 「そんなに神経質にならなくても・・・」 と言われたり、 「ちょっと湿疹がでたりするくらいでしょう」 と、思われる方も大勢いることでしょう。 でも、自分が経験したこのアナフィラキシーショックのことを思うと、背に腹は代えられないと思うので、周囲の人には理解を求める努力をし続けなければならないと思いました。 幼児のアナフィラキシーを起こしたケースは、、アレルギーには縁がなく、まったく気にもとめていないという場合が多いとききます。 しかも、周囲の人(祖父母や兄弟姉妹)が「このくらいは初めてでも、少量だから大丈夫よ」と親に内緒で勝手に与えてしまった場合の割合も少なくないそうです。 もともとアレルギー体質と分かっていて、注意している人よりも怖いことかもしれません。 もし、娘の離乳食の進み具合を見て、あまりにも重篤なアレルギー体質だった場合には、 アナフィラキシーショックが起こったときにすぐ対処する自己注射『エピペン注射液』を持ち歩くことも 考慮しなければならないと思っています。 今のところ、ハッチの離乳食も急性症状を起こすことなく、すすんでいるので、ありがたいことだなぁ・・・と、思っています。 でも、離乳食を開始して、湿疹がでっぱなしになってきていたので、先週からハッチに内服薬が処方されました。 夜、痒みが強かったせいか、これまで2時間おきにおきていたハッチも最近はまとまって4時間くらい寝てくれるようになりました。 ステロイドも塗らずとも、湿疹がひいているので、内服薬を開始して良かったと思っています。 |
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昔、昔・・・とても色の白い女の子がいました。 女の子のお肌は、それはそれはきめ細かく、美しいお肌でした。 ところが、3歳半ばくらいになった頃、目の周りや足の後ろが赤くただれ、気がつくといつも掻きむしり、爪の間は常に血まみれ。 夜は、痒みのせいで全く眠れない日々となります。 その子のお母さんは、娘の痒みをなんとか防ごうと、あちこちの皮膚科や小児科、アレルギー科を転々と行き渡り、なんとか治せないものかと必死になりました。 漢方薬・民間療法・水を選ぶ・・・・ありとあらゆる方法が試されました。 しかし、いろんな病院や医師を訪ねても、女の子の皮膚はちっとも改善せず、年々酷くなるばかり。 病名は、アトピー性皮膚炎。 やがて、小学校にあがり、女の子は常に身体のどこかを掻きむしり、目の周りが赤いことから あだ名は「妖怪」「ばけもの」「メガネザル」とあだ名をつけられてしまいます。 そして、いつも「気持ち悪いから、そばによるな」と言われて、からかわれたり。 女の子は、どうして自分だけがこんなに醜い身体に生まれてしまったのだろうと、毎晩泣いていました。 夜も十分に眠れないので、いつも簡単にくたびれてしまいます。 あるとき、スイミングスイミングスクールに通わせたいと思った少女の父が、担当のスタッフに入会したい旨を伝えると そのスタッフには「皮膚の病気が他の子にうつるとこまるので、入会させられない」 と、断られます。 今では、アトピー性皮膚炎というと、うつらないことは常識ですが、その時代、あまり世に知られていない病で、偏見が根強くありました。 女の子が小学生3年生夏、ついに母親は運命の医師に出会います。 読売新聞が主催するアトピー・セミナーで出会った、太田展生医師です。 講習の内容は 【血液を採取して、アレルゲンを特定するRAST検査というのがあり、特異的IgEを測る。 そして、この検査でアレルゲンとなっている食物を特定し、除去することで皮膚症状を改善する・・・という画期的治療法がある】 というものでした。 ステロイド中心の治療以外にも、皮膚を改善する方法があると分かった出来事でした。 少女は、血液検査で、牛乳・卵・米・小麦・大豆・牛肉・犬・・・ありとあらゆるものがアレルゲンとなっていることが分かりました アレルギーに無縁の乳児期早期のIgEは5−10IU/mという数値(成人の標準値は250IU/ml以下) 少女の数値は2000IU/mをはるかに上回り、いかに酷いアレルギーかということを物語っていました。 飼っていた愛犬は、アレルゲンになっている理由から、他人に譲ることになりました。 そして、女の子は、その小学3年生の頃から厳しい食事療法がはじまりました。 米・小麦が食べられないので、ヒエ・キビ・粟が主食です。 牛肉・豚肉・鶏肉が食べられないので、カエル・ウサギ・カンガルー・鯨・白身魚で動物性タンパク質を摂取します。 甘い果物も、リンゴ・柑橘類しか食べられませんでした。 醤油も味噌も大豆が含まれているので、食べられません。 味付けは大半、塩かレモン味、カレー風味。 治療をスタートさせてからは、給食は食べられないので、他のお友達が給食を食べている時に、自宅に帰り、食事を食べてから、昼休みにまた学校に戻りました。 遠足やお友達のおうちに行くとき、お菓子を出されても治療をしているので、我慢して受け取りませんでした。 そんな生活をしながら、母親の頑張りと少女の我慢の日々を重ね、月日は10年がたち・・・、大学受験をするころ、少女はお米を食べても、湿疹はいつの間にかでなくなりました。 牛肉・鶏肉・豚肉、魚、食べてもなんともなりません。 少女は、アトピーなので、こんな醜い自分では誰もお嫁さんにもらってくれないんじゃないか・・・と、 長い間、思っていましたが、27歳の時に運命の人と出会い、29歳の夏に結婚し、30歳の夏には母親となりました。 http://proxy.f3.ymdb.yahoofs.jp/users/44386414_11bbf/bc/f684/__sr_/d86e.jpg?bcNVfQKBi3nglfgF アトピーとの闘病生活は、辛いことばかりのようでしたが、それだけではありませんでした。 少女を忍耐強い性格にしました。 また病気と共に生きる人の力になりたいという将来の目標を作りました。 そして、普通に食べられるという喜びがどれほど大きいかを知りました。 さらには、病気になることは、確かに辛いけれど、病気=不幸ではなくて、不幸だと思うのは自分の心の持ちようなのだ・・・ということにも気がつきます。 命をおとすような大病や難病に罹患し、生命の危機状態で、恐怖におののいて暮らしている人の悩みに比べれば、自分はまだ恵まれていることを知ります。 何より、困難が目の前に現れたとき、それを克服することの喜びを知るというかけがいのない体験を手に入れました。 また、両親が自分のために、一緒に病気と闘ってくれてことで、どれほど深い愛情でこれまで育ててくれたのかを知りました。 アトピーに悩む人の多さを知り、私自身の過去のことを文章にしました。 ハッチは、アレルギー体質なので、今後、私と同じように食事療法を行う可能性が高いです。 そのときに、自分がどのようにハッチに食事療法について語るのか・・・自分の経験を振り返り ながら、文章にしました。 長い文章をここまで読んで下さった方ありがとうございます。 |
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