4日目の9月30日もいい天気でした。
ホテルにはブルガリアのバスが迎えに来てくれていて、既にブルガリア気分。
ルーマニアのバスはやや小さくて2席2人だったのですが、ブルガリアのバスも同様で結局2席を1人で使うことは出来ませんでした。
さて、ブカレストでは野犬に注意、というのをいろいろな人の旅行記で知ったのですが、2年前に駆除したとかで、幸いそれらしい犬にはお目にかかりませんでした。添乗員が2年前に来た時はいたそうです。
バスはブカレストから南下、REMUSという町を通ると間もなくドナウ川、つまり国境です。
国境に架かる「友好の橋」の上から(左側の車窓)
川はドナウ川で、それにしては川幅が狭く見えますが右は中州だと思います
左側がルーマニア
橋の中央部分に差し掛かりました
地理的物理的国境はドナウ川の中央だと思いますが、前方に見えるトラスの中央付近ががそうでしょう
さっきの中州はルーマニア側にあったらしく、こちらは広い川幅です
橋の中央部を越えてブルガリアに入りました(右側の車窓)
ドナウ川を渡った先にブルガリアの入国管理事務所がありました
国境では原則撮影禁止ですが、長時間待たされたので退屈しのぎに車内からパチリ
間もなく両替所がありました
ここでユーロをブルガリアの通貨レフ(複数形はレヴァ)に替えました
ルーマニアで使い切れなかったレウ(複数形レイ)もレフ、レヴァに替えてくれます
この両替所のレートは1ユーロ=1.920レヴァで、50ユーロ+10レイを出したら20レヴァ紙幣を5枚(100レヴァ)くれました。日本円でいえば7千円弱になります。
ルーマニアでは両替をケチってやや不自由したので、ブルガリアでは気持ちにゆとりを持つべく多目に両替しました。
ブルガリアも車は右側通行ですが、道路標識の文字がアルファベットからキリル文字に変ります。
ブルガリアはスラブ語圏ですが国の歴史はルーマニアと似ており、ブルガリア人民共和国として発足し社会主義の道へ踏み出したのは1946年ですが、ルーマニアも1947年に独立しています。
1989年に共産党独裁政権が崩壊し、国名から”人民”が取れたブルガリア共和国になっていますが、ルーマニアもこの年にチャウシェスクを倒しルーマニア人民共和国から単にルーマニアになっています。
これはポーランド、ハンガリーに端を発した1989年の革命でベルリンの壁が崩壊し、チェコでビロード革命が起きた一連の東欧革命にあたります(1989年といえば日本でいえば「平成」が始まった年です)。
2007年にEUに加盟したのもルーマニアと同一でこの年に加盟を承認されています。
ルーマニアとブルガリアはそのように似ている点もありますが、アルファベットを使いヨーロッパ寄りのルーマニア、キリル文字を使い歴史的にもロシアと関係が深いブルガリア、とかなり違う点もあります。
日本で有名なブルガリア出身者は相撲の琴欧州です。
ブルガリア側の国境に近い都市はルセ、ここでガイドのゲオルギ氏を乗せました。
ルセからさらに南下してブルガリアの最初の観光地、イワノボの岩窟教会へ。
下の駐車場から一旦見晴らしのいい尾根筋に登り、そこから岩窟教会へ向かいました
目指す教会(正式には「主の渓谷聖堂」)は前方の岩塊の右下
近づきました
右の方の岩壁に人がいるのが見えるでしょうか
あの辺りが入口です
前方の縦長の割れ目が教会の入口
中が狭いので中にいる人達が出てこないと入れず、順番待ちをしています
やっと出てきたグループは1つか複数か知りませんが外人ばかりで、のそのそばらばらと、人の気も知らず、のんびりと出てきました
やっと入った内部から入口を振り返ってみました
右に見えているのはみやげ物売り場です
中に入れる人数の限度が何人か知りませんが我々と他の外人たちが入ってもガランとしていました
奥に開口部が見えています
そこへ行ってみるとこんなバルコニーが
恐る恐る下を除くと足の震えるような風景が
ここの見どころはそんなものではなく、貴重な価値を持った壁のフレスコ画なのです
もったいない話ですがあまり興味がなかったので、外で待っている人もいることだし早く出たら、と思っていましたがガイドは外の人のことなど意に介さず悠々と解説をしてくれました
出ていくと大勢の外人が順番待ちをしていましたが、「遅い」と文句を言う人もいません。考えてみれば、これは世界遺産、ここまで来ることはもうありえないのでじっくり納得いくまで眺めていてもよかったのです。
下へ降りて駐車場から見るとあのバルコニーが見えました(岩の中央の黒い四角の部分)
寺院はあの中に掘られているわけです
このあと、ベリコタルノボ、カザンラクへとさらに南下していきます。
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