風の吹くまま地球の上を西東

海外旅行の記録のために始めましたが日常の出来事も書いていきます

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ベリコタルノボの”ベリコ”とは「偉大な」「大きな」という意味だそうで、ベリコタルノボは「大タルノボ」ということになります。ここへ着いたのは午後2時、遅い昼食となりました。

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ベリコタルノボのツァラベツの丘

レストランはこのすぐ左手でした












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レストランでは2階席へ
そこは我々だけで、テラスへ出てツァラベツの丘をほしいままに眺められました(ズーム)

丘の上に見えるのは大司教区教会(キリスト昇天教会とも)
昼食後はあそこへ行くのだろうと思っていたら写真の右端辺りでガイドの解説を聞いただけ
登れば眺めは素晴らしいだろうなと思いますが・・・


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左へカメラを振りました
















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その左

谷になっていて、ヤントラ川という川が流れています

暑いのでビールを飲みたかったのですが午後の観光があるのでコカコーラで我慢しました








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昼食後は歩いて職人街へ移動

この位置からは左右に通りが通じていますが三叉路から上の方を見ました











職人街とは文字通り職人さんがいろいろな物を作っているところを見られる、という町で、ここでしばらく自由時間となったのですが、ざっと見たところただの商店街、土産物屋が並んでいるだけという感じだったので興味ありませんでした。

それより他の人のブログで見たベルコタルノボの絶景が見られるのはどこか、と探しました。
そしたら下の通りに建物と建物の間から、川と思われる方へ鉛筆の芯の様に突き出しているスポットを見つけたのです。

この絶景を自分一人が見ただけではもったいないと、他の人にも教えたくなりました。
職人街へ戻って、所在無げに自由時間を過ごしているもう一人の一人参加の男性と、やはり一人参加の女性の二人に声をかけて誘いました。


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ヤントラ川が大きく蛇行しているので島の様に見える所にアッセン王のモニュメント(細長い塔)、その奥にベリコタルノボ美術館

ベリコタルノボを代表するこの絶景が撮りたかったのです





この景色、女性には喜んでもらえましたが男性は「どうってことはない」という風でした。

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同じ場所から左を見ると、ヤントラ川に沿って家々が崖にへばりついているのがわかります













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そして右の方の風景

琴欧州はブルガリア人ですが、ここベリコタルノボの出身だそうです

もっと誰かれなくここへ案内したかったのですが、ほとんどの人は買い物に夢中でした






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職人街から上へ上っていく路地があり、それがすぐに曲がっていて先がどうなっているか見えなかったのでちょっと興味を引かれ、一人で入り込んでみたらこんな所でした

これは観光客の来るところではないな、と思って引き返すと、上ってくる年配の女性とすれ違い、どうしてこんな所へ入ってきたの、と言われそうでバツの悪い思いをしました


次の観光地カザンラクへはバルカン山脈のシプカ峠という峠を越えていきます。

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シプカ峠(1150m)

ここは1877〜1878年の露土戦争でロシア兵がブルガリアのために戦った激戦の地

この時の露土戦争ではロシアが勝ち、バルカン諸国が長年のオスマントルコの支配から解放されました
その時にブルガリアも独立したそうです



それ以来ブルガリアはロシアに親近感を持っているのです。
ではキリル文字を使っているのもそのせいか、というとキリル文字はむしろブルガリアの方が発祥の地だとか。

ロシアが何故よその国ブルガリアのために戦ったのかはわけがありそうで、興味深いものがあります。

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上の写真で山頂に見える塔が気になったのでズームアップしてみました

これはロシア兵の霊を慰める慰霊塔「自由の碑」(32m)だそうです

時間があれば行ってみたいところですが、このツアーにはとてもそんな余裕はありません




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峠の名物といわれるヨーグルトを食べてみました

峠にたくさんあるどこの売店でも売っていました

ハーフカップで十分、といわれたのですがハーフがなく大きなサイズを買うハメに

別売りの蜂蜜を混ぜて食べるのですが、蜂蜜がないと食べられません



おカネがなければヨーグルトなどパスするところですが、これもブルガリアの通貨を多めに替えておいたお蔭です。

峠を下るとカザンラクの町。「バラの谷」と言われていますが”谷”というイメージではないように思いました。バラの時期には日本からもたくさんのツアーが出て、ブルガリア観光を代表する町になっています。
カザンラクではバラのみやげ物店へ直行しました。

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バラの香水などバラ関係のみやげ物店「バラの館」にあった人形

バラ祭りの時は女性がこんな衣装でバラの花を摘むのでしょう

このツアーでバラ製品が買えるのはこの店だけ、とばかりみんな爆買いしていました

店のおばちゃんも日本人観光客には慣れているらしく、片言の日本語で「何かですか〜」と言うのが口癖になっていました











このあとは夕食のレストランへ。飲んだビールの銘柄はアルファベットになおすと「ZAGORKA」と読めました。

泊まったホテルの名前は”グランドホテル”。昔は格式の高い高級ホテルだったのでしょうが今は古ぼけて、エレベーターは手動式、部屋は重い鍵で開けるレトロ風、テレビは何とブラウン管型、エアコンはあるがリモコンがない、バスタブはあるが水栓が複雑でお湯が出るかチェックしていたら2回もシャワーで服を濡らしてしまう始末。

ほかにも無い無い尽くしで、ゴミ箱もティッシュも、バスカーテンも足ふきマットもありません。
水のペットボトル1本サービス、ということでしたがこれもないのでフロントへもらいに行きました。
ま、我慢しましょう。
こうして4日目が終わりました。

ここまでイワノボ(イヴァノヴォとも)、ベリコタルノボ(ヴェリコ・タルノヴォとも)と、日本人の感覚からすれば変わった地名を見てきましたが、今度の町は「カザンラク」。もちろん”火山”とは関係ないようです

(連日”ナイス”をいただいており、有難うございます)
4日目の9月30日もいい天気でした。
ホテルにはブルガリアのバスが迎えに来てくれていて、既にブルガリア気分。
ルーマニアのバスはやや小さくて2席2人だったのですが、ブルガリアのバスも同様で結局2席を1人で使うことは出来ませんでした。

さて、ブカレストでは野犬に注意、というのをいろいろな人の旅行記で知ったのですが、2年前に駆除したとかで、幸いそれらしい犬にはお目にかかりませんでした。添乗員が2年前に来た時はいたそうです。

バスはブカレストから南下、REMUSという町を通ると間もなくドナウ川、つまり国境です。

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国境に架かる「友好の橋」の上から(左側の車窓)

川はドナウ川で、それにしては川幅が狭く見えますが右は中州だと思います

左側がルーマニア









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橋の中央部分に差し掛かりました

地理的物理的国境はドナウ川の中央だと思いますが、前方に見えるトラスの中央付近ががそうでしょう










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さっきの中州はルーマニア側にあったらしく、こちらは広い川幅です














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橋の中央部を越えてブルガリアに入りました(右側の車窓)














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ドナウ川を渡った先にブルガリアの入国管理事務所がありました

国境では原則撮影禁止ですが、長時間待たされたので退屈しのぎに車内からパチリ









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間もなく両替所がありました

ここでユーロをブルガリアの通貨レフ(複数形はレヴァ)に替えました

ルーマニアで使い切れなかったレウ(複数形レイ)もレフ、レヴァに替えてくれます







この両替所のレートは1ユーロ=1.920レヴァで、50ユーロ+10レイを出したら20レヴァ紙幣を5枚(100レヴァ)くれました。日本円でいえば7千円弱になります。

ルーマニアでは両替をケチってやや不自由したので、ブルガリアでは気持ちにゆとりを持つべく多目に両替しました。

ブルガリアも車は右側通行ですが、道路標識の文字がアルファベットからキリル文字に変ります。
ブルガリアはスラブ語圏ですが国の歴史はルーマニアと似ており、ブルガリア人民共和国として発足し社会主義の道へ踏み出したのは1946年ですが、ルーマニアも1947年に独立しています。

1989年に共産党独裁政権が崩壊し、国名から”人民”が取れたブルガリア共和国になっていますが、ルーマニアもこの年にチャウシェスクを倒しルーマニア人民共和国から単にルーマニアになっています。

これはポーランド、ハンガリーに端を発した1989年の革命でベルリンの壁が崩壊し、チェコでビロード革命が起きた一連の東欧革命にあたります(1989年といえば日本でいえば「平成」が始まった年です)。

2007年にEUに加盟したのもルーマニアと同一でこの年に加盟を承認されています。

ルーマニアとブルガリアはそのように似ている点もありますが、アルファベットを使いヨーロッパ寄りのルーマニア、キリル文字を使い歴史的にもロシアと関係が深いブルガリア、とかなり違う点もあります。

日本で有名なブルガリア出身者は相撲の琴欧州です。

ブルガリア側の国境に近い都市はルセ、ここでガイドのゲオルギ氏を乗せました。
ルセからさらに南下してブルガリアの最初の観光地、イワノボの岩窟教会へ。

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下の駐車場から一旦見晴らしのいい尾根筋に登り、そこから岩窟教会へ向かいました

目指す教会(正式には「主の渓谷聖堂」)は前方の岩塊の右下









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近づきました

右の方の岩壁に人がいるのが見えるでしょうか
あの辺りが入口です












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前方の縦長の割れ目が教会の入口

中が狭いので中にいる人達が出てこないと入れず、順番待ちをしています

やっと出てきたグループは1つか複数か知りませんが外人ばかりで、のそのそばらばらと、人の気も知らず、のんびりと出てきました





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やっと入った内部から入口を振り返ってみました

右に見えているのはみやげ物売り場です

中に入れる人数の限度が何人か知りませんが我々と他の外人たちが入ってもガランとしていました







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奥に開口部が見えています













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そこへ行ってみるとこんなバルコニーが















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恐る恐る下を除くと足の震えるような風景が















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ここの見どころはそんなものではなく、貴重な価値を持った壁のフレスコ画なのです

もったいない話ですがあまり興味がなかったので、外で待っている人もいることだし早く出たら、と思っていましたがガイドは外の人のことなど意に介さず悠々と解説をしてくれました






出ていくと大勢の外人が順番待ちをしていましたが、「遅い」と文句を言う人もいません。考えてみれば、これは世界遺産、ここまで来ることはもうありえないのでじっくり納得いくまで眺めていてもよかったのです。

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下へ降りて駐車場から見るとあのバルコニーが見えました(岩の中央の黒い四角の部分)

寺院はあの中に掘られているわけです











このあと、ベリコタルノボ、カザンラクへとさらに南下していきます。


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ブラショフの黒の教会

スケイ門から通りを歩いてきて左へ曲がるとここへ出ます

1689年にハプスブルグ軍の攻撃で外壁が黒焦げになった(大火事によるという説も)という教会ですが、今では焦げ跡も目立ちません

ルーマニア最大級のパイプオルガンがあるそうですが入りませんでした


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黒の教会を抜けてスファトゥルイ広場へ

正面に見える建物だったかにツーリスト・インフォーメイションがあったので入ってみました










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広場に面したレストランで昼食となりました

その辺りから見たトゥンバ山(865m)とロープウェイ(塔があるのが山頂駅)












ルーマニアの観光といえばブラショフの先のシギショアラや、ドラキュラ伝説で名高いブラン城へも行くのが一般的ですが、このツアーでは行きません。

ブラショフを出ると、来た時に通過してきたシナイアへ。
シナイアはトランシルバニア山脈の山中にある標高の高い町です。

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ペレシュ城

カロル1世が建立したルーマニア王室の夏の離宮で、ルーマニアで最も壮麗な城だと言われています

中に入るツアーが多いのですが我々のツアーは入りません







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噴水のある場所から、来た方向を見ました















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右を見ると庭園があります

















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庭園から一段下へ降りると全貌を見渡せます















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正面からも

秋の強い日差しを受けてキラキラ輝いていました



















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ペレシュ城の近くにもう一つの城、ペリショール城

カロル1世の狩猟用の城だったそうですが、こちらは入場不可のようでした

木組みの建物はドイツを思わせます








次はペレシュ城とならぶシナイアの見どころ、僧院へ。

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シナイアの僧院

ここもカロル1世が建立したとか













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宿坊の中庭にある古い方の僧院















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新しい方の僧院内部

イコノスタシス(聖障、イコンで覆われた壁)が聖所(聖職者専用の内陣)と至聖所(こちら側)を隔てています

これは東方正教会の形で、中央は聖職者が入れるように幕になっており、その上に「最後の晩餐」の絵を掲げることになっているようです


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上の写真の中央
聖職者の入口

キプロスやウクライナでもこうした教会をたくさん見てきました

独特の宗教のようですがキリスト教の一派なのでイエスキリストやマリアや聖人の絵があります




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門を出てから振り返ったところ

僧院内部にいる時に、テンションの上ったような男が何かつぶやきながら足早やに動き回っていました

すぐに、普通ではないな、と思ったのですが門まで出てくるといつの間にかそこにいて、膨らませたポリ袋を手に持って吸っていました



シンナー中毒?こんな国にもこうした人間がいるのだと知りました。

このあとブカレストに戻り、旧市街にあるレストランで夕食。飲んだビールのブランドは「URSUS」、10ユーロでした。メインディッシュは「ミティティ」というルーマニアの料理(牛のひき肉の炭火焼き)、肉を焼くパフォーマンスが面白くてカメラを向けたらポーズをとってくれました。

明日は国境を越えてブルガリアへ向かいます。

3日目の9月29日、ブカレストの夜が明けました。

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部屋の窓から見た朝のブカレスト
















今日の観光は北へ。スナゴブという所で修道院を見た後、ブラショフの観光をし、ブカレストへ戻る途中にシナイアへ寄るという行程です。

出発してから1時間40分位でスナゴブに到着。目指すスナゴブ修道院はスナゴブ湖に浮かぶ小島にありますが、湖の真ん中にあるわけではありません。

スナゴブ修道院の地図 橋を渡った島の中央やや下部、青く塗られているのがそれ
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修道院のある島に渡る橋へ















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長い橋を渡って島へ

















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渡ってから振り返りました

左にボートが見えていますから、橋が架かる前は船で渡っていたようです

(朝の長い日差しのために私の影が写ってしまいました)








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前方の頑丈そうな建物をくぐると・・・・















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スナゴブ修道院です

内部の撮影代が10レイ、というので誰も内部は撮りませんでした

ここは、奥の祭壇の下にオスマン朝との戦いで戦死したドラキュラのモデル、ヴラド・ツェペシュの、首なしの遺体が埋葬されているということで有名なのです





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裏へ回ってみると、朝日を受けた修道院が順光で撮れました















次にトランシルヴァニア山脈を越えてブラショフへ。途中シナイアを通りますがシナイアへは帰りに寄ります。ブラショフは観光の町ですが、工業も盛んでヘリコプターやトラクターの製造でも知られる町だそうです。

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ブラショフ

町の奥に位置するスケイ地区の聖ニコラエ教会へ













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聖ニコラエ教会

















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スケイ門

この向こうは昔のドイツ人居住区で、手前がルーマニア人が住まわされたスケイ地区

ドイツから来た移民が、先住のルーマニア人を「ここから入って来るな」とスケイ門の外へ追い出して、自分たちは町の中心部に住んだという歴史があるそうです


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エカテリーナ門

スケイ門と平行しており、スケイ門は写真の右側

我々はスケイ門ではなくこの門をくぐって向こう側(旧ドイツ人居住区)へ









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中心部(旧ドイツ人居住区)へ入ってきました

スケイ門をさっきとは反対側から見ています(向こうがスケイ地区)











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通りから右を見ると路地の奥にシナゴーグ(ユダヤ教の教会)

その向こうの山の上には「B R A S O V」という白い文字並び看板










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東欧で最も狭い道だというので撮りました

建物中を通る幅1.32mの道












空港の両替所でさっそく両替。15ユーロをルーマニア通貨に替えてもらったら62.4RON(レイ)になりました。
ルーマニアの通貨の呼び方は単数がレウ、複数がレイ。1レウ=30円弱といったところです。

空港は市街地の北部にあり中心部まで約30キロ。気温19〜20℃。
「こんにちは」はブナジューワ、「ありがとう」はムルツメスク、以後多用しました。

ルーマニアは1947年にルーマニア人民共和国として発足、1965年に例のチャウシェスクが大統領として登場、1976年にはコマネチがモントリオール五輪で活躍しています。

1989年が激動の年で、ティミショアラで起きたチャウシェスクへの抗議活動が、遂にチャウシェスク夫妻の処刑にまで至りました。世界中に流れたあの生々しい銃殺の場面は今でもネットで見られます。

2007年にはEUに加盟していますが通貨はユーロでなく上述のように自国の通貨を使っています。
”ルーマ”とはローマのことで、「ローマの土地」といった意味があるようで、文字もローマ字。イタリアに縁のある国です。

ルーマニアには「ロマ」といわれる貧しい人々がおり、イタリアにいるジプシーの供給元だと聞いたことがあります。

バス席は添乗員の判断で全席指定となりましたが、やや小さ目のバスなので、22名という少なさにもかかわらず基本的には相席となり、もう一人の一人参加の男性と毎日相席となりました。

市内へ入り、左にヘラストラウ公園、国立農村博物館を見ると間もなく道路中央に建つ凱旋門がありました。

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凱旋門

第1次世界大戦の勝利を記念して建てられたそうです

工事の板で囲われてわかりにくいですがロータリーになっています









その先の勝利広場を通り、ヴィクトリア通りを南下、2時頃革命広場で下車しました。広場の周囲には各種建物。

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その一つ、大学図書館

左の方、道路に面して騎馬像が見えています













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その騎馬像に近寄ってズームアップ

馬に乗っているのは初代ルーマニア国王カロル1世(1839〜1914)











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国立美術館

















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旧共産党本部

チャウシェスクがテラスから最後の演説をした所です

鋭く尖ったモニュメントは革命の犠牲者の慰霊碑

円盤をナイフで下から突き刺したような形状で、円盤の下から血の滴りを意味するような赤い塗料が垂れているのがわかるでしょうか



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チャウシェスクが最後の演説をしたテラス(ズーム)

旗が垂れ下がっている場所です












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クレツレスク教会(道路側から)

ルーマニア正教の教会です












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奥から見るとこちら側に入口がありました

ここでジプシーらしい若い女性が物乞いに来ましたがみんな無視、気の毒ですが・・・・










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入口のポーチの天井に、善と悪を裁く神の姿を描いたフレスコ画














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国民の館

チャウシェスクが造らせた巨大な宮殿で、米の国防総省(ペンタゴン)に次ぐ世界第2位の大建築物、ブカレスト有数の観光名所です

ここは中に入るツアーが多いのですが我々のツアーは入らず、外から眺めただけ





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次に大主教教会へ

















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奥から見ると、ここもこちらが入口(右手奥から見たのが上の写真)

中には聖体として聖人ディミトリチ・バサラボフのミイラがあるそうですが、ここも中へは入りませんでした










このあとは来た道を空港の方へ戻り、大型ショッピングセンターにあるスーパー「カルフール」での買い物タイムとなりました。GEROVITAL(ジェロビタール)というしわ取りクリームに人気があるそうですが、私はシャンペンとチョコレートにさっそくレイ貨を使ってみました。

ホテルは市街北部の、凱旋門に近い辺り。
夕食はレストランで。チャウシェスク追い落としの時に反政府軍が占拠し、放送を通じて革命を成功させたという由緒あるルーマニアテレビ局の前を通ってその先へ行った所でした。

日本上空から始まった9月28日。この長い1日がようやく終わりました。
明日はブカレストから北の方へ行き、観光後またブカレストへ帰ってきます。



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