全体表示

[ リスト ]

デカルトの疑いは、自らの思考があるシステムに依存しているのではないかという認識から始まり、あらゆる思考を排除していく。
この限りにおいては、思考を排除していく主体は超越論的なものであり、
構造主義者が批判するような合理主義的主体概念ではない。

具体的には
デカルトのコギトは自らをシステムに外在させる作用であり、
デカルトのスムは自らがシステムに内在するという事実である。

デカルトにおいては、ものの存在証明は神に頼らざるを得なかったが、
これを自我において求めなかったのは正解である。
もし、これをものの存在を積極的に定立すれば、啓蒙主義思想の祖またはロマン主義の祖として批判されていた。
彼はものの存在を自らのうちにではなく、神(=他者)に求めたことにより、
コギトはシステムの内部にいて、システムを設立するのでなく(独我論に陥ることなく)
他者の存在を視野に入れていた。

この記事に

閉じる コメント(0)

コメント投稿

顔アイコン

顔アイコン・表示画像の選択

名前パスワードブログ
絵文字
×
  • オリジナル
  • SoftBank1
  • SoftBank2
  • SoftBank3
  • SoftBank4
  • docomo1
  • docomo2
  • au1
  • au2
  • au3
  • au4
投稿

.


みんなの更新記事