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【Knock On Wood】 Amii Stewart

1978年のディスコヒットですね〜〜〜。

このカバーナンバーは全米ヒットNo.1を記録いたしました。
でも日本でのシングル発売では何故かB面になっていたんですよ、なんでかなぁ〜〜?( ̄∀ ̄*)

アメリカ出身だけどデビューはドイツ、元はミュージカルダンサーという経歴をお持ちです。

昨夜チラッと紹介した映画 『54 フィフティー★フォー』 でも、劇中登場してこのナンバーを歌っておりますよ〜。 この翌年79年には、ドアーズ『Light My Fire / ライト・マイ・ファイアー』 をディスコカバーしたり、『Jealousy / ジェラシー』 などのヒットも飛ばしております。

当時はこの奇抜でハジけたファッションも注目されたものでした。(・ω・)bグッ

           

Studio 54

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STUDIO 54

今や伝説にもなりました、ニューヨークのディスコ 【スタジオ54】 でございます。

1977年4月、ニューヨーク西54丁目、CBSスタジオの跡地にオープン。
アンディ・ウォーホルトルーマン・カポーティミック・ジャガーマイケル・ジャクソンカルバン・クラインイヴ・サンローランなどなど、多数のセレブが毎夜訪れます。 そして、"ヴェルヴェット・コード" と呼ばれた厳しい入場チェック。

連日のように取りあげられるスキャンダルなどなど、【スタジオ54】は音楽、ファッション、アートの情報発信として世界の注目を集めていたディスコでありました。

70年代後半から80年代半ばにかけての "象徴" とも言うべきディスコなんですが、この時期は自分のディスコ時代とぴったり合っていまして・・・もち、このディスコの噂は日本でも話題になっておりました。

当時、デザイナーズ・ジーンズが流行った時期でありまして、サッスーンカルバン・クラインのジーンズが代表的でもありましたね〜。 そしてこのスタジオ54もオリジナルジーンズを発売していました。

このジーンズはねぇ〜、自分も買ったんですよ〜。 バックポケットのステッチが "54" と縫いつけられたジーンズでしたね〜。 この時代のデザイナーズジーンズは、今流行っているローライズとは正反対でウエスト位置の深いジーンズでありました。

そして、この伝説のディスコを舞台にした映画が 『54 フィフティ★フォー』 ('98)
ライアン・フィリップマイク・マイヤーズサルマ・ハエックらの出演で、このディスコで繰り広げられる人間模様を描いていましたね〜。

                        http://www.geocities.jp/jkz203/blog7/54.jpg

映画の中でも登場しますが、このディスコの入場チェックの基準は完全に私的なものでありました。
「君は入れないよ。」、「君のそのファッションはダメ。」などなど、毎晩このディスコにアウトを喰らった人たちは大多数に及びます。

あのシックの名ナンバー 【おしゃれフリーク】の掛け声 『フリーク・アウト!』 も、54に入れなくて怒り狂い 『ファック・オフ!』 と録音したのが原曲なんだそうです。

まぁ今思えば、あのディスコはドラッグ・セックス、金にまみれた、いわゆる時代のあだ花的存在だったのでしょうかねぇ〜。

                       当時の "54" の様子です。↓

           

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【I'm on fire】 5000 Volts

1975年の5000ボルトのデビューシングルですね〜。
イギリスのディスコバンドですが、これ発表と同時に凄い勢いでヒットしたんですよ。

自分がディスコに行くようになったのは、この【I'm on fire / 恋は火の鳥】がヒットしてからまだ後のことなんですが、これ当時もディスコでプレイされてましたよ〜。 まぁ、ロングヒットと言いましょうか。

                        http://www.geocities.jp/jkz203/blog7/5000v.jpg

初期のディスコヒットとしては有名だから、もしかしたらどこかで聴いたことがある方も居るんじゃ?

翌年の76年発表の第2弾シングル【Dr Kiss Kiss / ドクター!キス・キス】は、デビュー作とはうって変わってセクシーなスローダンスナンバーでありました。

           

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【Shame】 & 【I'm In Love】 Evelyn "Champagne" King

1978年、若干16歳でデビュー。
デビューアルバム 『スムース・トーク』 のナンバー、『シェイム』 がディスコシーンで大ヒットしました。
現在ではイブリン "シャンペン" キング改め、イブリン・キングと名乗っております。

当時、『シェイム』を聴いた時はイブリンが16歳などと知らなかったわけですが、そのパワフルなボイスとダンサブルなリズムが相当印象的で、即レコードを買いに走ったもんです。

その当時の彼女のナンバーから好きな2曲を選んでみました。

【SHAME / シェイム】 1978


   

【I'm In Love / アイム・イン・ラブ】 1981


   


アルバム 『アイム・イン・ラブ』 は当時イブリン・キングの最高傑作と言われたアルバム。
プロデューサーのカーシフはこのアルバムの成功で売れっ子プロデューサーになりました。

当時はよくディスコでは聴いたものです。 どちらも懐かしいナンバーです。

ボニーM / BONEY M

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BONEY M

さてさて〜、1970年代後半からのディスコブームを引っ張っていった、いわゆる "ミュヘン・サウンド" を少し取り上げておきたいと思います。

その代表的なグループがこの 『ボニーM / BONEY M』 です〜〜。

当時この方たちの日本での印象は少しキワモノ的な感じで受け取られていたと思います。
なんせ急に現れ、初期のディスコブームの波に乗りヒットを連発していたんですが、その正体はどこか怪しげ。

レコードのジャケット写真はボーカルの男の半裸ショットが多く、それだけでもチョイ怪しげ。
しかし、そのサウンドは結構ノリの良いナンバーばかりです。


まぁ当時はディスコソングという事だけで、そのグループの持つ "質の高さ" というものが隠れてしまいがちでしたが、このグループの "音" にはどこか侮れないモノがあったのは確かでした。

じつは1975年のデビューソングとなる 『ベイビー・ドゥ・ユー・ワナ・バンプ』 を発売した頃のこのグループの正体は実体の無い存在だったんです。 これはプロデューサーでもあるフランク・ファリアンが名を変えて作り出した事によるものでしたが、このデビュー作が本国ドイツより他のヨーロッパ圏で大ヒット。

それを受けてプロデューサーのフランク・ファリアンは慌てて4人の男女を集め、ここにホントの実体ある 『ボニーM』 が誕生したと言う訳なんですねぇ〜〜。 しかし、そういう実体の無いグループと言うのも当時のディスコ音楽界では珍しい事では無かったですよね〜。

しかし、今もって新たにアルバム&ベスト盤がCD化されるという根強い人気があるグループ。
ボニーMとしての活動は1986年あたりまで続き、ヨーロッパでは8曲のNo.1ヒット、全世界でのアルバムセールスは4千万枚以上、シングルのセールスは6千万枚以上と言う超人気グループでした。


【怪僧ラスプーチン / Rasputin】 1978 (このナンバーのステップは今も覚えています。)

   

【サニー / Sunny】 1976 (ボニーMの名前を知らしめたビッグヒット、1966年のジャズナンバーのカバー)

   


ダディ・クール / DADDY COOL】 1975 (ミュンヘン・サウンドの代表的ナンバー、日本でのデビュー曲)

ベルファスト / Belfast】 1977 (70年代に北アイルランドのベルファストで起きた闘争事件を歌った)

バビロンの河 / Rivers of Babylon】 1978 (ボニーMとしては全米、全英で最も売れた一曲)

マ・ベーカー / Ma Baker】 1977 (シカゴの悪党ギャングを歌ったナンバー)


・・・と、まだまだヒットナンバーはありますが、このあたりで。
ボニーMのメンバーの名前は割愛させていただきました。( ̄∀ ̄*)

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