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雄略天皇 丹比高鷲原陵 (たじひのたかわしのはらのみささぎ)
雄略天皇、大泊瀬幼武尊(おおはつせわかたけるのみこと)、大長谷若建命・大長谷王。大悪天皇・有徳天皇とも。「宋書」・「梁書」に記される倭の五王のうちの倭王武に比定される。周辺諸国を攻略して勢力を拡張したと上表文に表現されていて、熊本県玉名郡和水町にお江田山古墳出土の銀象嵌鉄刀銘や埼玉県行田市の稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣銘を「獲加多支鹵大君」、すなわちワカタケル大王と解してその証とする説が有力である。雄略朝はヤマト王権の勢力が拡大強化された時期と古代から見られていたようである。
皇居は泊瀬朝倉宮(はつせのあさくらのみや、奈良県桜井市黒埼?)で別に大阪府八尾市とも。安康天皇の暗殺後兄達を疑い次々と殺していく。政敵を一掃後即位し、吉備氏をはじめ地域国家群を臣従させていく。対外的にも高句麗、新羅にも攻め込んでいる。他に呉国(宋)より、手工業者、漢織(あやはとり)、呉織(くれはとり)らを招いたり、分散していた秦民の統率を強化して養蚕業を奨励した。即位後も人を処刑することが多かった為、大悪天皇と誹謗されているが、後の武烈天皇にも同様の記述が見られることから同一人物視する見方もある。
陵墓は円丘とされているが方墳らしきものと分断されている印象がある。
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