|
敏達天皇 河内磯長中尾陵(こうちのしながのなかのおのみささぎ)
敏達天皇、渟中倉太珠敷尊(ぬなくらのふとたましきのみこと。古事記では沼名倉太珠敷命)。別名、他田天皇。
欽明天皇の遺言である、任那復興を目指していたが進展なく、同時に新羅とも通交し任那の調を受け取っていたとの記録がある。敏達天皇の即位期間である、578年に世界最古の企業とされる「金剛組」が宮大工の集団として発足したと伝わる。
敏達天皇は、廃仏派よりであり廃仏派の物部氏と中臣氏が勢いづき、崇仏派の蘇我氏との対立が目立ってくる。蘇我馬子が経てた寺を建て、仏を祭ると疫病が発生したため、物部守屋が天皇に働きかけ仏教禁止令を出させ、仏像を仏殿を燃やさせた。その同じ年に天皇が病で亡くなり、仏教を巡る争いは次代に持ち越すことになった。
皇居は、初め百済大井宮くだらのおおいのみや、大阪府河内長野市太井・奈良県北葛城郡広陵町百済・大阪府富田林市甲田・奈良県桜井市など諸説あり)を皇居としたが、575年、卜占の結果に従い、訳語田幸玉宮(おさたのさきたまのみや、現在の奈良県桜井市戒重。他田宮)へ遷った。
物部氏と蘇我氏との争いが際立ってくる時期です。だいぶ時代相がはっきりしてきた気がします。
|

- >
- Yahoo!サービス
- >
- Yahoo!ブログ
- >
- 練習用



