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11月21日(日) - - - - - - 【昨日のあらすじ】 クロアチア人の恩人、マリオ&ミラご夫妻との再会を翌日に控え、私は彼らに自分の悩み事を相談することにしたが、会話で伝える自信が無いため、その内容をクロアチア語でしたためる事にした。 - - - - - - 昨日の夜11時ぐらいから書き始めた「人生相談」は、結局朝の5時過ぎまでかかって、ようやく仕上がった…8割ほどが。つまり、まだ終わってない。 「書き始めた」と言っても、実際に文字を打ち始めたのは12時過ぎてからだ。頭の中がゴチャゴチャになっていて(まるで私の部屋のようだが)、事情の説明と彼らへの相談事が、うまく文章にまとまらない。 今回、本当は外国語で文章を書く時には良くないとされている事なんだけど、一度日本語で文章を起こしてみてから、それをクロアチア語に翻訳した。本当は、日本語を通さず、クロアチア語で考えながら書いていくのがいいのだけど。 でも今回は何しろ、書きたい事や考えが自分の頭の中で組み上がっていないのだ。 大体、人に人生相談や悩み相談をしようという時点で、その人の頭の中はゴチャついていて、混乱していることが多いのだ。 「○○すべきでしょうか?」とか「AとBのどちらがいいでしょうか?」というようなアドバイスを求める相談ならハッキリしているが、「どうしたらいいでしょうか?」という(今回の私のような)悩みを持ちかける相談者の場合、自分自身の中で、状況や考えの交通整理が上手くできていない状態なのだ。 そういう人が相談文を書こうとしたら、文章がまとまらないのは当たり前である。理路整然とした、明快な文章が書けるぐらいなら、もうその人は、誰かに相談をする必要はないはずだ。その時点でもはや問題は解決されており、あとは決断の問題だけなのだから。 しかしとにかく、相談する以上は、相手に内容が伝わるよう説明をしなければならない。 そのためには、まず自分の中で、悩みの要素となっている事柄を把握し、整理していく必要がある。 だからとりあえず、私は日本語でそれらを文章に書きながら、少し自分の頭の中を整理してみる事にしたのだった。正直言うとこれは、自分にとって難しく、かなり(精神的に)しんどい作業であった。取りも直さず、自分自身と真正面から向かい合う事になったからだろう。 その後、ようやく書き上げた日本語の文章を、さらにクロアチア語に翻訳する作業がある。これはまぁ、技術的な苦労というか…とにかく私がやると、メチャクチャ時間がかかるのだ。 酷使しすぎた頭が働かなくなってきたのと、今日はマリオさんとミラさんと会う前に、11時から始まる人形劇を見に行く予定があるという事で、少し寝ておく事にした。ZZZ… 4時間ほど寝てから支度し、10時過ぎに部屋を出て、歩いて劇場に向かった。 植物園の囲いに貼られた宣伝幕が気になってしまう。Eros for you…か? これは、ザグレブの見本市会場(velesajam)で催される、いわゆるピンクな産業の国際見本市の宣伝らしい。何ソレ!(この後、イリツァ通り上の横断幕やトラムのラッピング広告でも同じ宣伝を発見。ここまで堂々と宣伝されると、そこにイカガワシイものを感じている自分の方が間違っているような気にさせられる) 中央駅向かいのトミスラヴ広場付近では、小さな古本市のようなものが開かれていた。 と、そんな風景を眺めながら人形劇劇場に行って、1時間弱の劇を見てきたのであった。演目は「狼と7匹の子ヤギ」。 この時の劇場での詳しい様子については、別の記事に分けて書かせて頂く予定である。 クロアチアで人形劇を見られた事、劇場や観客の様子を見られた事、そして、それらを楽しめた事は、私にとって非常に思い出に残る、いい経験となった。見に来てよかったと思う(そして、この劇よりも対象年齢が上の劇を選ばなくてよかったとも思う)。 劇場から真っ直ぐ部屋に戻ると、時刻は12時半。まだマリオさん達からの連絡はない。 チョコレートシリアルをボリボリかじりながら、相談文の続きを書く。 昨夜(というか今朝未明というか)書いた文章を読み直すと、例によって間違いだらけだ。 それに、言葉や説明が足りていない箇所がある。補足や修正を加えながら文を書き継いでいくうちに、あっという間に時間は経過。まもなく2時半という所で携帯電話が鳴って、ミラさんからのメッセージが入った。今ザグレブの街の中心地(イェラチッチ広場を中心とした一帯)にいて、あと1時間ぐらいしたらホテルに向かうとの事。おおぉ!もうすぐですねー!!…しかし、それまでにこの文を書き終わるだろうか? 何とか最後まで書き終え、日本語の文章と照らし合わせながら通読したところで再度携帯にメッセージを受信。時刻は4時になっていた。彼らはホテルに着いたようだ。「すぐに下へ降りて行くから、私達のホテルまで来られる?」との事。すぐ行きますともー!! なんたって、徒歩2分ですから!(部屋から真正面に見える) バッグにパソコンを入れて部屋を出た。ホテルに向かう足が、自然と早足になる。 彼らのホテルの入口まで来た時、ちょうど彼らがロビーから外へ出てくるところだった。 お互いに名前を呼び合って握手を交わす。 「Hide!元気なの?ザグレブはどう?」手を握りながら私に尋ねてくれる。私は、元気にこちらでの生活を楽しんでいると答えた。 「それで、仕事はどんな具合なの?」と尋ねられ、私は早速彼らに切り出したのだった。「実は今日…その事でご相談したい事があって…」と私がおずおずと口を開くと、彼らは「勿論!何でも言いなさい」と言って、「とりあえずカフェに行こう」という事で、私達はすぐ近くのカフェに入った。 3人で店内の奥の席に座って注文を済ませた後、私は言った。「ご相談なんですけど…お話して伝える自信がないので、文章に書いてきました。読んでもらえますか?」「勿論。見せてごらん」と彼ら。 私はゴソゴソとパソコンを取り出し、画面を開いて彼らに相談文を読んでもらった。Wordで2ページ半ほどの、かなり長い文章である(結局まとめきれなくて、グダグダな文章になった)。 私は、本当に自分の率直な気持ちを文に綴った。正直すぎるほど正直に、今自分が感じている事、考えている事を打ち明けたのだ。勿論、私のその認識が正しいのかどうかも彼らに尋ねたかったし、自分の気持ちや考えを理解してもらえない可能性も大いにあるだろうと思っていた(それ以上に、自分のクロアチア語を理解してもらえない可能性が高いだろうとも思っていた)。 だから前置きとして、「これは私の正直な思いであり、私は日本での生活しか知らない、視野の狭い小さな人間なので、もし文章中に不愉快に思われる点があったとしたら、どうぞお許し下さい」というお断りを入れておいた。 ミラさん、そしてマリオさんと、順番にパソコンを覗いて、文章を読んでくれた。 下手な文章(しかも長い)を読む事がどれほど大変でストレスを感じる事か、私はよく知っている。だから彼らが真剣な表情で私の文を読んでくれているのを見て、本当に申し訳ない気分だった。 でも彼らは、私が「何を言いたいか、お分かり頂けたでしょうか?」と恐る恐る尋ねると、「全部分かる。これ全部自分で書いたの?とてもよく書けてる」と言ってくれた。 その後、コーヒーを飲みながら話をした。 彼らは文章を読んですぐ、私の悩みの内容、そして悩みの深さまで、全て正確に把握してくれていた。 「Hide、答えるために、さらにいくつか質問をするよ」というやり取りがあって、私は一生懸命彼らの言う事を聞いて、質問に答えた。分からない事や知らない事は、正直にその通りに言った。 私が何度も聞き返したりトンチンカンな答えを返したりしても、彼らは辛抱強く、ゆっくり話したり、別の言葉で聞き直したりしてくれた。そして、伝えたい事が上手く言葉にならずに口ごもって焦っている私に、「Hide, polako, polako(ポラーコ、ポラーコ)」(ゆっくり、落ち着いて)と言ってリラックスさせてくれた(私はしょっちゅういっぱいいっぱいになって一人で焦っているので、「polako, polako」は他の人からもよく言われる)。そのおかげで、何とか自分の現状を彼らに伝えることができた。 私の悩みの内容というのが、ちょっと、このような場でオープンにできる性質のものではないので、抽象的な事しか書けなくて大変恐縮なのだけれど、彼らの答えは、「確かに、今の状況は非常に厳しいし、その中で上手く事が運ぶ可能性は無いだろう」というものだった(その意味では、私の認識は正しかったという事になる)。 マリオさんは私に、「Hideは悪くないし、間違ってもいない。そして、誰かが悪いというわけでもない。人生は常に変わっていくものだ。それが人生なんだ」と言った。その言葉は、静かな池に落とした石みたいに、ストンと私の心の淵に沈んでいった。今の私には、マリオさんのその言葉が、何重にも理解できた。 世の中も変わるし、人もまた変わっていく。自分も、他の人も。本人が望むかどうかにかかわらず、人は変わらずにはいられない。誰しも同じ場所に留まり続けることはできないのだ。 その中で誰かが自分の考えや生き方を変えたからといって、誰がそれを非難できるだろうか。 マリオさんとミラさんは、「自分のために考えなさい。誰にでも、その権利があるんだよ」と私に言った。「Hideはまだ若い。現実の事を考えて行動すること、そして待つこと。それが今Hideがするべきことだ」とも。 そして彼らは私に、私が為すべき事についての具体的なアドバイスと、その力になってくれる人を紹介する事を約束してくれた。 本当に、嬉しかった。彼らの存在が、心から有難かった。 相談の文章を読んだだけで、悩みの(というか状況の)深刻さをすぐに察知してくれて、こんなに真剣に私の事を心配し、思いやってくれる彼らに、どうやって感謝したらいいのか私には分からなかった。 その後も、色々な話をした。 彼らが先月日本に行った時の話も聞いた。 そうそう、会話の途中で分かったのだが、うちの会社のもう一人の日本人スタッフJさん、彼女のご主人(クロアチア人)の事を、何とマリオさんが知っていたのだった!これは本当に奇遇!すごく驚いた。 それから、グーグル・アースで私の町を見て私の家を探したり、彼らのドイツの家や、海のすぐ近くにあるザダルでの家を見付けたりした。 「ザダルの様子をまだ覚えてる?」と聞かれたので、「ええ、勿論。昨日のことのように覚えています」と答えた。これは本当の事だ。もう4年間、訪れていない街。だけど、ザダルやシベニクを今訪れたとしたら、昨日までそこにいたみたいに街の中を歩ける自信がある。 彼らは明日の便でドイツに向かうけれど、空港へ出発する前に時間があるので、明日また一緒にコーヒーを飲みましょうという事になった。 「じゃあまた明日!」という事で、彼らはホテルへ、私は自分の部屋へと戻った。時計を見たら、もう8時過ぎ。4時間近くしゃべっていた事になる。あっという間だったけど…。 夕食を済ませた後、私は部屋で一人、彼らからもらったアドバイスを反芻していた。 彼らの言葉を思い返しながら、今、この状況の中で、このタイミングで、この場所で彼らと会って話ができたことは、自分にとって本当に大きな意味を持つことだと思った。 彼らと、そして彼らと出会うことのできた運命に、改めて感謝した夜だった。 2010年、ザグレブのカフェにて(今日)。彼らの優しさは、初めて出会った時から変わらない。 |
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2010年11月22日
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11月20日(土) - - - - - - 明日ザグレブで、知人のクロアチア人2人と会うことになった。仕事関係の人ではない。プライベートな約束である。 その知人というのは…いや、「知人」というと、何だか距離を感じるというか、あまり親しくない「ただの知り合い」みたいな印象になってしまうのだが、決してそういうわけではない。いつも私の事を心配してくれていて、親しくやり取りをさせて頂いている人達である。 ただ、20歳も年上の方なので、私から「友達」というのも失礼だし、ちょっと違和感がある。 彼らはご夫妻なのだが、正直に言うと、私は彼らのことを、心のどこかで自分の両親のように感じているところがあって… むしろある意味、実の親に対してよりもオープンに、率直に、自分のことや悩み事などを打ち明けられる存在なのだ。だから本当は、知人というよりも「恩人」といった方が正しい。 そして、実はその人は、大変な有名人でもある。 とは言え、ここを読んで下さる方の多くは、おそらく彼の名前をご存知ないと思う。私だって、知り合った時は彼がそんな世界的に有名な方だなんて知らなかった。 「彼ら」というのは、卓球コーチのマリオさんと、その奥さんのミラさんのこと。 お二人ともクロアチアのザダルという町の出身だが、もう20年以上、ドイツを拠点として活躍されている。 マリオさんは、欧州ナンバーワンと言われる世界的な名コーチである。 昨年まで、日本卓球協会との契約で、10年近くに渡って日本のジュニア男子選手の育成や代表チームの指導をしてきた。そして、ロシアチームのコーチとなった今も、臨時の指導の要請を受けるなど、日本の卓球界との関わりは続いている。 マリオさんは、自身も有能な卓球選手だったが、若くしてコーチに転身。 何人もの世界チャンピオンをその手で育ててきたし、日本の若手選手が世界から注目されるようになっている現状についても、彼の功績によるところが大きいと言われている。 そういう訳で、マリオさんは「世界的有名人」だし、奥さんのミラさんは、そんなマリオさんや、親元を離れてドイツへ卓球留学に来ているジュニア選手たちを温かくサポートしているのである。 さて。 そんなスゴイ人と、卓球は勿論、あらゆるスポーツと縁のない私とが、一体どうして知り合う事になったのか? 私達の出会いは4年前の夏、私が初めてクロアチアを訪れていた時に遡る。 当時私は、クロアチア語学留学という名目で、3カ月間のシベニク滞在中。自由な時間が多かったので、シベニク市内は勿論、近隣の町へもよく出掛けていた。 バスで1時間半ほどのザダルも、都合4回ほど訪れている。この町もまた、シベニクと同じように歴史のあるダルマチアの町で、旧市街にはさまざまな時代の建造物が残り、美しいアドリア海に臨んでいる。夏には多くの観光客が訪れる場所である。 教会の鐘楼から見下ろしたザダル旧市街とアドリア海。 2度目のザダル訪問時、私は旧市街をじっくり見て回ろうと、本屋でザダルのガイドブックを購入した。 早速目の前の広場の片隅で本を開き、「さて」という感じで旧市街マップを眺め始めたその時… 「こんにちは!」という声が聞こえたのだ。日本語で。 「???」…辺りを見回したが、日本人らしき人の姿は見当たらない。気のせいだったのかと思った時、 「こんにちは!」というハッキリした声が、すぐ近くから聞こえた。 「!?」…明らかに「日本人ではない」男性が、私に話しかけてきていた。久しぶりに聞く日本語にちょっとドギマギしながら、「こんにちは!」と私も挨拶を返した。勿論、その男性がマリオさんだったのである。傍らには奥さんのミラさんもいた。彼らは夏の休暇中で、ドイツから地元のザダルへ戻ってきていたのだ。 2006年、夏。ザダルにて。マリオさんのTシャツがMizuno。数々の名選手を育ててきた欧州一のコーチは、広場の片隅で、一人の落ちこぼれを拾いました… 「日本から来たの?」と英語で尋ねられ、私がクロアチア語で「はい、日本から来ました。ここでクロアチア語を勉強しています」と答えると彼らはとてもビックリして、「今、少し時間ある?もし良かったら、カフェで話そう!」という事になり、私達は一緒に近くのカフェに入った。 そしてそこで、1時間ぐらい話をしたのである。勿論、クロアチア語で。彼らは母国語の他、英語、ドイツ語、マリオさんはロシア語も話せるのだが、彼らの素晴らしい言語能力も、私が相手では残念ながら全く意味をなさない(彼らは日本語の挨拶や数字は知っているが、日本語で話せるというわけではない)。 私のクロアチア語会話スキルは相当ひどくて、当時も会話中は汗ダルマになるほどヒアリングには苦労していたのだが、なぜかこの時、一時的に電波状態が絶好調になったのだ。本当に奇跡的な事だが、彼らの言葉をほとんど聞き取る事ができて、非常によくコミュニケーションを取る事ができたのだった(もしかすると、初対面で、聞かれたのが基本的な事ばかりだったから聞き取れたのかも知れないが、でも確かにあの時、自分の感覚が非常に研ぎ澄まされているように感じていた。何かのおかげで一時的にパワーアップしていたような気がする)。 私達はお互いに自己紹介をし合って、仕事や生活の事、クロアチアや日本の事について話をした。 彼らは既に何年も日本と携わっていたから、日本や日本人の事についてとてもよく知っていたし、日本を愛してくれていた。特にミラさんは日本の大ファンで、日本に行くのが、いつも本当に楽しみなんだと言っていた。 彼らは仕事で年に何回か日本を訪れるので、その時は必ず連絡するから、今度は是非日本で会いましょう、という事になった。そして私に、連絡先が書かれた名刺を渡してくれたのである。 それが私達の出会いだった。あと数分、どちらかがそこを通りかかる時間がズレていたら、決して生まれる事のなかった出会い。その時の事を、私は昨日の出来事のように鮮明に思い出す事ができる。 夏のアドリア海沿岸のこの空の色も、記憶の中にくっきりと残っている。この時計塔のあるナロドニ広場(国民広場)で私達は出会ったのだ。 そしてそれ以来、彼らが日本に来る度に私達は会って、話をした。 勿論それ以外の時も、時々メールで近況を知らせ合ったり、何かあった時には報告したりというやり取りを続けていた。 メールのやり取りはともかく、「会話が苦手」という私の弱点も彼らは飲み込んでくれていて、ブツ切りでハエのとまりそうな私のクロアチア語でも、また、私が彼らの言う事を何度も聞き返しても、私が何かを伝えようとしている時、いつもそれに辛抱強く付き合ってくれて、私をフォローし、サポートしてくれるのだった。 世界を舞台に活躍している彼らが、どうして私のような小さな者の存在を、いつも気にかけていてくれるのかは分からない。でも、離れている時でも、いつも彼らは私の事を心配してくれている。 本当に、大きくて温かくて、頼もしくて、会うとホッとして…何でも話せる「お父さんとお母さん」なのだ、私にとっては。 その彼らと一番最近会ったのは今年の4月、彼らが東京に来た時だった。次の来日は秋になるから、またその時会いましょう!と言っていたのだが、今回、彼らの日本到着と私のクロアチアへの出発の日程が見事にすれ違ってしまった。 それで私が嘆いていたら、「大丈夫!私達は11月初旬にドイツに戻って、その後ザダルに行く予定がある。その時ザグレブで飛行機を乗り換える事になってザグレブに泊まるから、その時に絶対会えるよ!日にちがハッキリしたら知らせるからね」という連絡があった。しかも、彼らがザグレブでいつも泊まるホテルというのが、私のホテルからすぐ近く(徒歩2分。部屋から見える)にある事も分かって、それは最高だとお互いに驚きながら喜んでいたのだった。 そして話は昨日の夜のこと。 外出から戻ってメールチェックをしていた私は、待っていたミラさんからのメールが来ているのを見付けた。 今ザダルにいて、明日の日曜にザグレブに来て1泊し、月曜の飛行機でドイツに戻る予定とのこと。 おお!!明日だって、明日!! 「ザグレブに着いた後、どうやって連絡したらいい?」と書いてあったので、私はすぐに、ホテルからレンタルしている携帯電話で彼女に電話した。 そこで久しぶりに「Hide!元気!?」などというやり取りがあって、「じゃあ明日の午後、ザグレブに着いたら、この携帯に連絡するね!」という事になったのだった。 約半年ぶりの再会。そして、クロアチアで会うのは、ザダル以来、実に4年ぶりになる。本当に嬉しい!! そして今回、私は彼らに、ある事を相談してみるつもりでいた。 こちらに来てから考えるようになった、自分の将来のこと(仕事の展開ややり方、新しい可能性も含めて)についてだ。 あまり具体的な話をここに書く事はできないのだけど、こちらに来てからいくつかの問題要素(と私には思える事柄)が明らかになってきて、今自分は、ちょっとこの先の事について色々と、真剣に考えていかなければならないポイントに来ているな…というのを身にしみて感じていたのだった。 クロアチアや自分自身に失望したとか、この道を諦めて方向転換しようとしているとか、そういった意味では決してない。それはキッパリと言える。 しかし、自分のやりたい事を将来的に実現させていくためには、(そのためにこそ、)もっと現実に目を向けていく必要があり、自ら行動する必要がある…という事を、切実に感じているのは事実なのだ。 それで、色々な情報をネットで調べたり、今自分にとって何が問題なのかを考えたりしているうちに、何だか色々な事がよく分からなくなってきてしまい、自分の考えや認識の正しさにも、自信が持てなくなってしまったのである。しまいには、何のために今こういう事をしているのか、自分はこれからどうしていくべきかという根本の所まで揺らいでくるほど、頭の中で考えや迷いや悩みが錯綜し、混乱が生じてきているのだ(つまり、考えすぎてこんがらがってきちゃったのである)。 是非マリオさんとミラさんにこの悩みを打ち明けて、助言をもらいたい…私はそう考えたのだ。 クロアチア人、ヨーロッパ人としての感覚や視点、豊かな人生経験と高い見識、そして世界を知る広い視野を持った彼らの考えを聞きたいと思った。 彼らになら、全てを打ち明けられる。たとえ「Hideの考えは間違っているよ」と言われたとしても、それはそれでいい。今抱えている悩みや迷い、モヤモヤした気持ちを、ありのまま、正直に話してみたいと思った。 ただ、一つ大きな問題がある。 ここに至るまで、何があったのか、それについて自分はどう感じて、何を考えたのか、今何について困っているのか等々…。それらの少々複雑な事情について、彼らにクロアチア語で説明できる自信がまるで無いのだ。というか、はっきり言って不可能だ。 かと言って、まさか通訳を立てる訳にもいかない。だけど、どうしても今の機会に、この件について彼らと話がしたい… 考えた末、私はそれらの事を、あらかじめ「書いて」おく事を思い付いた。 その場で話すのは無理でも、前もって文章で書いて、準備しておくのだ。そうだ、そうすればいい! それを会話のアンチョコとして使おうというのではない。書いた文章を、そのまま彼らに見せて、読んでもらえばいいのだ! プリンターが無いので紙に印刷する事はできないが、パソコンごと持って行って、画面を読んでもらえばいいだろう。 そう思い付いた私は、夜を徹してクロアチア語で「人生相談」を綴るのだった… (翌日へ続く)
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