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日本航空123便の墜落事故から25年目にあたる今日も、関東地方はとても暑かった。 25年前の今日、小学生だった私は事故のニュースを旅行先の北海道のホテルで知った。明日は帰りの飛行機に乗って羽田へ飛ぶという日の夜だった。私達が乗るのは日航機ではなかったが、出発の日、それまでのツアー中とても明るく陽気だったバスガイドさんがやけに無口だったことと、飛行機が無事羽田に着陸した瞬間に乗客達から拍手が起こったことをよく覚えている。 犠牲者520名。単独機としては最大・最悪の事故として今も航空史にその記録を残す大惨事。その本当の悲惨さ、深刻さ、重大性−そのようなものを当時の私が理解できていたはずもないが、それでも、事故の後の世間の騒然とした雰囲気というのは子供ながらに感じ取っていた。我が家でも食い入るように日々報道を見つめていた。あまりにも衝撃的な事故であるのに加え、歌手の坂本九さんなど著名な方々が犠牲となったという理由にもよるのだろう。 それから歳月が流れ、無論、私自身この痛ましい事故が記憶から消えることはなかったが、毎年この時期に報道で目にしたり、自分が航空機に搭乗したりする際にふと思い出すという程度の認識となっていた。 事故から四半世紀の節目を迎えるという今年、事故に関する記録や報道記事を少し読んでみたが、どれも文字を追っているだけで胸が詰まり、苦しくなってくる。異常発生から墜落までの32分間、迫り来る死への恐怖の中で家族への遺書をしたためた乗客、最後まで職務を全うしようと、不時着に備えて注意事項をメモに記した客室乗務員、おそらく最後の瞬間まで諦めまいと操縦桿を握り続けたであろうコックピットクルー、事故後の捜索・遺体収容に携わった人々や彼らを支えた人々(その方々の中にも、連日の猛暑の中での過労により命を落とされた方が何人もいるという)、そして、大切な人を突然失ってしまった遺族の方々…。記録を読めば、これらの人々の胸中に思いを馳せないわけにはいかない。 事故のことを知るのは、はっきり言って辛い。犠牲者に何のゆかりもない私でさえこうなのだ。ご遺族や関係者の方々が抱え続ける痛み、苦しみはどれほどか。事故が遺したものはあまりにも大きく、あまりにも重い。 日本航空は「御巣鷹は安全の原点である」と繰り返し、2006年には「安全の礎」として残存機体や遺品などを展示した安全啓発センターを設立し、社員教育を行っている(センターは一般にも公開されている)。また、国土交通省では、新規に事業参入する航空会社に認可を与える際に、必ず御巣鷹の尾根への慰霊登山を勧めているという。どちらもあの事故を記憶に刻み、空の安全に対する誓いを新たにするためだ。 原爆の日、御巣鷹の日、お盆、終戦記念日… ジリジリとしたこの夏の盛りには、まるで図ったかのように命について考えさせられる日が続く。 あの夏、あの日に心ならずも天に昇った御霊は、地上に生きる人々のささやかな幸せを祈ってくれているのだろうか。 今を生きる、あるいは生かされている我々にも、限られてはいるが、できることがある。その一つが、「忘れないこと」だろう。あらゆる事故、事件、自然災害、戦災による犠牲が今日の安全、平和に繋がっているということを、忘れることは許されない。知らないでは済まされないのだ。 犠牲になられた方々のご冥福を心よりお祈りするとともに、ご遺族ならびにご尽力された関係者の方々に深く敬意の念とお見舞いを申し上げます。
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